トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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1章

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 そんな様子はおくびにも出さず、テオバルドは梶との会話を楽しんでいるように見える。整った顔に感じの良い笑みを浮かべるだけで、表裏のない好人物に見える男前は得だ。おそらく彼ほど――諜報の世界に生きる者ほど、その身に表と裏を内包した人間もいないだろうに。

 正確を期す必要のない世間話は英語でなされ、志貴は通訳から解放された。メモと万年筆をしまい、話を振られれば控えめに返しながら、専ら聞き役に回る。練達の外交官である梶の話術には学ぶべき点が多く、対するテオバルドは彼の『友達』――スペインの外相がお墨付きを与えるスパイなのだ。その素性や経歴は知らされていないが、興味を持たずにいる方が難しい。
 そして意外にも、梶とテオバルドは馬が合うようだった。店の前で別れる頃にはすっかり上機嫌で、くだけた口調で友人のように挨拶を交わしたほどには。

(とりあえず、最初の接触ファーストコンタクトとしては上出来だったな)

 迎えの車に乗り、公使館の玄関先まで梶を送った志貴は、門を出て守衛に挨拶すると、ほっと肩の力を抜いた。
 本国の承認が下りれば、梶の計画が動き出す。愚かにも誰も止めることなく始まってしまったものから、母国を守るための小さな砦。まだ正式には稼働していないが、今夜の面会は好感触だった。資金さえ用意できれば、あの男前のスパイはすぐにでも仕事を始めてくれそうだ。
 寒空の下、蝋燭のような希望を胸に淡く灯しながら、志貴は街灯の明かりに導かれるように歩き出した。殆どの日本人公使館員が公使館で起居する中、一等書記官は、三ブロック先の瀟洒な集合住宅の一室が宿舎になっている。
 石畳から這い上る乾いた冷気を早足で振り払い、熱いシャワーを浴びたら、就寝前にささやかな祝杯を挙げたいところだった。仕事の妨げになってはならないから、食事の席では一滴も飲んでいない。
 先週梶から贈られたワインはまだ栓を開けていないから、あれを軽く味わうのがいいかもしれない。酒豪ではないが酒を好む志貴は、食通でもある梶の御眼鏡にかなったというそのワインを楽しみにしていた。神経をすり減らす在外公館勤務において、異国の酒は数少ない娯楽だ。確かまだ山羊のチーズがあったな、などと思いながら公使館の敷地の角を曲がった時、不意に声を掛けてくる者があった。

「こんばんは、志貴」
「……テオバルド」

 つい先ほど別れたばかりのスパイが、街灯のか細い光の中、亡霊のように立っている。そのくせその不気味な存在感は威圧的と言っていいほどで、志貴は思わず顎を引いた。

「どうかされましたか。先ほど公使がお伝えした通り、『パパ』の返事は年明けにならないと……」
「勿論わかっているとも。ただ確かめたかっただけだ」
「確かめる?」
「梶が確かに日本公使で、帰る家はその公邸だということを」
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