トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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13章

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 そんな男が相手であっても、閉塞した状況で和平工作の糸口を掴めたのは、僥倖としか言えなかった。思いがけなく手に入った、最後の希望――命と引き換えに父が残してくれた、偉大なる遺産だ。
 ただし個人の友誼だけで成立するほど、外交とは甘いものではない。悪童には遊び場でも、これは祖国防衛の最前線だ。慎重かつ確実に、事を進めなければならない。悠長に構えている余裕はないが、拙速に勇み足を踏んで貴重なチャンネルを潰すことだけは、絶対に避けなければならなかった。

「ご存知の通り、今の外務大臣は父の後任の駐英大使だった方で、貴国と縁がある。まずは梶さんを説得し、そこから上奏ルートを確保します――必ず。お二人に、非国民の汚名を着せることになるかもしれませんが」
「非国民、大いに結構。そもそも自称愛国者という輩は、大抵国益を損うのだ。――非国民に乾杯!」

 呑気な調子でグラスを掲げるジェイムズに、志貴は苦笑しつつも付き合った。とりあえずここに、たった二人の日英同盟は成ったのだ。
 深刻な顔をしたところで、事が上手く運ぶわけでもない。異星人であっても気の置けない相手と、美味しい食事を素直に楽しむのは、心身を健康に保つのに必要なことだ。
 それに、不在の時も食事を疎かにしない、と一洋に約束させられている。反故にすれば何をされるかわからない相手だけに、誰かと共に食事を摂り、いざという時の証人となってもらうのは、保身のためでもある。

 仕事で一洋がマドリードを離れて、かれこれもう一月半。
 軍人である一洋がその任務を他言することはなく、これまでも日帰りのような口ぶりで不在を告げ、それが一月にも及ぶ長期の出張となったことは何度かあった。
 スペインは、大西洋と地中海を繋ぐ世界屈指の要衝であるジブラルタルと国境を接している。ジブラルタルはイギリス領のため、敵国人である日本人は入境できないが、対岸の北アフリカにあるスペインの飛び地タンジールは、連合国の軍艦の航行を監視するのに最適で、志貴も梶に同行し視察に訪れたことがある。また、日本の欧州外交の中心である駐ドイツ大使は、ヒトラーに心酔し親交も深いことで絶大な発言力を有し、他国に駐在している外交官や武官をたびたびベルリンに呼びつけていた。
 マドリードに戻った一洋の手料理に馴染みの薄い香辛料が使われたり、スペインでは食べたことのない風味の燻製肉が出されることで、その行き先を窺い知ることもあったが、志貴は訊ねることはしなかった。軍人も外交官も、その任務には常に守秘義務がつきまとう。

 しかしこの和平交渉は、志貴一人の胸に収めておけるものではなかった。一人で抱え込むべきものでもなかった。
 失敗も挫折も許されない交渉を、一人だけで進める知恵と技量が自身にあると過信するほど愚かではない。志を同じくする一洋を仲間とし、第一の布石である梶を説得する道筋を考えようと、志貴は算段を始める。
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