トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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19章 ※

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 殆ど口をつけられることのないままテーブルの上のミルクは冷め、表面に浮いた膜が乾き始めている。どれほどの間そうしていたのか──ソファに座り込んだまま、時は過ぎていた。
 同じ日に二人の男から口づけられ、二人に求められていると知った時、志貴を貫いたのは悦びではなく、恐れだった。
 彼らと歪な絆を結ぶ根底には、和平を成すためという大義があった。
 諜報と工作。二つの任務を円滑に行うために不可欠な、二人の男。
 それ以上でも以下でもないはずの二人は、それぞれに任務の外でより深い関係となることを──志貴の愛を請い、その心を求めていた。一人はあからさまに、もう一人は長らく秘めたまま。
 同時に二人と、適切とは言えない関係を結んでいたことを、不実と詰られ、軽蔑される方がまだマシだった。
 テオバルドは以前から、一洋を恋敵扱いするような言動を取ることがあり、それは誤解だと──少なくとも彼の想いは志貴には向いていないという確信から、一洋との関係は嫉妬する必要もないのだと、そのたびに弁明した。本心からの言葉だった。
 しかしこうして一洋が恋情を剥き出しにし、飼い犬へのご褒美としてしか許していなかった口づけを望むままにする男となり、拒める立場にない志貴の足元は大きく揺らいでいる。
 誰も本当に欲しいものは手に入れられないからこそ成立していた、三人の関係は、二人の男がただ一人──拒む権利を持たない志貴を求めることで、砂上の楼閣より脆いものになってしまった。
 特に一洋とは、辛うじて体を交わらせてはいないが、かなり際どい性行為を重ねて一年以上が過ぎている。その間に、自慰では達することのできない体にされ、今では欲望を管理されるまでになっている。
 桐機関の実行部隊のリーダーと、設立者である日本公使館の一等書記官という、厳然たる公の立場があるテオバルドとは異なり、幼馴染で所属組織も異なる一洋は、公私の線を引きにくい。しかも一度は、すべてを捧げて自身に執着させようとした相手だ。
 あの時拒んだのが理性と自制心のためならば、それを取り払った一洋は、もう志貴を手に入れるのに躊躇しないだろう。それでも側にいてほしいと願うなら、志貴は一洋の想いに向き合わなければならない──彼が去らないやり方で。
 それはテオバルドとは公の付き合いに徹し、心を通い合わせるのはやめることを意味する。しかし、まさに今日、志貴は彼との関係に恋人という名を与えてしまったのだ。

──志貴、恋人と呼べよ。
──……飼い主と兼任なら、考える。

 あの言葉を取り消しても、テオバルドは納得せず、引き下がりもしないだろう。
 三年に亘る付き合いでわかる。テオバルドの本質は、煮えたぎるように熱く、情熱的だ。彼を完膚無きまでに押し潰した過去の下──冷え固まった溶岩の奥底に、マグマの核は今も生きている。志貴を見つめる男の目は、死んではいない。
 穏便に話し合いで解決できるとは、とても思えなかった。

(もう、あのひとの名を出すしか……)

 今も胸に刺さったままの小さなトゲ──テオバルドのかつての恋人が思い浮かぶ。
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