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7章
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ぶるりと身を震わせたのは、刺すような寒さのせいだ。思わず両腕を掴んだ志貴に、暖めるように肩を抱いて一洋は帰路へと促した。
「コーヒーでも飲んでから帰るか」
旧市街の中心に位置する、美しく風格のあるマヨール広場の喫茶店で暖を取り、市場に寄って買った物を受け取ると、二人は来た道を歩いて志貴の自宅へ戻った。
一休みする間もなく、自前の前掛け姿で客間から現れた一洋は、早速買ってきた物の調理に取り掛かる。手持ち無沙汰に横から覗き込む志貴に苦笑しながら、一洋は台の上に置かれていた包みを開いてみせた。
包みの中から現れたのは、大量の干し塩鱈だった。
「マドリードだと、どうしても肉料理が多くなるだろう。バカラオはガルシア夫人に頼んで、今日食べる分を朝から戻しておいてもらった。この休みは、なるべく魚介を食べたいと思ってな」
「魚介」
「できるだけ和食で」
「和食」
マドリードは内陸の高地にあり、新鮮な魚介を手に入れるのは難しい土地柄、名物と言われる料理はすべて肉料理だ。ガルシア夫人の手料理も、志貴の好みを反映してなるべくあっさりした味付けとなってはいるが、肉と豆や野菜の煮込みが多い。海外暮らしが長く、米や魚を食べられなくても特に問題なく過ごせる志貴だったが、恋しくないわけではない。
涎を垂らしていたわけではないが、顔に出たのだろう。一洋はおかしそうに口の端を引き上げると、くしゃっと志貴の頭を撫でた。
「……そんなに期待した顔をされると、腕が鳴るな。うまいもんを食わせてやるから、楽しみにしていろ」
昼食は、買ってきたばかりの牡蠣を丁寧に洗い、殻に戻して蒸した物と、海老の塩焼きが、発泡酒とともに出された。檸檬を絞り、一洋が持ち込んだ貴重な醤油を数滴垂らして食べる牡蠣はぷりぷりとしており、さっぱりしていながらも濃厚な味わいで、いくつでも食べられそうだ。焼きたての海老は香ばしく、噛み締めるほどに甘さが口に広がる。
「マドリードは海が遠いから鮮度が心配だったんだが、食べられないことはないな」
「美味しいよ、すごく」
「牡蠣も海老もまだあるから、どんどん食えよ」
昼間から飲む発泡酒は、罪悪感という妙味も加わって、心地好く体内を巡っていく。寒天の下、長い散歩を楽しんだ軽い疲労もあり、また久しぶりの素朴な――それゆえに素材の味が引き立つ海の幸で満腹となり、まったりとした倦怠感に包まれる。
食後は、台所に入ることも仕事の資料を読むことも禁じられ、ゆっくり休むように命じられた。一人だけ働かせるわけにはいかないと手伝いを申し出たが、微笑みながらもきっぱりと断られ、すごすごと引き下がる。
居間のソファで手持ち無沙汰に一洋を待ちながら、志貴はいつしかクッション越しに腕置きへ身を預け、吸い込まれるようにうたた寝していた。満腹と軽い酔い、そしてこのところの睡眠不足が、強力な睡魔に姿を変えたのだ。
居間から物音がしないことに気づいた一洋が台所から顔を覗かせ、その様に目を細める。そっと掛けられた毛布に、眠りの中の志貴が気づくことはなかった。
「コーヒーでも飲んでから帰るか」
旧市街の中心に位置する、美しく風格のあるマヨール広場の喫茶店で暖を取り、市場に寄って買った物を受け取ると、二人は来た道を歩いて志貴の自宅へ戻った。
一休みする間もなく、自前の前掛け姿で客間から現れた一洋は、早速買ってきた物の調理に取り掛かる。手持ち無沙汰に横から覗き込む志貴に苦笑しながら、一洋は台の上に置かれていた包みを開いてみせた。
包みの中から現れたのは、大量の干し塩鱈だった。
「マドリードだと、どうしても肉料理が多くなるだろう。バカラオはガルシア夫人に頼んで、今日食べる分を朝から戻しておいてもらった。この休みは、なるべく魚介を食べたいと思ってな」
「魚介」
「できるだけ和食で」
「和食」
マドリードは内陸の高地にあり、新鮮な魚介を手に入れるのは難しい土地柄、名物と言われる料理はすべて肉料理だ。ガルシア夫人の手料理も、志貴の好みを反映してなるべくあっさりした味付けとなってはいるが、肉と豆や野菜の煮込みが多い。海外暮らしが長く、米や魚を食べられなくても特に問題なく過ごせる志貴だったが、恋しくないわけではない。
涎を垂らしていたわけではないが、顔に出たのだろう。一洋はおかしそうに口の端を引き上げると、くしゃっと志貴の頭を撫でた。
「……そんなに期待した顔をされると、腕が鳴るな。うまいもんを食わせてやるから、楽しみにしていろ」
昼食は、買ってきたばかりの牡蠣を丁寧に洗い、殻に戻して蒸した物と、海老の塩焼きが、発泡酒とともに出された。檸檬を絞り、一洋が持ち込んだ貴重な醤油を数滴垂らして食べる牡蠣はぷりぷりとしており、さっぱりしていながらも濃厚な味わいで、いくつでも食べられそうだ。焼きたての海老は香ばしく、噛み締めるほどに甘さが口に広がる。
「マドリードは海が遠いから鮮度が心配だったんだが、食べられないことはないな」
「美味しいよ、すごく」
「牡蠣も海老もまだあるから、どんどん食えよ」
昼間から飲む発泡酒は、罪悪感という妙味も加わって、心地好く体内を巡っていく。寒天の下、長い散歩を楽しんだ軽い疲労もあり、また久しぶりの素朴な――それゆえに素材の味が引き立つ海の幸で満腹となり、まったりとした倦怠感に包まれる。
食後は、台所に入ることも仕事の資料を読むことも禁じられ、ゆっくり休むように命じられた。一人だけ働かせるわけにはいかないと手伝いを申し出たが、微笑みながらもきっぱりと断られ、すごすごと引き下がる。
居間のソファで手持ち無沙汰に一洋を待ちながら、志貴はいつしかクッション越しに腕置きへ身を預け、吸い込まれるようにうたた寝していた。満腹と軽い酔い、そしてこのところの睡眠不足が、強力な睡魔に姿を変えたのだ。
居間から物音がしないことに気づいた一洋が台所から顔を覗かせ、その様に目を細める。そっと掛けられた毛布に、眠りの中の志貴が気づくことはなかった。
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