トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

文字の大きさ
211 / 237
18章

3

しおりを挟む
 ぐうの音も出ない言葉に、志貴は黙って居間に引き下がった。外交官としてはさておき、台所ではまったくの役立たず、とガルシア夫人から烙印を押されていることは、直接言われたことはなくても薄々察している。
 それが日本男子だと開き直るには、周囲の人間が邪魔をした。幸か不幸か、志貴の身近にいる男──一洋は勿論、食道楽の梶も料理好きで、器用に台所仕事をこなす。後片付けも厭わず、食器から流し台までピカピカに磨き上げる完璧さは、ガルシア夫人に強い感銘を与えていた。
「それに比べて矢島さんは」と口には出さない彼女は、やさしい人なのだ。頑なに、こうして一洋を操ってまで、志貴が台所に立ち入ることを阻止しようとするだけで。
 
(……仕事しか取り柄がないのに、このザマか)

 居間のソファで一洋を待ちながら、ため息が洩れた。一日私用で外出していた自分とは異なり、おそらく和平交渉のために動いていた一洋の時間を無駄にしたことに、罪悪感が込み上げてくる。
 それでも──後悔はなかった。
 テオバルドにも志貴にも、この遠出は必要なものだった。何故かテオバルドは、志貴に故郷を見せたがった。その理由を知りたい、彼を側に留めたいという切迫した欲求に、志貴は抗えなかった。二人の関係を変える名──恋人と呼ばれることになっても。

──志貴、恋人と呼べよ。
──……飼い主と兼任なら、考える。

 短慮だったかもしれない。しかし、ああ答えるしかなかった。
 これからの二人の形は、どう変わるのだろう。飼い主とその犬であれば、依頼主とスパイの延長だと強弁できた。しかし恋人という関係は、最早言い逃れはできない。

──強弁。言い逃れ。誰に対する……?

 身勝手な自身の行為が、知らず二人の男へ向けられていることに、志貴は気づく。
 自身の不実は、とうに自覚している。テオバルドには唇と恋情を、一洋には想い人の身代わりと慕情を捧げて繋ぎとめる。それが日常となって久しい。
 必要とする男たちを自らに執着させるために、手段など選んでいられない。だから志貴は同時に二人の手を掴み、唯一の相手のように振る舞いながら、それを隠した。
 弄ぶためではない。自身の弱さを補い、使命を果たすため。母国を──大切な家族を守るためだ。
 和平を成すためという大義が、不道徳さをも飲み込んでくれる。
 そう覚悟を決めて、二人の男と歪な絆を結んだ時、開き直りとも違う妙な解放感があった。殻を破り、強かさという新たな皮膚を得て、どんな陸地でも生きられるような万能感に、それは似ていた。
 しかし実際は、二人に依存しているだけなのだ。志貴自身の強度が増したわけではない。
 そしてこの関係が露呈した時、志貴を裁くのは大義などではない。強く執着する男たちだ。

(テオバルドとのことを、もし兄さんに知られたら)

 突如浮かんだ、冷ややかな危惧。さきほどの、珍しく剣呑な態度が思い出される。
 母国を愛し軍人として強い使命感を抱く同志は、何があろうと、和平を成すために尽力するだろう。円滑な任務遂行のために、表面上は変わることもないかもしれない。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

あなたの隣で初めての恋を知る

彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

処理中です...