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「農地自体はたいした価値はないでしょう。そのはした金で譲るのは、適正と言えなくもない。しかし農夫に売り渡すよりも高く買い取ってもらえるレオノール氏に売るべきだと思いますがね」

 銀行が抵当権を設定しなかったのは事実である。だがそれは土地の価値よりも貴族の信用を高く評価してくれたのだ。その評価もこの契約で消滅する。

「農地を売ってしまったら僕が領地経営できないじゃん。じゃあ代わりに、牧草地で羊を飼わせてよ。公爵邸の一部をホテルに改造するのはどうかな。サラおばさんが育てたバラ園で結婚式をあげられたら人気が出ると思う。いくつか再建計画を考えて来たんだけど」

 今度は公爵とサラが顔を見合わせた。
 ポールは本気であとを継ぐつもりのようだ。

「ちょっと待ってください。今さらなかったことにするつもりですか」

 レオノールの一オクターブはね上がった。

「契約の席をもうけておいて失礼じゃないですか」トールもレオノールに味方した。「レオノール氏は公爵が破産するのを救おうとしてくださってるのに」

「それはそうなんだが」うつむき加減で公爵はもごもごと答えた。「ポールがせっかくやる気になってくれたんだ。試してみてもいいかもしれないと思うんだ。やり直せるんじゃないかと期待したい」

 期待の新人ポールは説得に熱が入る。

「羊もいいけど、領地は広いから馬や牛や豚も鶏も飼えると思うんだ。サラおばさんは……ごめん、おじさんとは離婚したのに、ずっとおばさんって呼んじゃってるけど、長い間、庭師の代わりをやってきたじゃない。花だけでなく果樹の手入れもしてきたわけでしょ。農夫と一緒に農業のやり方も見てきた。もし協力してくれたら僕はきっと新しいことにも躊躇なく挑戦できる気がするんだ」

 サラは心臓をおさえた。

(頼りないと思っていた甥っ子の口からこんな言葉が聞けるなんて)

 胸が高鳴って耳鳴りまで聞こえてきた。

(心臓が止まってしまいそう。だめよ、今死ぬわけにはいかないのよ)

「銀行から借りた分はきっとなんとかなるわ。わたくしが頭をさげて返済期限を延ばしていただきます。だいじょうぶ、わたくしに行かせてちょうだい」

「はは、身内びいきの冷静さを欠いた判断ですよ」レオノールがにやりと笑う。「ビジネスというのは情熱でカバーできるものじゃないんです。銀行も待ってくれません。トールくん、あれを出してあげてください」

 トールが仰々しく一枚の紙を公爵の前に置いた。『債権譲渡』という文字が見える。

「銀行の借金は払っておきました。債権は私の手に移っています。契約を断るなら債権をまるっと買い取っていただかないと」

 公爵をはじめ、ポールもサラも言葉を失った。
 ガイはずっと無言で成り行きを見守っている。
 トールとレオノールは顔を見合わせてうなづいた。これが切り札だったのだ。

「今さらひっくり返されては迷惑なんですよ」

「ひっくり返したいなら借金の総額と契約不履行の違約金を合わせてお支払いいただきましょうか」
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