そこにある愛を抱きしめて

雨間一晴

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第五十話 小さなアパートで大きな勇気を(7)

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 レバー式のドアノブは、氷でも握っているように冷たかったが、別に構わなかった。力強くドアノブを下げると、ドアを叩く音が止んだ。そして私は少し微笑んでから思い切りドアを開けて、速やかに閉めた。

「お、おい。あいつは……」

 戸惑う相手の目をしっかりと見つめた。私がやるべきことは分かっている、何の迷いも無かった。

「大変!申し訳ありませんでした!」

 ありったけの声を出して。重力を一身に受けたように、ただ真っ直ぐに土下座した。

「ちょ、お、おい」

「この度は、お客様に大変失礼なことをしてしまい、心からお詫び申し上げます!」

「い、いや……」

 相手の声が弱まって、私は確信を持った。そして顔を上げてから宣言した。

「二度と、このようなことは無いよう、指導していきますので!今回は当然お代は結構でございます!就《つ》きましては私の方から、お客様の納得いくまで、カットやカラーもさせて頂ければと思います!」

「ちょっと待てよ、あいつを出せよ……」

「大変申し訳ありません!指導不足故に、とてもお客様の、お綺麗な髪を切るに値しないと判断致しました。どうしてもとの御指名でしたら、また後日予約して頂ければ、必ず納得頂けるよう指導しておきますので!何日が、ご予定大丈夫でしょうか?」

 立ち上がり、書く必要も無いだろうと分かっていながら、ゆっくりとメモ帳とペンを取り出した。

「い、いや、それなら別に大丈夫……です」

「そうでしたか。それでは、カットさせて頂きますので、お手数ですが席の方まで、お願い致します」

 後輩の姉は、居心地悪そうに背中を丸めて、少しの間だけ後輩のいるドアを睨んでいた。それを、揺るがない氷で出来た水面のように、平常心で見守っていた。

 いつからだろう。決して良いことでは無いのだけれど、分かってしまうようになった。怒っている相手が、謝って収まるのか、むしろ怒らせるのかを。きっと、今までの過酷な経験の中で培ってしまったのだろう。非情な相手に、どう対応するのが一番なのかを。

 責められて苦しみながら鋏を振り上げる後輩を見たときに、全身から血が抜けるような寒気が走ったのは、苛められていた過去の自分自身が重なったからだろう。

 無心で営業スマイルを取り戻して髪を切りながら、思い出していた。小学生の頃に、小さなプラスチック製の、十五センチ定規を振り上げたことを。

 私がもっと早く間に入っていれば、後輩はあそこまで追い詰められなかっただろう。それでも、私は後輩に言わなければいけない。それは、この最悪なお客様と対面するより、ずっと辛いことだと知っていても。
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