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草の香り
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病人は続々と運ばれてくる。執着している暇などない。
男の病者を李医師が、女の病者は小月が担当することにした。病者の傍にいたいと願う家族には看護を手伝ってもらうことにした。それぞれの入口に布をかけて男女別の即席治療小屋が二つ完成した。
「お医者様が二人もいてくださるとは、心強いこと。ありがたいことです」
年配の女性が小月に感謝の言葉を告げた。小月の母親に面影が似ている。小月の胸はちくんと痛んだ。
小月の指示にみなが素直に従うのは、小月の嘘を信じているからだ。
「さあ、これを召し上がってください」
餃子屋の二徹が作ってくれた粟と稗のお粥。透けるほど薄いが溶き卵が入っている。卵は滋養がある。市に売りに行けなくなった卵売りが提供してくれたそうだ。
「さあ、貴女も」
餃子女こと暁丹は小月が勧めた椀を見て首を振った。
「熱湯に浸かって火傷もしない貴女なのに発熱に弱いわけないわ。そうでしょ」
暁丹は苦笑した。「あれには仕掛けがあるのよ。実は……」
「ううん。聞きたくない。実は話に聞いただけなの。治ったら見せてくれる?」
「治ったら……治るかしら」
「絶対に治るから、心配しないで」
「……わかった。治ったら先生に見せてあげるわ。その仕掛けがわかったら餃子を生涯無料にしてあげてもいい」
「楽しみだわ」
湯を届けに来た典弘が布を開けて顔を覗かせた。
「どうだい、大丈夫か」
「あ、駄目ですよ。男性は許可なく入ってきてはいけません」
漏斗を使うことがあるために決めたことだった。
「すまん、心配で。湯を持ってきたが、これくらいで足りるか?」
桶にはたっぷりの湯が入っている。透明度も高い。
「充分です。李医師のほうは足りているかしら」
「ああ、さっき持っていった」典弘は腕をぼりぼりと掻きながら顎をしゃくった。
「……蚊に刺されたの?」
「水場にいるとどうしてもな」
典弘の剥き出しの腕には赤い痕がいくつも浮き上がっている。
「でもよ、生まれつき蚊に刺されにくい体質の奴っているんだよな。井戸の水汲みしてる孟兄弟がそうなんだ。羨ましいぜ」
「蚊にも好みがあるのかしらね」
最近までは自分もそうだと信じていたけど。
「あれ、先生、あんた」
典弘は顔を近づけた。鼻先を小月の服にこすりつける。
「な、なになに?」
「孟兄弟と同じ匂いがするな」
「え……?」
小月は自分の服を嗅いだ。除虫草の香り。
「井戸にいけば孟兄弟に会えるの?」
「ああ、あ、おい……?」
典弘の返事を待たずに小月は駆け出していた。
孟兄弟はぜいぜい息を荒げる小月にぽかんとした顔を向けた。
診療所と井戸は小月が思っていたよりも距離があった。とはいえ、田舎で走り回っていたときは息が切れることなどなかったのに。身体がなまっていることが地味に衝撃だった。
「あ、あの、ちょっと聞きたいことが、あっ……て」
「先生、これでも飲んでください。湯冷ましですよ」
孟兄が差し出した水椀を小月は両手で抱えてごくごくと飲んだ。
「ぷはああっ!」
「いい飲みっぷりだ。封鎖がとけたら一緒に餃子屋で飯でもどうだい」
「おい、気安く誘うなよ、お医者の先生だぞ」孟弟が孟兄を窘めた。
「貴方たち、家の近くに除虫草があるでしょ?」
「除虫……草?」
兄弟はきょとんとした顔をする。
「それかわかんねえけど、家の中にも外にも草はたくさん生えてるけど」
「それがどうしたんだ?」
「見せてほしいの!」
「……はい」
小月の熱に押されて孟兄弟は訝しげに頷いた。
膝が震えた。孟兄弟の掘っ立て小屋は除虫草に囲まれている。小屋の外だけでなく、中も繁茂している。
緑の草原の光景が瞬時によみがえる。小月は目を瞑って深呼吸をした。
「せ、先生、大丈夫かい」
こわごわと声をかけた典弘の手を小月は引っ張った。
「これよ、これ。この草の絞り汁を体につけておくの。そうすると蚊が寄ってこなくなるから」
「そいつはありがてえ」
小月は典弘の全身に草の汁を塗りつけた。典弘は居心地悪そうな顔つきで孟兄弟に文句を言った。
「じゃあ、お前たちが蚊に刺されないのはこの草のおかげだったのかよ」
「……そういう体質だと思ってたんだよ」孟兄は不貞腐れた。
「あんた、外から来た医者だって?」
孟兄弟の隣の小屋から別の家族が顔を覗かせた。父親、母親、幼児三人。
小月が頷く間もなく、その家族は小月の足もとにひれ伏した。
「あ、あの?」
「役人に頼んでくれ。外に出たいんだ!」
「でも……」
「俺達家族は流行り病に罹ってる者は一人もいない。なのに南街区に住んでるってだけで閉じ込められたんだ。働きにも行けねえし、このままじゃ飢えて死んじまう。病人だらけのとこにいたら、いつか感染しちまう。お願いだ!」
男の病者を李医師が、女の病者は小月が担当することにした。病者の傍にいたいと願う家族には看護を手伝ってもらうことにした。それぞれの入口に布をかけて男女別の即席治療小屋が二つ完成した。
「お医者様が二人もいてくださるとは、心強いこと。ありがたいことです」
年配の女性が小月に感謝の言葉を告げた。小月の母親に面影が似ている。小月の胸はちくんと痛んだ。
小月の指示にみなが素直に従うのは、小月の嘘を信じているからだ。
「さあ、これを召し上がってください」
餃子屋の二徹が作ってくれた粟と稗のお粥。透けるほど薄いが溶き卵が入っている。卵は滋養がある。市に売りに行けなくなった卵売りが提供してくれたそうだ。
「さあ、貴女も」
餃子女こと暁丹は小月が勧めた椀を見て首を振った。
「熱湯に浸かって火傷もしない貴女なのに発熱に弱いわけないわ。そうでしょ」
暁丹は苦笑した。「あれには仕掛けがあるのよ。実は……」
「ううん。聞きたくない。実は話に聞いただけなの。治ったら見せてくれる?」
「治ったら……治るかしら」
「絶対に治るから、心配しないで」
「……わかった。治ったら先生に見せてあげるわ。その仕掛けがわかったら餃子を生涯無料にしてあげてもいい」
「楽しみだわ」
湯を届けに来た典弘が布を開けて顔を覗かせた。
「どうだい、大丈夫か」
「あ、駄目ですよ。男性は許可なく入ってきてはいけません」
漏斗を使うことがあるために決めたことだった。
「すまん、心配で。湯を持ってきたが、これくらいで足りるか?」
桶にはたっぷりの湯が入っている。透明度も高い。
「充分です。李医師のほうは足りているかしら」
「ああ、さっき持っていった」典弘は腕をぼりぼりと掻きながら顎をしゃくった。
「……蚊に刺されたの?」
「水場にいるとどうしてもな」
典弘の剥き出しの腕には赤い痕がいくつも浮き上がっている。
「でもよ、生まれつき蚊に刺されにくい体質の奴っているんだよな。井戸の水汲みしてる孟兄弟がそうなんだ。羨ましいぜ」
「蚊にも好みがあるのかしらね」
最近までは自分もそうだと信じていたけど。
「あれ、先生、あんた」
典弘は顔を近づけた。鼻先を小月の服にこすりつける。
「な、なになに?」
「孟兄弟と同じ匂いがするな」
「え……?」
小月は自分の服を嗅いだ。除虫草の香り。
「井戸にいけば孟兄弟に会えるの?」
「ああ、あ、おい……?」
典弘の返事を待たずに小月は駆け出していた。
孟兄弟はぜいぜい息を荒げる小月にぽかんとした顔を向けた。
診療所と井戸は小月が思っていたよりも距離があった。とはいえ、田舎で走り回っていたときは息が切れることなどなかったのに。身体がなまっていることが地味に衝撃だった。
「あ、あの、ちょっと聞きたいことが、あっ……て」
「先生、これでも飲んでください。湯冷ましですよ」
孟兄が差し出した水椀を小月は両手で抱えてごくごくと飲んだ。
「ぷはああっ!」
「いい飲みっぷりだ。封鎖がとけたら一緒に餃子屋で飯でもどうだい」
「おい、気安く誘うなよ、お医者の先生だぞ」孟弟が孟兄を窘めた。
「貴方たち、家の近くに除虫草があるでしょ?」
「除虫……草?」
兄弟はきょとんとした顔をする。
「それかわかんねえけど、家の中にも外にも草はたくさん生えてるけど」
「それがどうしたんだ?」
「見せてほしいの!」
「……はい」
小月の熱に押されて孟兄弟は訝しげに頷いた。
膝が震えた。孟兄弟の掘っ立て小屋は除虫草に囲まれている。小屋の外だけでなく、中も繁茂している。
緑の草原の光景が瞬時によみがえる。小月は目を瞑って深呼吸をした。
「せ、先生、大丈夫かい」
こわごわと声をかけた典弘の手を小月は引っ張った。
「これよ、これ。この草の絞り汁を体につけておくの。そうすると蚊が寄ってこなくなるから」
「そいつはありがてえ」
小月は典弘の全身に草の汁を塗りつけた。典弘は居心地悪そうな顔つきで孟兄弟に文句を言った。
「じゃあ、お前たちが蚊に刺されないのはこの草のおかげだったのかよ」
「……そういう体質だと思ってたんだよ」孟兄は不貞腐れた。
「あんた、外から来た医者だって?」
孟兄弟の隣の小屋から別の家族が顔を覗かせた。父親、母親、幼児三人。
小月が頷く間もなく、その家族は小月の足もとにひれ伏した。
「あ、あの?」
「役人に頼んでくれ。外に出たいんだ!」
「でも……」
「俺達家族は流行り病に罹ってる者は一人もいない。なのに南街区に住んでるってだけで閉じ込められたんだ。働きにも行けねえし、このままじゃ飢えて死んじまう。病人だらけのとこにいたら、いつか感染しちまう。お願いだ!」
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