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水瓶の水
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「それはいくらなんでも……」
「「絶対そうです!」」
「伝染病だとしたら、たちが悪いわ。疑いが晴れても喜べない。沢山の命が危険に曝されるかもしれない。どこから、どうやって感染していくのだろう。それを突きとめることができれば」
『所詮は下層民の病にすぎず』
そう思われている限り、本腰を入れてはくれないだろう。
「小月様!」韓桜が叫んだ。「国家の仕事です。小月様が関わることではありません」
安梅も呼応する。「病気は人を選びません。運が悪ければ死ぬだけです。神仏に祈る以外に私たちに出来ることなどありません」
「そうです。小月様は陛下の恩情に縋ればいいんです。輿入れ辞退を撤回してください」
小月は笑顔を作った。泣き笑いのような表情になっていないことを願うばかりだ。
「私の輿入れなんて小さなことよ。秀英にはもっと力を注ぐべき重大な責任がある。私達だって、祈る以外に出来ることがあるかもしれないでしょ。まずはここから出してもらう。そのほうが大事。私事を優先している場合じゃないわ」
侍女は黙りこくった。小月の言に納得したのか、これ以上言っても無駄だと思ったのかはわからない。
「張包が言っていたじゃない。病が下層民の間だけでしか流行っていなかったから、一部地域の病だったから、秀英に報告が上がらなかった。自分たちには関係がないと見て見ぬふり。それがとても悔しいのよ」
代わりに秀英を失うという選択は、ありえないほど愚かなことかもしれない。しかも今の自分は情けないほど無力で、選択肢が数多あるわけでもない。これは殆ど直感といえるものだった。
私には知識や知恵はない。直感や閃きを信じるしかないのだ。
ふと喉の渇きを覚えた小月は、大声で牢番を呼び、水を求めた。水の入った木碗を、礼を言って受け取る。
「あ」
水面に何かが蠢いている。薄暗いので目を凝らさないと見えない。だが既視感があった。
「ぼうふら……?」
「ぼうふらくらい浮いてますよ。水量が減ったら足すだけですから、水瓶は」と安梅。
「腐らない程度に水替えはしますけど、あっという間にわいてきますよね。あ、そういえば、平寧宮の水瓶、飲み水用に汲み置きしているあれ、何日も綺麗なままでしたね。除虫草のおかげかもしれませんね」
除虫草を一鉢置いてあるだけで、そこまで効果があるだろうか。
小月は飲み水の中に虫がいることに慣れていない。気にするなと言われても気になってしまう。故郷では、水瓶の水はいつも澄んでいた。井戸の水も、だ。
「ん?」
ある一つの可能性が頭に落ちてきた。小月は床に放置していた簪を掴む。
「もう待ってられないわ」
「ちょ……小月様、何をなさっているんですか?!」
「鍵穴ってけっこう単純な作りだったりしない?」
小月は簪を鍵穴に突っ込んで、上下左右に動かしてみた。自分からは見えないのでまさに手探りである。カチカチと金属音が響く。
「あ、なんかひっかかる」
途中に溝がありそうだ。何度か往復させたが小さな音を立てるだけで変化はない。一度抜いて、簪の先を鉄格子の重なった部分に差し込んで力を込めて曲げてみた。簪よりも鉄格子のほうが硬いと思ったからだ。手ごたえがあったと思ったら、簪が折れた。失敗した。
「あー」
侍女たちが呆れている。
短くはなったが先のほうが少し反れた。小月は再び簪で溝を探った。先端で溝を押す。カチャン。小気味いい音が鳴り、錠が外れた。
「「「やった!」」」
「そこまでだ」
小月の手首が掴まれた。力が強い。張包だ。いつの間にか彼が戻って来ていた。
「一歩でも出たら牢破りになる」
「わかってる。わかってるけど、どうしても確かめたいことがあるの」
張包は小月の手から簪を取り上げ、器用にもそれで鍵をかけた。
「張包さん!」
「あと少しで無実が立証されようとしているときに、罪を起こすの馬鹿だ」
「では張包さんにお願いします。平寧宮に行って水瓶を見てきてほしいの。水瓶の水が綺麗かどうか、ぼうふらがいるかどうか」
「それが何になる。少しくらい我慢出来ないのか。それより、お前が心配していたように、宦官が一人同じような症状で寝込んでいた。南岩医師がやっと認めた。毒ではないと。よかったな」
「よくないでしょ。このまま拡がったら……」
「それはお前が考えることではない」
張包は懐から三寸程度の金属の棒を取り出した。鍵穴に差す。
「張包さん?」
「全員解放する。『妃にはならない』と言ったことが見事に功を奏したな。解放はするが安全のため平寧宮に籠っていろ」
「なんでさっき鍵を閉めたの?」
「おまえが開けたら、牢破りで投獄しなければならないからだ」
不愛想な顔を盗み見る。張包の表情はいたって真面目だ。
黙っていればいいだけなのに、根っから堅物なのだと小月は思った。もっとも小月ががさつすぎるのかもしれない、とも考えた。宮廷のしきたりや慣習、世の中の法令や決まりごとに疎いからだ。そして時には疎いふりだってする。
「「絶対そうです!」」
「伝染病だとしたら、たちが悪いわ。疑いが晴れても喜べない。沢山の命が危険に曝されるかもしれない。どこから、どうやって感染していくのだろう。それを突きとめることができれば」
『所詮は下層民の病にすぎず』
そう思われている限り、本腰を入れてはくれないだろう。
「小月様!」韓桜が叫んだ。「国家の仕事です。小月様が関わることではありません」
安梅も呼応する。「病気は人を選びません。運が悪ければ死ぬだけです。神仏に祈る以外に私たちに出来ることなどありません」
「そうです。小月様は陛下の恩情に縋ればいいんです。輿入れ辞退を撤回してください」
小月は笑顔を作った。泣き笑いのような表情になっていないことを願うばかりだ。
「私の輿入れなんて小さなことよ。秀英にはもっと力を注ぐべき重大な責任がある。私達だって、祈る以外に出来ることがあるかもしれないでしょ。まずはここから出してもらう。そのほうが大事。私事を優先している場合じゃないわ」
侍女は黙りこくった。小月の言に納得したのか、これ以上言っても無駄だと思ったのかはわからない。
「張包が言っていたじゃない。病が下層民の間だけでしか流行っていなかったから、一部地域の病だったから、秀英に報告が上がらなかった。自分たちには関係がないと見て見ぬふり。それがとても悔しいのよ」
代わりに秀英を失うという選択は、ありえないほど愚かなことかもしれない。しかも今の自分は情けないほど無力で、選択肢が数多あるわけでもない。これは殆ど直感といえるものだった。
私には知識や知恵はない。直感や閃きを信じるしかないのだ。
ふと喉の渇きを覚えた小月は、大声で牢番を呼び、水を求めた。水の入った木碗を、礼を言って受け取る。
「あ」
水面に何かが蠢いている。薄暗いので目を凝らさないと見えない。だが既視感があった。
「ぼうふら……?」
「ぼうふらくらい浮いてますよ。水量が減ったら足すだけですから、水瓶は」と安梅。
「腐らない程度に水替えはしますけど、あっという間にわいてきますよね。あ、そういえば、平寧宮の水瓶、飲み水用に汲み置きしているあれ、何日も綺麗なままでしたね。除虫草のおかげかもしれませんね」
除虫草を一鉢置いてあるだけで、そこまで効果があるだろうか。
小月は飲み水の中に虫がいることに慣れていない。気にするなと言われても気になってしまう。故郷では、水瓶の水はいつも澄んでいた。井戸の水も、だ。
「ん?」
ある一つの可能性が頭に落ちてきた。小月は床に放置していた簪を掴む。
「もう待ってられないわ」
「ちょ……小月様、何をなさっているんですか?!」
「鍵穴ってけっこう単純な作りだったりしない?」
小月は簪を鍵穴に突っ込んで、上下左右に動かしてみた。自分からは見えないのでまさに手探りである。カチカチと金属音が響く。
「あ、なんかひっかかる」
途中に溝がありそうだ。何度か往復させたが小さな音を立てるだけで変化はない。一度抜いて、簪の先を鉄格子の重なった部分に差し込んで力を込めて曲げてみた。簪よりも鉄格子のほうが硬いと思ったからだ。手ごたえがあったと思ったら、簪が折れた。失敗した。
「あー」
侍女たちが呆れている。
短くはなったが先のほうが少し反れた。小月は再び簪で溝を探った。先端で溝を押す。カチャン。小気味いい音が鳴り、錠が外れた。
「「「やった!」」」
「そこまでだ」
小月の手首が掴まれた。力が強い。張包だ。いつの間にか彼が戻って来ていた。
「一歩でも出たら牢破りになる」
「わかってる。わかってるけど、どうしても確かめたいことがあるの」
張包は小月の手から簪を取り上げ、器用にもそれで鍵をかけた。
「張包さん!」
「あと少しで無実が立証されようとしているときに、罪を起こすの馬鹿だ」
「では張包さんにお願いします。平寧宮に行って水瓶を見てきてほしいの。水瓶の水が綺麗かどうか、ぼうふらがいるかどうか」
「それが何になる。少しくらい我慢出来ないのか。それより、お前が心配していたように、宦官が一人同じような症状で寝込んでいた。南岩医師がやっと認めた。毒ではないと。よかったな」
「よくないでしょ。このまま拡がったら……」
「それはお前が考えることではない」
張包は懐から三寸程度の金属の棒を取り出した。鍵穴に差す。
「張包さん?」
「全員解放する。『妃にはならない』と言ったことが見事に功を奏したな。解放はするが安全のため平寧宮に籠っていろ」
「なんでさっき鍵を閉めたの?」
「おまえが開けたら、牢破りで投獄しなければならないからだ」
不愛想な顔を盗み見る。張包の表情はいたって真面目だ。
黙っていればいいだけなのに、根っから堅物なのだと小月は思った。もっとも小月ががさつすぎるのかもしれない、とも考えた。宮廷のしきたりや慣習、世の中の法令や決まりごとに疎いからだ。そして時には疎いふりだってする。
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