トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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19章 ※

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 そう願うのに、飼い犬の嗅覚は敏感だ。抱き合っているのをいいことに、頑なに顔を見せようとしない志貴の弱さを見逃さない。

「あれから、衛藤と何かあったのか」
「中佐、……兄さんは……」
 
 蔑まれたいなら、別れた後の出来事を教えるべきだった。
 テオバルドの邪推は邪推などではなく、一洋は幼い頃から志貴に恋情を抱いており、それを隠すのをやめたのだと。志貴には、彼を拒むつもりはないのだと。
 しかしそれを妨げるように、テオバルドが決めつける。

「俺たちのことを嗅ぎつけたのか。……あいつも犬だな、あんたの忠犬だ」

 耳朶に硬く鋭い感触が食い込み、志貴は身を強張らせた。
 痛みを感じる手前でそれは離れ、代わりにぬるりと舐められる。歯を立てられたのだと──甘噛みされたのだと気づき、恐れではないものが体の芯を貫く。
 噛み癖の付いた駄犬の、独占欲を滲ませる仕草を窘める権利は、もう志貴にはない。彼は志貴たちの無策のせいでその職務を半ばで手放し、この国を離れようとしている。
 スパイと連絡員。駄犬とその飼い主。
 これまで二人を繋ぎ、また隔ててきた肩書きは消えてしまった。残るのは、今日受け入れてしまった新たな呼び名──恋人だけだ。

「衛藤を手放すな。あいつはあんたの盾になる男だ」

 絞り出すような忠告に込められた激情を、志貴は自ら唇を重ねることで受けとめた。
 初めて志貴から求めた口づけに、テオバルドはすぐさま応え、あっという間に深く激しいものに変わる。
 つい数時間前、ひりつく空気の中鋭く視線を交わした相手に、恋人を託して去らねばならない男の無念と憤りが、執拗な舌の動きとなる。口内を乱暴にちゅくちゅくと掻き回されて、受けとめようとしても応えきれない。注がれる情が溢れるかのように、志貴の唇の端から唾液がこぼれる。

「ぁふっ……は、あ……」

 ようやく唇が離れ、堪えきれない吐息が重なる中、透明な雫が糸を引いて二人を結んだ。

「──あんたなら簡単だろう。そうやって濡れた目で見つめられたら、どんな男だって思うままに跪く。潤んで星みたいに揺らめいて、初心を匂わせて、したたかだ。性質の悪い手練れの悪女の手管に一度落ちてしまったら、逃げようという気にもなりゃしない」
「君は恋人を、悪女呼ばわりするのか」

 互いを詰るのも、もはや睦言だ。
 甘噛みの仕返しに、唇でテオバルドの耳朶をやわらかく食み、そのまま囁きを送り込む。去ろうとしている男が、最も欲しがる言葉を。

「私なら、恋人はやさしく可愛がりたい」

 途端に尻をきつく掴まれ、志貴は甘い呻きが洩れそうになるのをどうにか堪えた。食い込んだ指が尻たぶをいやらしく揉み、その淫靡な痛みが、はしたない体に別の男との夜を呼び起こす。
 テオバルドが焦がれた恋人は、他の男の愛撫に慣らされている。その体を、望むほどの価値もないと知らないまま、存分に貪ればいい。そして快楽に弱く脆い様を蔑み、手に入れたものの卑しさに失望して、後腐れなく背を向けてくれたらいい。
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