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第十五話 後編
臼井と神 3
しおりを挟む犬神里美との最後の会話を終え、改めて窓の外を見下ろすと、犬神絵美が立ち上がっていた
その視線の先、遠くからスタイリッシュなスーツを身に纏った男が歩いてきている
この暑い中、なぜ目立つようなスーツ姿なのか理解に苦しむ
髪を茶色に染めて、たまに日差しに反射して首周りのネックレスがキラッと光る
あれが、猿渡慎吾なのだろうか
臼井誠はまだ会ったことがない
だが、犬神絵美の反応を見る限り、猿渡慎吾なのだろうと見当はつく
さて、今から犬神絵美が猿渡慎吾と接触し、銃撃事件などの話を聞き出す
気を逸らせている間に、学生になりすました男女四人の若い警察官たちが側を通り、猿渡慎吾に勘づかれないように近寄り、そのまま確保へ乗り出す作戦だ
「なんだかなあ…」
臼井誠は腑に落ちずにいて、思わず呟いていた
これだけ隠れ逃げ回っていた男が、よく素直に誘い出てきたものだ
猿渡慎吾に何があったのだろうか
隠れてはいられない状況、それが猿渡慎吾を焦らせている
「立花桃を見つけて一緒にいるんだけど、あんたと話がしたいって言うから会ってくれないかな?立花の身を守る為に私も立ち会わせてもらうけど」
「本当に一緒なのか?じゃあ、今から行くよ!」
「いや、あんたは追われている身なんでしょ?簡単に会える状況じゃないし」
「夜なら紛れられるから、会いやすいって」
「あのね…私らは女なの!夜より昼間の方が安全よ!だからさ、追われてるあんたの事も考えて、人目の少ない場所で会いたいんだよ。御島崎にある大学、あそこなら私たちも、あんたも安全に会うことができるからさ」
「犬神ちゃん、こんな俺の為にそこまで考えてくれてんだあ」
「勘違いしないでよね。これは立花とあんたの問題なんだし、私はもう関わりたくは無いんだから…最後のチャンスってやつよ。その後は、海外へ行こうがなんだろうが、好きにすれば」
警察署内の一室で、臼井誠や栗原優、そして刑事たちが見守る中で、犬神絵美が猿渡慎吾に電話をした内容の一部だ
犬神絵美らしい言い回しで、臼井誠からすれば裏を感じない会話だった
その通り、何の疑いもなく猿渡慎吾は現れた
二階の窓からとはいえ、臼井誠は姿を見られないように、なるべく身を隠して様子を見守る
猿渡慎吾の姿が大きくなっていき、そしてついに、二人が接触した
立ち話のように向かい合い、二人は会話をしている
やはり立花桃の姿が無いせいか、こちらから見える限りでは、猿渡慎吾の表情が険しい
それでも、平然と会話をしている犬神絵美の姿が、とても頼もしかった
そして、猿渡慎吾の後方から、四人の若い男女がこちらへ歩いてくる
その四人の格好は、誰がどう見ても警察官ではなく、髪型から靴まで今時の学生としか思えず、臼井誠はその変装ぶりに感動した
楽しそうに話をしながら歩く姿がまた、キャンパスに溶け込みすぎていて、彼ら彼女らを警察官と疑う者がいるならば、外を出回って街を歩くことはできなくなるだろう
犬神絵美は後方へ視線を向けることなく、猿渡慎吾とまだ話をしている
たまに片手で髪を掻きむしりながら話す猿渡慎吾の姿が、会話に集中していることを教えてくれていた
作戦は順調に進んでいる
そしてついに、少し離れた形で四人が二人の横を通り過ぎようとしていた
その時、会話をしていた猿渡慎吾が、チラッと四人へ視線を向ける
一瞬、ドキッとしたが、猿渡慎吾はその四人が警察官だとは思っていないようで、再び視線を犬神絵美へ戻した
次の瞬間、四人の男女が一斉に猿渡慎吾の元へ近付き、その身柄を確保、のはずだった
「うそだろ…」
臼井誠は隠していた身を起こして、窓に張り付く
四人の男女が一斉に猿渡慎吾へ近付いたところまでは良かった
だが次の瞬間、猿渡慎吾は咄嗟にスーツの裏ポケットに隠していた銃を取り出し、犬神絵美へ向けていた
この暑い中でスーツを着ていた理由は、銃を隠し持つ為だったのだ
離れろ、と左手でしっしっと四人へ合図をしている
猿渡慎吾を確保したかと思った四人は、ほんの数十センチまで近付いておきながら、じわりと下がるしかない
臼井誠はゆっくりと窓のロックへ手を伸ばして、そっと窓を開ける
これで窓下の声が聞こえてくるはずだ
右手に持った銃を犬神絵美の胸元へ突きつけるように片腕を伸ばしている
犬神絵美は、じっと猿渡慎吾と銃を見比べながら睨みつけ、まるで次の行動へ移せるように身構えているようにも見えた
猿渡慎吾の声が聞こえてくる
「ったく!なに騙してんだよ!くそったれが!」
犬神絵美へ言っているようにもとれる台詞を大声で言い放つと、それを合図のように事態を察した刑事や警察官たちが、隠れていた場所から現れ出した
栗原優の姿もある
「はあ!?おいおい!俺もう詰んでんじゃねえか!ったくよー!!」
叫び散らす猿渡慎吾はかなりパニックになっている
このままでは犬神絵美の身が危ない
どうすれば…
刑事たちは説得するような口調で、猿渡慎吾に銃の構えを解くように伝えるが、それは建前よろしくでしかなく、猿渡慎吾は無反応だった
臼井誠は何か良い方法は無いかと考えるが、こんな状況は経験もなく、映画のヒーローのようには、なかなか思い浮かばないものだ
視線を窓の周囲へ移す
臼井誠の窓は、一階の入り口の上にあり、コンクリートの屋根がある
そうか、まずはここに降りて乗り、そっと猿渡慎吾の頭上へ近付ければ良い
その為だったかのような自分の居場所に運命を感じ、たまたま見やすい位置だったからという理由は頭から消した
だが、相手は銃を持っている
飛び付いたとしても、臼井誠の姿を見た猿渡慎吾が引き金を引く可能性がある
もっと、ほんの少しでも、判断を遅らせる方法はあるはずだ
だが、やはり一人でするべきでは無いのかもしれない
それでも時間は無いように思え、このジレンマに臼井誠は苛立ち始める
猿渡慎吾はまだ喚いていた
あの犬神絵美でさえも、猿渡慎吾のあまりの変貌ぶりに、ついに恐れるような顔をしていた
「………」
着信がなる、栗原優からだ
視線の先で栗原優がスマホを耳にあてていた
「…あ、兄貴!そっちから、絵美の様子はどんな感じっすか!?」
「大丈夫、まだ諦めてない、強気な顔で対峙してるよ」
つい、嘘をついた
「それならまだ安心っすね。兄貴、ここは俺らが動くしかないっすよ」
「何か考えが?」
「はい。実はさっき、八峰さんに連絡したんです」
「は、八峰さん?」
「はい。状況を説明したら近くにいるらしいんで、協力してくれるそうです」
「どういう作戦?」
「猿蟹合戦作戦っす!」
「……なんだって?」
「いや、兄貴の居場所を見て、凄い運命的な配置になってて…まず、猿蟹合戦の話を思い出してください。蟹が懸命に実らせた柿の木の実を、木に登れない蟹に代わって猿が親切なふりをして木に登って、全部を奪ったあげく、その柿を蟹に投げ付けて虐めた話っす。あれ、蟹の仇を取る為に、栗と蜂がそれぞれで猿を攻撃して、家から飛び出してきた猿を臼が上からドシンッと押し潰して、懲らしめましたよね?」
「栗…栗原くんか」
「はい!蜂は、八峰さん!」
「うすは僕で、猿が猿渡か」
「そうです!まあ、今回は柿は不在のままですが」
「……で?」
「運命的な配置してるんで、八峰さんが来たら、三人で猿渡を一斉に攻撃しましょう!」
臼井誠は辺りを見渡し、廊下に設置されている消火器を見つけ、それを持ち上げると急いで窓へ向かった
「…兄貴?兄貴?」
臼井誠は窓をそっと開け放ち、先にそっと消火器を屋根へ置き、次に自分の体を乗り越えさせた
「兄貴!何してんの!」
「…栗原君、面白い話だけど、そんな小説みたいに現実はうまくいかないよ。現実を見て、時間が無い。じっくり作戦を練ることも大切だけど、直感的に動くことが必要な時もあるんだよ。全力であがくんだ。僕らを信じて、今も耐えている絵美さんの為にもね…僕は動くよ」
「兄貴…」
「僕が猿渡を押さえるから、栗原君は絵美さんへ向けて、大きな声で、伏せろ!って言うんだ。栗原君の声なら、絵美さんはきっと反応してくれるはずだよ」
電話を切り、スマホを床に置いた
そっと猿渡慎吾の頭上付近まで近付く
消火器の黄色い安全ピンを外し、ズボンのポケットへ入れた
ノズルを右手に持ち、左手で消火器のレバーを支えて持ち上げた状態になる
大丈夫、上手くいくはずだ
犬神里美は言った
課題はクリアしたが、期間内に僕が死ぬ事はない
猿渡慎吾が頭上に気付いている様子はない
そりゃそうだ
影の薄さは、今までの人生にお墨付きをもらっている
影が薄い、臼井
こんな僕が、この状況を救ってみせる
…ふと、頭の中で曲が流れ出した
エリック・クラプトンの「change the world」だ
もしも、世界を変えられたのなら…
「……………よし」
意を決した臼井誠は、目標を定めて、怪我をしていない足で屋根のコンクリートを蹴り出した
体が一気に重力に引っ張られて下へと落ちていく
同時に、左手のレバーを握りしめると消火器から白い粉が一気に吹き出し、右手のノズルは狙いを定めていた猿渡慎吾の姿を消すように吹き出す
臼井誠の体が、噴射音と白い粉の塊が降ってきたことで事態を掴めずに反応できないでいる猿渡慎吾の体へ落下した
同時に、遠くから叫び声が聞こえる
「伏せろー!!!」
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