トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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18章

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 ぐうの音も出ない言葉に、志貴は黙って居間に引き下がった。外交官としてはさておき、台所ではまったくの役立たず、とガルシア夫人から烙印を押されていることは、直接言われたことはなくても薄々察している。
 それが日本男子だと開き直るには、周囲の人間が邪魔をした。幸か不幸か、志貴の身近にいる男──一洋は勿論、食道楽の梶も料理好きで、器用に台所仕事をこなす。後片付けも厭わず、食器から流し台までピカピカに磨き上げる完璧さは、ガルシア夫人に強い感銘を与えていた。
「それに比べて矢島さんは」と口には出さない彼女は、やさしい人なのだ。頑なに、こうして一洋を操ってまで、志貴が台所に立ち入ることを阻止しようとするだけで。
 
(……仕事しか取り柄がないのに、このザマか)

 居間のソファで一洋を待ちながら、ため息が洩れた。一日私用で外出していた自分とは異なり、おそらく和平交渉のために動いていた一洋の時間を無駄にしたことに、罪悪感が込み上げてくる。
 それでも──後悔はなかった。
 テオバルドにも志貴にも、この遠出は必要なものだった。何故かテオバルドは、志貴に故郷を見せたがった。その理由を知りたい、彼を側に留めたいという切迫した欲求に、志貴は抗えなかった。二人の関係を変える名──恋人と呼ばれることになっても。

──志貴、恋人と呼べよ。
──……飼い主と兼任なら、考える。

 短慮だったかもしれない。しかし、ああ答えるしかなかった。
 これからの二人の形は、どう変わるのだろう。飼い主とその犬であれば、依頼主とスパイの延長だと強弁できた。しかし恋人という関係は、最早言い逃れはできない。

──強弁。言い逃れ。誰に対する……?

 身勝手な自身の行為が、知らず二人の男へ向けられていることに、志貴は気づく。
 自身の不実は、とうに自覚している。テオバルドには唇と恋情を、一洋には想い人の身代わりと慕情を捧げて繋ぎとめる。それが日常となって久しい。
 必要とする男たちを自らに執着させるために、手段など選んでいられない。だから志貴は同時に二人の手を掴み、唯一の相手のように振る舞いながら、それを隠した。
 弄ぶためではない。自身の弱さを補い、使命を果たすため。母国を──大切な家族を守るためだ。
 和平を成すためという大義が、不道徳さをも飲み込んでくれる。
 そう覚悟を決めて、二人の男と歪な絆を結んだ時、開き直りとも違う妙な解放感があった。殻を破り、強かさという新たな皮膚を得て、どんな陸地でも生きられるような万能感に、それは似ていた。
 しかし実際は、二人に依存しているだけなのだ。志貴自身の強度が増したわけではない。
 そしてこの関係が露呈した時、志貴を裁くのは大義などではない。強く執着する男たちだ。

(テオバルドとのことを、もし兄さんに知られたら)

 突如浮かんだ、冷ややかな危惧。さきほどの、珍しく剣呑な態度が思い出される。
 母国を愛し軍人として強い使命感を抱く同志は、何があろうと、和平を成すために尽力するだろう。円滑な任務遂行のために、表面上は変わることもないかもしれない。
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