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10章 ※
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大本営発表で山本五十六元帥――没後に元帥号が追賜された――の戦死が報じられたのは、金曜日だった。
翌々日の日曜日は柔道の練習日だったが、主催者である衛藤一洋中佐から中止の連絡が前日に入り、それに続く親睦会も自然となくなった。
公使館に立ち寄った黒木経由で、しばらく会いに行けないという短い伝言を受け取った志貴は、正直拍子抜けした。もし一洋が気落ちしていたら、話を聞く相手にはなれると少々気負っていたのだ。
敬愛する提督を喪ったところで、本国からも海上勤務からも隔たった後方支援の駐在武官という立場で、一洋に今できることは殆どない。だからこその鬱屈を抱えているのでは、と密かに心配していたのだが、同胞が戦死した際の儀式やしきたりが、海軍にはあるのだろうか。
不意に空いた日曜日。
梶を訪ねるふりで、こっそり公使館で仕事をしようかと思っていた志貴の目論見は、突然の訪問者によって儚く潰えた。
「よくもまあ計ったように、隙を突いて邪魔しにきますね、貴方は……」
「失敬な。以心伝心と言いたまえ。……と言いたいところだが、衛藤の頼みだ。志貴にちゃんと食べさせて、きちんと眠るのを監視してほしいと。まったく私を何だと思っているんだ、あいつは!」
「……お怒りごもっとも。ぜひこのまま回れ右して、有意義な休日を過ごしてください」
「私の小さな志貴の面倒を見る以上に、有意義な休日の過ごし方があるものか。忌々しいのは、衛藤がそれを独占してきたことであって、君を可愛がるのに休みを費やすのはまったく本望だ」
嗚呼、と志貴はその場に頽れそうになった。
一洋の目がなくなり――欲に駆られた獣に堕とされることなく休日を過ごせると思ったのに、ある意味さらに厄介な代役が用意されていた。監視の目がないのをいいことに、休暇を装いつつ仕事をしようと企む年下の幼馴染の浅慮など、一洋にはとうにお見通しだったのだ。
それにしたってこの人選は酷い、と志貴は用意周到な一洋を恨めしく思った。ジェイムズが相手では、言いくるめて追い返すなど、何人にも不可能だ。
「君の家の家政婦は大変な料理上手だと、衛藤が絶賛していたぞ。一昨日の夕食が駄目になったから、今日は相伴しにきたのだ。――ああ、貴女か、ごきげんよう。今日は世話になる」
ここだけスペイン語で、ガルシア夫人に聞こえるように言うジェイムズが憎たらしい。丁寧に挨拶され手土産まで渡されて、彼女はすっかり機嫌を良くし、突然現れた怪しい紳士が、連合国のイギリス人ではあるものの、衛藤とも親しい志貴の友人だと思い込んでしまった。
ガルシア夫人は、この家の精神的な門番だ。彼女が認めたということは、ジェイムズはいつでも歓待される客人になったことを意味する。
(最悪だ……)
つまり、今後、無下に食事の誘いを断れば、家に押し掛けられるということだ。
翌々日の日曜日は柔道の練習日だったが、主催者である衛藤一洋中佐から中止の連絡が前日に入り、それに続く親睦会も自然となくなった。
公使館に立ち寄った黒木経由で、しばらく会いに行けないという短い伝言を受け取った志貴は、正直拍子抜けした。もし一洋が気落ちしていたら、話を聞く相手にはなれると少々気負っていたのだ。
敬愛する提督を喪ったところで、本国からも海上勤務からも隔たった後方支援の駐在武官という立場で、一洋に今できることは殆どない。だからこその鬱屈を抱えているのでは、と密かに心配していたのだが、同胞が戦死した際の儀式やしきたりが、海軍にはあるのだろうか。
不意に空いた日曜日。
梶を訪ねるふりで、こっそり公使館で仕事をしようかと思っていた志貴の目論見は、突然の訪問者によって儚く潰えた。
「よくもまあ計ったように、隙を突いて邪魔しにきますね、貴方は……」
「失敬な。以心伝心と言いたまえ。……と言いたいところだが、衛藤の頼みだ。志貴にちゃんと食べさせて、きちんと眠るのを監視してほしいと。まったく私を何だと思っているんだ、あいつは!」
「……お怒りごもっとも。ぜひこのまま回れ右して、有意義な休日を過ごしてください」
「私の小さな志貴の面倒を見る以上に、有意義な休日の過ごし方があるものか。忌々しいのは、衛藤がそれを独占してきたことであって、君を可愛がるのに休みを費やすのはまったく本望だ」
嗚呼、と志貴はその場に頽れそうになった。
一洋の目がなくなり――欲に駆られた獣に堕とされることなく休日を過ごせると思ったのに、ある意味さらに厄介な代役が用意されていた。監視の目がないのをいいことに、休暇を装いつつ仕事をしようと企む年下の幼馴染の浅慮など、一洋にはとうにお見通しだったのだ。
それにしたってこの人選は酷い、と志貴は用意周到な一洋を恨めしく思った。ジェイムズが相手では、言いくるめて追い返すなど、何人にも不可能だ。
「君の家の家政婦は大変な料理上手だと、衛藤が絶賛していたぞ。一昨日の夕食が駄目になったから、今日は相伴しにきたのだ。――ああ、貴女か、ごきげんよう。今日は世話になる」
ここだけスペイン語で、ガルシア夫人に聞こえるように言うジェイムズが憎たらしい。丁寧に挨拶され手土産まで渡されて、彼女はすっかり機嫌を良くし、突然現れた怪しい紳士が、連合国のイギリス人ではあるものの、衛藤とも親しい志貴の友人だと思い込んでしまった。
ガルシア夫人は、この家の精神的な門番だ。彼女が認めたということは、ジェイムズはいつでも歓待される客人になったことを意味する。
(最悪だ……)
つまり、今後、無下に食事の誘いを断れば、家に押し掛けられるということだ。
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