50 / 121
第五十話 小さなアパートで大きな勇気を(7)
しおりを挟む
レバー式のドアノブは、氷でも握っているように冷たかったが、別に構わなかった。力強くドアノブを下げると、ドアを叩く音が止んだ。そして私は少し微笑んでから思い切りドアを開けて、速やかに閉めた。
「お、おい。あいつは……」
戸惑う相手の目をしっかりと見つめた。私がやるべきことは分かっている、何の迷いも無かった。
「大変!申し訳ありませんでした!」
ありったけの声を出して。重力を一身に受けたように、ただ真っ直ぐに土下座した。
「ちょ、お、おい」
「この度は、お客様に大変失礼なことをしてしまい、心からお詫び申し上げます!」
「い、いや……」
相手の声が弱まって、私は確信を持った。そして顔を上げてから宣言した。
「二度と、このようなことは無いよう、指導していきますので!今回は当然お代は結構でございます!就《つ》きましては私の方から、お客様の納得いくまで、カットやカラーもさせて頂ければと思います!」
「ちょっと待てよ、あいつを出せよ……」
「大変申し訳ありません!指導不足故に、とてもお客様の、お綺麗な髪を切るに値しないと判断致しました。どうしてもとの御指名でしたら、また後日予約して頂ければ、必ず納得頂けるよう指導しておきますので!何日が、ご予定大丈夫でしょうか?」
立ち上がり、書く必要も無いだろうと分かっていながら、ゆっくりとメモ帳とペンを取り出した。
「い、いや、それなら別に大丈夫……です」
「そうでしたか。それでは、カットさせて頂きますので、お手数ですが席の方まで、お願い致します」
後輩の姉は、居心地悪そうに背中を丸めて、少しの間だけ後輩のいるドアを睨んでいた。それを、揺るがない氷で出来た水面のように、平常心で見守っていた。
いつからだろう。決して良いことでは無いのだけれど、分かってしまうようになった。怒っている相手が、謝って収まるのか、むしろ怒らせるのかを。きっと、今までの過酷な経験の中で培ってしまったのだろう。非情な相手に、どう対応するのが一番なのかを。
責められて苦しみながら鋏を振り上げる後輩を見たときに、全身から血が抜けるような寒気が走ったのは、苛められていた過去の自分自身が重なったからだろう。
無心で営業スマイルを取り戻して髪を切りながら、思い出していた。小学生の頃に、小さなプラスチック製の、十五センチ定規を振り上げたことを。
私がもっと早く間に入っていれば、後輩はあそこまで追い詰められなかっただろう。それでも、私は後輩に言わなければいけない。それは、この最悪なお客様と対面するより、ずっと辛いことだと知っていても。
「お、おい。あいつは……」
戸惑う相手の目をしっかりと見つめた。私がやるべきことは分かっている、何の迷いも無かった。
「大変!申し訳ありませんでした!」
ありったけの声を出して。重力を一身に受けたように、ただ真っ直ぐに土下座した。
「ちょ、お、おい」
「この度は、お客様に大変失礼なことをしてしまい、心からお詫び申し上げます!」
「い、いや……」
相手の声が弱まって、私は確信を持った。そして顔を上げてから宣言した。
「二度と、このようなことは無いよう、指導していきますので!今回は当然お代は結構でございます!就《つ》きましては私の方から、お客様の納得いくまで、カットやカラーもさせて頂ければと思います!」
「ちょっと待てよ、あいつを出せよ……」
「大変申し訳ありません!指導不足故に、とてもお客様の、お綺麗な髪を切るに値しないと判断致しました。どうしてもとの御指名でしたら、また後日予約して頂ければ、必ず納得頂けるよう指導しておきますので!何日が、ご予定大丈夫でしょうか?」
立ち上がり、書く必要も無いだろうと分かっていながら、ゆっくりとメモ帳とペンを取り出した。
「い、いや、それなら別に大丈夫……です」
「そうでしたか。それでは、カットさせて頂きますので、お手数ですが席の方まで、お願い致します」
後輩の姉は、居心地悪そうに背中を丸めて、少しの間だけ後輩のいるドアを睨んでいた。それを、揺るがない氷で出来た水面のように、平常心で見守っていた。
いつからだろう。決して良いことでは無いのだけれど、分かってしまうようになった。怒っている相手が、謝って収まるのか、むしろ怒らせるのかを。きっと、今までの過酷な経験の中で培ってしまったのだろう。非情な相手に、どう対応するのが一番なのかを。
責められて苦しみながら鋏を振り上げる後輩を見たときに、全身から血が抜けるような寒気が走ったのは、苛められていた過去の自分自身が重なったからだろう。
無心で営業スマイルを取り戻して髪を切りながら、思い出していた。小学生の頃に、小さなプラスチック製の、十五センチ定規を振り上げたことを。
私がもっと早く間に入っていれば、後輩はあそこまで追い詰められなかっただろう。それでも、私は後輩に言わなければいけない。それは、この最悪なお客様と対面するより、ずっと辛いことだと知っていても。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる