トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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1章

7

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「家に着いたら教えよう」

 そう言って、テオバルドは志貴を促してくる。確かにこうして立ち尽くしていても、体が凍えるばかりだ。
 この分では、当然テオバルドは志貴の部屋の住所を把握しているはずだ。断ったところで意味のないことだと、志貴はテオバルドと連れ立って夜道を歩き出した。石畳の上に靴底が立てる乾いた二組の音が、互いを追い掛けるように規則正しく続く。

「答えられる範囲で結構ですので、質問しても?」
「うまい聞き方だな。しかも美人の頼みは断れない」

 隣から、フッと笑いの気配が伝わる。
 美人美人と連呼するが、志貴は女性と間違われたことはない。ラテン男は美人を見れば礼儀として口説く生き物と聞いていたし、事実日常の光景として街中でよく目にするが、あくまで女性に対してだけだ。
 興味を持つなら、一等書記官の顔などではなく、公使である梶の計画にしてほしかった。うまく機能すれば、母国の行く末を左右する重要な羅針盤となるはずなのだ。しかし目の前のスパイにとっては、金が支払われなければ気に掛けることもない、仕事のオファーの一つに過ぎないのだろう。
 ならば、多少でも気に掛かるように仕向けるだけだ。

「君の『職場』は、主にイギリスのようですね」

 質問ではなく確認の口調で訊ねると、警戒というほどではないが、無言のままこちらの出方を窺っているのがわかった。
 今日の面会は、一方しか釣書を見せていない不公平な見合いのようなものだったが、諜報を生業にしている相手に、契約前に素性を教えろと言う方が非常識だ。テオバルドは、自身の経歴を知らないはずの志貴が、その背景の一端でも察しているのを意外に思ったのかもしれない。
 しかし勿論志貴には子飼いの諜報員などおらず、種明かしは単純だった。
 「君の英語は、イギリスのものだったので」と言い足すと、すんなり納得したようだ。「ご明察」と隠し立てすることなく肯定する。

「表向きは、ロンドンのスペイン大使館付き報道官をやっている。今回の話がなければ、もうしばらくは向こうにいただろうな。あんたたちのおかげで、当分こっちにいることになりそうだ」

 すっかりくだけた、友人のような口調で、テオバルトは「ああ!」とぼやいた。

「ロンドンの薄汚い空気と不味い飯、それととびきり上等な舞台を堪能していたのに!」
「舞台……演劇ですか」
ロンドン大空襲ザ・ブリッツの前までの話だがな」

 ロンドンの連続五十七日間の空襲に始まったドイツ空軍の爆撃は、ロンドン以外の都市も標的にし、多くの市民が犠牲になった。執拗な爆撃に晒されたロンドンは無残に破壊されたが、イギリス空軍の防御体制の構築と、ドイツが東部戦線にその矛先を転じたため、半年ほど前から空襲警報に脅かされることもなくなった――と一時郊外に避難していた日本大使館からも報告が上がっていた。
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