江戸のアントワネット

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六十六、 高月のニセモノ

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「わちきにはなんのことだかわかりんせん」

「真琴はどうだ。正直に答えな」

「花魁の酒席にはかならずわっちもおりんす。梅蔵という幇間は見たことも聞いたこともないし、文を預かったこともありんせん」

「そうよな」半兵衛は納得顔でうなずいた。「次の道中で仙助はがっくりきたらしい。すぐそばを通ったにもかかわらず目を合わせてくれなかったと。恨み節を書いて梅蔵に託したら、その返事に仙助はまたぐっときてしまったらしい」

「どんな返事だったのです?」

 女将は頬を紅潮させている。男女の文のやり取りに興味津々だ。

「辛いのはわちきも同じ、ふたりの仲はだれにも知られてはならないんでありんす。だれも知らなければ邪魔されることはない。外では知らんぷりしておくんなんし。とはいえども心と体は日々仙助さんを求めてやまぬのに、昨夜も今夜も、これから先も仙助さんとは似ても似つかない遊客に体を開かねばならないのがお職の勤め。年季明けまであと三年、ああ、苦しい。いっそ死んでしまえば楽だろうか、よよよ、とかなんとか」

 半兵衛が女形のように演じたものだから、一斉に笑いが起こった。

「笑い事じゃねえよ。高月は、おっと『仙助がいうところの高月』は文に簪を一本そえていた。わちきが死んだあとはこの簪を高月と思ってくれと。見覚えあるかい」

 半兵衛は懐から簪を出して高月に見せた。それは木でできていて、ところどころ漆が剥がれていた。

「こんなみすぼらしい簪、花魁のものじゃありんせん」

 高月の代わりに真琴が答えると、半兵衛が鼻で笑う。

「だよなあ。だけど仙助は信じちまった。高月の大切な宝物、母の形見の簪だって、文に書いてあった嘘をな。こうまで真心をもらったら、なんとしても応えなければ男がすたる。年季明けまで待ってられない。いますぐに身請けしたいと──」

「ちょっと待ってくださいよ。仙助は高月姐さんとふたりきりで会ったことがないんですよね。間夫じゃないんでしょ」白牛は困惑していた。「茶屋どころか妓楼さえ了知しない男がどうやったら身請けできるんですか」

「五百両。それだけあれば、高月は妓楼と直截話をつけることができる。つまりその五百両で借金を無にして自由の身になれる。そんな与太話をしたらしい。だが仙助に用意できる金高じゃねえ。かといって諦めることも叶わない。いっそあの世で添い遂げよう、つまり心中しようと文を書いたであった」

 講談師のような半兵衛の語りにみなが引き込まれた。気をもたせるように一拍置いて、息を吐く。そんな半兵衛にみなが耳をそばだてる。

「そしたら高月から返事がきた。九郎助稲荷で会いましょう」

「わちきは返事など書いておりんせん」

 高月が不快げに眉を寄せた。

「月のない夜、梅蔵の手引きでようやく仙助は愛しい高月と会うことができた。稲荷社の影で高月は裾を開いた。わちきの誠を受け取っておくんなまんし!」

「わちきは──」

 高月が声を荒らげるより先に女将が口を開いた。

「高月花魁はそんな安っぽい女ではございませんわ」

 その意見にはお照も同意だったが、女将の口から飛び出したことに驚いた。
 半兵衛は照れたように頭を搔いた。

「あくまで仙助の言い分ですから」

「それで心中も忘れてすっかり高月のニセモノに夢中になってしまったんですのね。きっとお金もどうにか掻き集めたんでしょうね」

「さすが女将だ、そのとおり」半兵衛は膝をぽんと打った。「勤番仲間に無理を言って金を借りまくった。それでも足りなくて夜分に藩屋敷を抜け出しては辻強盗までして、必死に五百両を積み上げた。三回目の逢瀬のときに高月に手渡したんだそうだ」

「それはたいしたもんだねえ」白牛はうっとりした顔で言う。「あたしもそこまで惚れられてみたいもんだ」

「恋にまっすぐなところはショーサンに値しますわ」

「ニセモノとはいえ、高月を名乗るだけの手管はあるのかもしれませんわね」

 女将も高月も肯う。

 お照だけは心中が晴れない。
 父は辻強盗に襲われて持ち金を全部奪われたうえに足を負傷した。そして腹立ちをお照に向けて追い出した。
 その辻強盗が実は仙助だった、などという偶然はなかろう。なかろうが、恋のためであろうがどうだろうが、仙助に好意など欠片も持てるわけがない。

「仙助は高月からの文を待った。吉原を出たら仙助の元に身を寄せると聞いていた。故郷に戻り次第迎え入れようと考えていた。ところが知らせはいっこうに来ない。梅蔵の姿も消えた。三浦屋を訪ねたら門前払い。仙助は途方に暮れた。江戸勤番も一年限り、いずれは国元へ帰らねばならない。ああ、騙されたと気づいたときには匕首を握っていた、とこういうわけだ」

 半兵衛は仙助が宝物のように大切にしていたという高月からの文を畳に広げた。

「花魁の字ではありんせん」

 真琴がきっぱりと言う。

「でもさ、仙助は高月姐さんと会ってるんだろ」

 白牛が問うと女将がふふと笑う。

「最初に会ったのは月のない夜。そのあとも雲の多い夜だったのではありませんか。オウセはだれにも見つからぬよう、社の濃い影に身をひそめて。となれば、ちょっと似てるだけのニセモノね」

「ニセモノニセモノ言いますけどね」半兵衛は腕を組んだ。「仙助は信じてるんだ。『おれが金を渡したのは本物の高月花魁だ』と言い張ってる」
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