37 / 55
明小月医師
しおりを挟む
「お、意識がしっかりしてきたな。小月、水を持ってきてくれ」
傍らの水瓶を覗いた小月は首を振る。「水は、だめ。新鮮じゃない。探しに──」
「おい、漏斗は持ってきたよな」
「え、はい」小月は懐から漏斗を出した。
「腐った水でいいから、下から飲ませてやろう」
「え、え、でも」
腐った水など飲ませたら腹を下してしまうのではないだろうか。脱水症状が酷くなるのは本末転倒だ。
「沸かすのが一番いいんだが、時間がもったいない。下から飲ませるなら汚水でも問題はないんだ」
きっぱりと言い切った李医師は男を裏返しにすると手際よく下半身を剥いた。小月は思わず後ろを向いた。
「お、おい、何すんだよ? え、おい、うわあ」
尻を剥かれた青年が弱々しく抗議する。
小月は今度は自分の裙を裂いた。隣の空いた瓶に移し替える。その際、薄布で水を濾した。
「小月、早く水を持ってこい!」
鼻先に腐った水の匂いがまといつき、小月は顔をしかめた。
「……ぼうふらを濾したのか、そうか」
小さく頷き、李医師は水瓶の水を漏斗に注いだ。
「ひゃあ、気持ち悪い」
「熱が出たのはいつだ?」
「……七日くらい前かな。よく覚えてねえ」青年は恥ずかしいのか顔を背けている。
「なら、お前は助かるだろう。尻から汚水を飲めるならな」
「……くそ」
「近くに井戸はありますか?」小月は目を逸らしながら訊いた。
「南端の壁際にある、けど……そんなに綺麗でもないぜ」
「ともかく、水を入れてきます」
小月は空になった瓶を持って駆け出そうとした。
すると戸口から、
「医者……?」「なんでいるんだ?」「医者だって……?」
覗き込む三つの顔が現れた。
「うちのを診てくれないか」
「おい、どけ、ばばあ。俺の子供が先だ」
「お願いです、父を診てください」
三人は小月の服を掴んでそれぞれの方向に引っ張る。
「順番に……順番に診ますから!」
力づくで三方に引くものだから、小月はその場に躓いてしまった。
「おい、何してるんだ! 小月、大丈夫か!」李医師は怒声をあげた。
「大丈夫です! 転んでる場合じゃないわ!」
小月はすぐに立ち上がった。そして呻いた。眼前には大勢の人間が蠢いていた。さきほどまで人の気配がなかった通りがすっかり埋め尽くされている。
「医者?」「医者みたいだぞ」「医者だってよ」さざ波のような伝言が拡がっていく。
「俺たちは死ぬのか」「閉じ込められて、もう出られないのか」「なんかの祟りなんだ」「外に出してくれ」「亡骸を弔いたい」
問いが問いを呼んで、まるで荒波のように襲いかかってくる。咆吼に飲まれて、小月の体が揺らいだ。
李医師が小月の怯んだ肩を叩いた。「しっかりしろ」
「は、はい!」
「ここに医者はいないのか?」
李医師が問うと、みな一様に首を振った。その中の一人が苛立ちを投げつけるように言う。
「医者は金持ちしか診ねえ」
「おっと、そうだった。じゃあ、手伝ってくれ。いくら俺が天才医師でも手が足りない」
「……何をしたらいいんだ?」最前の男が全員を代表して訊ねた。
李医師は小月の背を叩いた。「説明してやれ」
「私が?」
「おい、今から小月医師が指示を出すぜ! よく聞くんだぞ!」
小月はいきなりふられて面食らったが、震えそうな腿をぴしゃりと叩いた。沢山の人間がこちらを見つめている。真剣な顔、怪訝そうな表情、諦念を刻んだ眉間、歪めた口元。
「私は明小月という医者です。彼は李高有、栄の町の名医です。みなさんを診にきました。流行り病を恐れることはありません。適切な手当てをすれば助かる者は必ず助かります。私達はこれまでにも何人も……何百人もの患者を診てきました!」
「本当か」
「はい!」
嘘と笑顔で補強しただけの中身のない言葉だったが、小月は胸をはった。安堵の溜息がそこここで漏れた。
「この病は繰り返し熱が出ます。激しい悪寒と発汗が続きます。でも七日から十日乗り切れば必ず助かります。それ以上長引くことはありません!」
「その間に死ぬことだってあるだろ」「おい、黙ってろ」「うるさい、お前こそ」
「たしかに、体力のない者は死ぬでしょう。高熱は体力を奪います。一番注意すべきなのは脱水症状です。水を飲ませてください。綺麗な水をたっぷりと。それから滋養の──」
「綺麗な水う?」「井戸の水は濁ってるぞ」
「布袋はありませんか。布で濾して、その後は必ず火で沸かしてください」
背後から布を裂く音が聞こえた。振り返ると李医師が右腕の袖を破り取るところだった。とうとう李医師の両腕が剥き出しになってしまった。
「それを……?」
片側を結んだ袖を、李医師は最前の男に放った。男は袖を摘まみ上げてうろんな表情だ。
「井戸水を汲んだら、その布袋に入れて濾すんだ。濾した水を飲料用にする時は、面倒でも必ず沸かせ」
「……わかった」男は井戸水の管理を担当することになった。
小月は声を張り上げた。「今家にある水は病人に飲ませないでください! 古い水は全部捨ててください。そこのあなた、隣のあなた、あなたも! 井戸水を濾して、沸騰させてください! あの人を……あの、お名前は?」
小月は男に名を尋ねた。
「典弘だ」
「では井戸水の管理者、典弘さんを手伝ってあげてください」
傍らの水瓶を覗いた小月は首を振る。「水は、だめ。新鮮じゃない。探しに──」
「おい、漏斗は持ってきたよな」
「え、はい」小月は懐から漏斗を出した。
「腐った水でいいから、下から飲ませてやろう」
「え、え、でも」
腐った水など飲ませたら腹を下してしまうのではないだろうか。脱水症状が酷くなるのは本末転倒だ。
「沸かすのが一番いいんだが、時間がもったいない。下から飲ませるなら汚水でも問題はないんだ」
きっぱりと言い切った李医師は男を裏返しにすると手際よく下半身を剥いた。小月は思わず後ろを向いた。
「お、おい、何すんだよ? え、おい、うわあ」
尻を剥かれた青年が弱々しく抗議する。
小月は今度は自分の裙を裂いた。隣の空いた瓶に移し替える。その際、薄布で水を濾した。
「小月、早く水を持ってこい!」
鼻先に腐った水の匂いがまといつき、小月は顔をしかめた。
「……ぼうふらを濾したのか、そうか」
小さく頷き、李医師は水瓶の水を漏斗に注いだ。
「ひゃあ、気持ち悪い」
「熱が出たのはいつだ?」
「……七日くらい前かな。よく覚えてねえ」青年は恥ずかしいのか顔を背けている。
「なら、お前は助かるだろう。尻から汚水を飲めるならな」
「……くそ」
「近くに井戸はありますか?」小月は目を逸らしながら訊いた。
「南端の壁際にある、けど……そんなに綺麗でもないぜ」
「ともかく、水を入れてきます」
小月は空になった瓶を持って駆け出そうとした。
すると戸口から、
「医者……?」「なんでいるんだ?」「医者だって……?」
覗き込む三つの顔が現れた。
「うちのを診てくれないか」
「おい、どけ、ばばあ。俺の子供が先だ」
「お願いです、父を診てください」
三人は小月の服を掴んでそれぞれの方向に引っ張る。
「順番に……順番に診ますから!」
力づくで三方に引くものだから、小月はその場に躓いてしまった。
「おい、何してるんだ! 小月、大丈夫か!」李医師は怒声をあげた。
「大丈夫です! 転んでる場合じゃないわ!」
小月はすぐに立ち上がった。そして呻いた。眼前には大勢の人間が蠢いていた。さきほどまで人の気配がなかった通りがすっかり埋め尽くされている。
「医者?」「医者みたいだぞ」「医者だってよ」さざ波のような伝言が拡がっていく。
「俺たちは死ぬのか」「閉じ込められて、もう出られないのか」「なんかの祟りなんだ」「外に出してくれ」「亡骸を弔いたい」
問いが問いを呼んで、まるで荒波のように襲いかかってくる。咆吼に飲まれて、小月の体が揺らいだ。
李医師が小月の怯んだ肩を叩いた。「しっかりしろ」
「は、はい!」
「ここに医者はいないのか?」
李医師が問うと、みな一様に首を振った。その中の一人が苛立ちを投げつけるように言う。
「医者は金持ちしか診ねえ」
「おっと、そうだった。じゃあ、手伝ってくれ。いくら俺が天才医師でも手が足りない」
「……何をしたらいいんだ?」最前の男が全員を代表して訊ねた。
李医師は小月の背を叩いた。「説明してやれ」
「私が?」
「おい、今から小月医師が指示を出すぜ! よく聞くんだぞ!」
小月はいきなりふられて面食らったが、震えそうな腿をぴしゃりと叩いた。沢山の人間がこちらを見つめている。真剣な顔、怪訝そうな表情、諦念を刻んだ眉間、歪めた口元。
「私は明小月という医者です。彼は李高有、栄の町の名医です。みなさんを診にきました。流行り病を恐れることはありません。適切な手当てをすれば助かる者は必ず助かります。私達はこれまでにも何人も……何百人もの患者を診てきました!」
「本当か」
「はい!」
嘘と笑顔で補強しただけの中身のない言葉だったが、小月は胸をはった。安堵の溜息がそこここで漏れた。
「この病は繰り返し熱が出ます。激しい悪寒と発汗が続きます。でも七日から十日乗り切れば必ず助かります。それ以上長引くことはありません!」
「その間に死ぬことだってあるだろ」「おい、黙ってろ」「うるさい、お前こそ」
「たしかに、体力のない者は死ぬでしょう。高熱は体力を奪います。一番注意すべきなのは脱水症状です。水を飲ませてください。綺麗な水をたっぷりと。それから滋養の──」
「綺麗な水う?」「井戸の水は濁ってるぞ」
「布袋はありませんか。布で濾して、その後は必ず火で沸かしてください」
背後から布を裂く音が聞こえた。振り返ると李医師が右腕の袖を破り取るところだった。とうとう李医師の両腕が剥き出しになってしまった。
「それを……?」
片側を結んだ袖を、李医師は最前の男に放った。男は袖を摘まみ上げてうろんな表情だ。
「井戸水を汲んだら、その布袋に入れて濾すんだ。濾した水を飲料用にする時は、面倒でも必ず沸かせ」
「……わかった」男は井戸水の管理を担当することになった。
小月は声を張り上げた。「今家にある水は病人に飲ませないでください! 古い水は全部捨ててください。そこのあなた、隣のあなた、あなたも! 井戸水を濾して、沸騰させてください! あの人を……あの、お名前は?」
小月は男に名を尋ねた。
「典弘だ」
「では井戸水の管理者、典弘さんを手伝ってあげてください」
0
あなたにおすすめの小説
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
女性が少ない世界に転生した控えめ伯爵令嬢、なぜか五人の婚約候補に選ばれて少しずつ恋を知っていきます
ノッポ
恋愛
女性が極端に少ない異世界に転生した私は、気づけば伯爵令嬢になっていた。
前世は日本で普通に生きていたせいか、貴族令嬢らしい強気な振る舞いがどうしても苦手。
社交界デビューを迎えても、「どうして私が選ばれるの?」と戸惑うばかりだった。
けれど今年デビューする高位令嬢はわずか三人。
家同士の思惑も重なり、騎士団長家の息子、宰相子息、魔術師団長の息子、幼なじみの侯爵子息、そして英雄騎士――
五人の若きエリートとのお見合いが次々と始まってしまう。
遠慮がちで控えめな性格は、この世界では珍しく、気づけば少しずつ距離を縮めていく彼ら。
異世界での恋愛に戸惑う日々。けれど出会いを重ねるたびに、私は少しずつ変わっていく――。
女性希少世界で、自分の幸せを選べるようになるまでの逆ハーレム恋愛ファンタジー。
なんか、異世界行ったら愛重めの溺愛してくる奴らに囲われた
いに。
恋愛
"佐久良 麗"
これが私の名前。
名前の"麗"(れい)は綺麗に真っ直ぐ育ちますようになんて思いでつけられた、、、らしい。
両親は他界
好きなものも特にない
将来の夢なんてない
好きな人なんてもっといない
本当になにも持っていない。
0(れい)な人間。
これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。
そんな人生だったはずだ。
「ここ、、どこ?」
瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。
_______________....
「レイ、何をしている早くいくぞ」
「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」
「いや、れいちゃんは俺と手を繋ぐんだもんねー?」
「、、茶番か。あ、おいそこの段差気をつけろ」
えっと……?
なんか気づいたら周り囲まれてるんですけどなにが起こったんだろう?
※ただ主人公が愛でられる物語です
※シリアスたまにあり
※周りめちゃ愛重い溺愛ルート確です
※ど素人作品です、温かい目で見てください
どうぞよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる