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10章 ※
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そもそもよほどのことでない限り、ジェイムズに逆らうのは得策ではない。所望されるままに志貴はコーヒーを淹れ、ジェイムズが持ってきた焼き菓子を軽くつまみ、寝室の椅子に置いてあったクマのぬいぐるみを居間のソファに持ってくるように促され、ガルシア夫人が腕を奮った昼食を共にした。
食後はレティーロ公園まで散歩に連れ出され、帰宅したらジェイムズの膝枕でクマを抱きながら横になる、という大変な苦行を強いられた。しなやかな黒髪を梳きながら、その手触りにジェイムズはいたくご満悦だったが、志貴の心は涙で暮れていた。
「……ジェイムズ。忘れているかもしれないけど、私はもう三十で、一児の父なんです……」
「ついこの間までお化けが怖くて一人で寝られなかった子が、大きくなったものだ」
「ついこの間じゃなくて、もう二十年以上前だから……」
彼の中の志貴は、初めて会った七才の夏から時を止めてしまっているらしい。その後何度も再会しているにもかかわらず、いつまでもこうして子供扱いをしてくる。
外務省に入省し、最初の任地としてイギリスに駐在していた時、志貴はよくロンドンにあるアスター家のタウンハウスに招かれた。そこで久しぶりに再会したジェイムズは、好きなだけ抱き締め頬ずりした後、当然のように膝枕を勧めてきたのだ。子供の頃ならいざ知らず、さすがにもう受け入れられないと拒否したが、有無を言わさず抱き上げられてベッドに運ばれ、強引に添い寝されるという悪夢が待ち構えていた。その場にいた人々は、またか、相変わらずだ、と笑うだけで、誰も助けてはくれなかった。
それ以来、ジェイムズには決して逆らうまい、と志貴は心に決めたのだ。勿論自発的な意志ではなく、抗えばさらに屈辱的なことを強いられると学んだからにほかならない。
「私の小さな志貴を毎週末独占していた衛藤はやはり許し難いが、逆に何故今週は譲ったのか気になるな」
「――見当は、ついているんでしょう」
「互いに海外通の海軍エリート。目を掛けられていたとしても不思議ではないな、山本提督に」
遠い異国でできることは何もなくても、生前の故人に思いを馳せ偲ぶことはできる。この休みを、一洋はそうして過ごすつもりなのだろう。そうした場に、その悲しみを共有できない者が踏み込む資格はない。
何の感慨も浮かべず口調も事務的な志貴を、ジェイムズが面白そうに見遣る。
「志貴がこれほど冷静なのは、少々予想外だったが」
「私は面識のない方ですから」
「では面識のある私が死ぬようなことがあれば、敵国人であっても悲しんでくれるか?」
「友人を追悼するのに国籍は関係ありません。そもそも貴方は私より長生きしますから、その質問は無意味です」
「こうして手厚く労っているのに、何故十三年下の君が、私より早く逝くなどと考えるのだ」
「こうしている一秒毎に、貴方が私の精神的寿命を削っているからですよ……!」
「ハッハ! 志貴は面白いことを言うな。だが気のせいだ、安心して身を委ねたまえ」
貝のように、志貴は口を噤んだ。
食後はレティーロ公園まで散歩に連れ出され、帰宅したらジェイムズの膝枕でクマを抱きながら横になる、という大変な苦行を強いられた。しなやかな黒髪を梳きながら、その手触りにジェイムズはいたくご満悦だったが、志貴の心は涙で暮れていた。
「……ジェイムズ。忘れているかもしれないけど、私はもう三十で、一児の父なんです……」
「ついこの間までお化けが怖くて一人で寝られなかった子が、大きくなったものだ」
「ついこの間じゃなくて、もう二十年以上前だから……」
彼の中の志貴は、初めて会った七才の夏から時を止めてしまっているらしい。その後何度も再会しているにもかかわらず、いつまでもこうして子供扱いをしてくる。
外務省に入省し、最初の任地としてイギリスに駐在していた時、志貴はよくロンドンにあるアスター家のタウンハウスに招かれた。そこで久しぶりに再会したジェイムズは、好きなだけ抱き締め頬ずりした後、当然のように膝枕を勧めてきたのだ。子供の頃ならいざ知らず、さすがにもう受け入れられないと拒否したが、有無を言わさず抱き上げられてベッドに運ばれ、強引に添い寝されるという悪夢が待ち構えていた。その場にいた人々は、またか、相変わらずだ、と笑うだけで、誰も助けてはくれなかった。
それ以来、ジェイムズには決して逆らうまい、と志貴は心に決めたのだ。勿論自発的な意志ではなく、抗えばさらに屈辱的なことを強いられると学んだからにほかならない。
「私の小さな志貴を毎週末独占していた衛藤はやはり許し難いが、逆に何故今週は譲ったのか気になるな」
「――見当は、ついているんでしょう」
「互いに海外通の海軍エリート。目を掛けられていたとしても不思議ではないな、山本提督に」
遠い異国でできることは何もなくても、生前の故人に思いを馳せ偲ぶことはできる。この休みを、一洋はそうして過ごすつもりなのだろう。そうした場に、その悲しみを共有できない者が踏み込む資格はない。
何の感慨も浮かべず口調も事務的な志貴を、ジェイムズが面白そうに見遣る。
「志貴がこれほど冷静なのは、少々予想外だったが」
「私は面識のない方ですから」
「では面識のある私が死ぬようなことがあれば、敵国人であっても悲しんでくれるか?」
「友人を追悼するのに国籍は関係ありません。そもそも貴方は私より長生きしますから、その質問は無意味です」
「こうして手厚く労っているのに、何故十三年下の君が、私より早く逝くなどと考えるのだ」
「こうしている一秒毎に、貴方が私の精神的寿命を削っているからですよ……!」
「ハッハ! 志貴は面白いことを言うな。だが気のせいだ、安心して身を委ねたまえ」
貝のように、志貴は口を噤んだ。
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