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百十一、 乱戦
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白蓮教徒は牽き手ではなく、張りぼての中に潜んでいたのだ。
牽き手たちはなにがなにやらわからないといったようすでその場に固まっている。
藤堂が駆けつける姿を、お照は視界の端にとらえた。
お照は身を沈め、ローブの裾に手を突っ込んで、パニエの芯を取りだした。
「温操舵手! わたしがお相手します!」
裏切り者を殺しに来たのなら、わたしが逃げるわけにはいかない。お照は長物を握りしめた。
「そんなものでなにをする気だ」
温操舵手はお照を見てせせら笑う。
お照が握りしめているのは刀ではない。炭化するほど硬く焼いたバゲット(フランスパン)だ。もちろん意図して作った物ではない、単なる失敗作である。
「どけい!」
温操舵手がお照に斬りかかる。
どけとはどういう意味だ。女将を殺すことが優先なのか。そうはさせない。
お照は刺客の剣をバゲットで受けた。
「む」
バゲットに刃が食い込んだ。お照がバゲットをくるりと回転させると剣が弾け飛ぶ。
「むう」
「隙あり!」
温操舵手の胸をバゲットで突く。カンと硬い音がした。胸甲を着込んでいる。
「ひああ……!」
背後から家斉の怯えた声が聞こえた。教徒の一人が家斉を狙っているようだ。
「上様、こちらへ」
藤堂が割って入る。
刺客は三人。お照が対している温操舵手、藤堂が対している禿頭の男、もう一人は棒手裏剣の達人だ。棒手裏剣男は上覧台に上がってくる者を蹴り落とすだけでなく、近寄る番士に棒手裏剣を投じ、そのたびに確実に倒している。これでは番士の援護を期待できない。
「なぜ将軍を狙う。女将とわたしを殺しに来たのではないのか」
お照は問いかけた。
「考え方を変えたのよ」温操舵手は匕首を取り出して逆手に握る。「将軍を殺してこの国を我が物にする。そのほうが手っ取り早い」
「祖国はどうなってもいいわけ!?」
振り下ろされた匕首を避ける。上腕に熱が走った。
「帰れなければ諦めるしかなかろう。どこの港も幕府の手が回っているからな。ならばせめて……!」
「つまりやけくそってこと?」
バゲットで温操舵手の腿を殴った。大刀であれば肉を断つことができた。だがバゲットではせいぜいが痣を残す程度。
「く……!」
温操舵手が苦痛に呻いた。
お照は息を飲む。耕地屋で負った傷の場所を、お照は正確に覚えていた。あわよくばと思ったが予想外に効果があったようだ。じわりと滲む血と鼻を掠める腐臭。
「その傷……」
肉は壊死しているに違いない。足を切らねば、遠からず、温操舵手は死ぬだろう。
温操舵手の攻撃は目に見えて弱っていった。傷のせいで熱もあるようだ。
「おまえのように中途半端なやつを相手にはしていられん」
額の汗を拭い、温操舵手は端で動けなくなっていた家斉に向かった。足を引きずっている。もう傷を隠す気はないようだ。家斉は動けない。棒手裏剣男が家斉の小袖と袴を柱に縫い止めたからだ。
「た、助けてくれ、お照……!」
家斉は情けない声をあげた。
棒手裏剣男は家斉の心臓を狙う気はないようだ。とどめを刺すのは温操舵手と決めているのだろう。
横目で女将を探す。椅子に縮こまり、シャルルを抱きしめている女将の顔色は青白い。ローブの裾に棒手裏剣が刺さっていた。動こうにも動けないのだ。
藤堂は苦戦していた。対する禿頭男の息も上がっている。棒手裏剣男はそのようすに舌打ちして藤堂に向けて投擲の構えをした。
「藤堂さん!」
察した藤堂は棒手裏剣を瀬戸際で避けたが、禿頭男の剣を避けきれなかった。藤堂の手から太刀が滑り落ちた。お照以外の戦力は消えた。
「将軍を殺したって、日本はあなたのものにはならない!」
「仲間の仇を討つ。それでいい」
「松平……鬼頭でしょ、仲間を殺したのは」
「こいつのためにやったことだ」
温操舵手は家斉に匕首の切っ先を突きつけた。
「余のためではない。将軍の代わりなどいくらでもいる」
家斉は声を張ったが語尾は震えている。
「余を殺して気が済むなら殺せ。他の者すべての罪を余が背負うてやる」
それは家斉の精一杯の虚勢なのだろう。少しだけ見直した。とはいっても、将軍を見殺しにしたら連座で獄門が待っているだけだが。
お照は温操舵手の弱点を狙ってバゲットを叩きつける。
卑怯者でけっこう。
だが渾身の攻撃は、棒手裏剣に塞がれた。バゲットが粉々に砕けた。
お照はその場にくずおれた。もう武器がない。
「やはり中途半端なやつだ」
温操舵手が嘲笑する。
「……中途半端ってどういうことです」
「おまえは人を斬ることができない。だから大刀を持ってこなかった。その服なら隠すことができたはずだ。しなかったのは中途半端ということよ」
「当たり前でしょう。人殺しにはなりたくない!」
たとえだれかを守るためであっても、国を守るためであっても。望んで武器を振り回したいと思うやつは頭がおかしいのだ。
お照は奥歯を噛んだ。
牽き手たちはなにがなにやらわからないといったようすでその場に固まっている。
藤堂が駆けつける姿を、お照は視界の端にとらえた。
お照は身を沈め、ローブの裾に手を突っ込んで、パニエの芯を取りだした。
「温操舵手! わたしがお相手します!」
裏切り者を殺しに来たのなら、わたしが逃げるわけにはいかない。お照は長物を握りしめた。
「そんなものでなにをする気だ」
温操舵手はお照を見てせせら笑う。
お照が握りしめているのは刀ではない。炭化するほど硬く焼いたバゲット(フランスパン)だ。もちろん意図して作った物ではない、単なる失敗作である。
「どけい!」
温操舵手がお照に斬りかかる。
どけとはどういう意味だ。女将を殺すことが優先なのか。そうはさせない。
お照は刺客の剣をバゲットで受けた。
「む」
バゲットに刃が食い込んだ。お照がバゲットをくるりと回転させると剣が弾け飛ぶ。
「むう」
「隙あり!」
温操舵手の胸をバゲットで突く。カンと硬い音がした。胸甲を着込んでいる。
「ひああ……!」
背後から家斉の怯えた声が聞こえた。教徒の一人が家斉を狙っているようだ。
「上様、こちらへ」
藤堂が割って入る。
刺客は三人。お照が対している温操舵手、藤堂が対している禿頭の男、もう一人は棒手裏剣の達人だ。棒手裏剣男は上覧台に上がってくる者を蹴り落とすだけでなく、近寄る番士に棒手裏剣を投じ、そのたびに確実に倒している。これでは番士の援護を期待できない。
「なぜ将軍を狙う。女将とわたしを殺しに来たのではないのか」
お照は問いかけた。
「考え方を変えたのよ」温操舵手は匕首を取り出して逆手に握る。「将軍を殺してこの国を我が物にする。そのほうが手っ取り早い」
「祖国はどうなってもいいわけ!?」
振り下ろされた匕首を避ける。上腕に熱が走った。
「帰れなければ諦めるしかなかろう。どこの港も幕府の手が回っているからな。ならばせめて……!」
「つまりやけくそってこと?」
バゲットで温操舵手の腿を殴った。大刀であれば肉を断つことができた。だがバゲットではせいぜいが痣を残す程度。
「く……!」
温操舵手が苦痛に呻いた。
お照は息を飲む。耕地屋で負った傷の場所を、お照は正確に覚えていた。あわよくばと思ったが予想外に効果があったようだ。じわりと滲む血と鼻を掠める腐臭。
「その傷……」
肉は壊死しているに違いない。足を切らねば、遠からず、温操舵手は死ぬだろう。
温操舵手の攻撃は目に見えて弱っていった。傷のせいで熱もあるようだ。
「おまえのように中途半端なやつを相手にはしていられん」
額の汗を拭い、温操舵手は端で動けなくなっていた家斉に向かった。足を引きずっている。もう傷を隠す気はないようだ。家斉は動けない。棒手裏剣男が家斉の小袖と袴を柱に縫い止めたからだ。
「た、助けてくれ、お照……!」
家斉は情けない声をあげた。
棒手裏剣男は家斉の心臓を狙う気はないようだ。とどめを刺すのは温操舵手と決めているのだろう。
横目で女将を探す。椅子に縮こまり、シャルルを抱きしめている女将の顔色は青白い。ローブの裾に棒手裏剣が刺さっていた。動こうにも動けないのだ。
藤堂は苦戦していた。対する禿頭男の息も上がっている。棒手裏剣男はそのようすに舌打ちして藤堂に向けて投擲の構えをした。
「藤堂さん!」
察した藤堂は棒手裏剣を瀬戸際で避けたが、禿頭男の剣を避けきれなかった。藤堂の手から太刀が滑り落ちた。お照以外の戦力は消えた。
「将軍を殺したって、日本はあなたのものにはならない!」
「仲間の仇を討つ。それでいい」
「松平……鬼頭でしょ、仲間を殺したのは」
「こいつのためにやったことだ」
温操舵手は家斉に匕首の切っ先を突きつけた。
「余のためではない。将軍の代わりなどいくらでもいる」
家斉は声を張ったが語尾は震えている。
「余を殺して気が済むなら殺せ。他の者すべての罪を余が背負うてやる」
それは家斉の精一杯の虚勢なのだろう。少しだけ見直した。とはいっても、将軍を見殺しにしたら連座で獄門が待っているだけだが。
お照は温操舵手の弱点を狙ってバゲットを叩きつける。
卑怯者でけっこう。
だが渾身の攻撃は、棒手裏剣に塞がれた。バゲットが粉々に砕けた。
お照はその場にくずおれた。もう武器がない。
「やはり中途半端なやつだ」
温操舵手が嘲笑する。
「……中途半端ってどういうことです」
「おまえは人を斬ることができない。だから大刀を持ってこなかった。その服なら隠すことができたはずだ。しなかったのは中途半端ということよ」
「当たり前でしょう。人殺しにはなりたくない!」
たとえだれかを守るためであっても、国を守るためであっても。望んで武器を振り回したいと思うやつは頭がおかしいのだ。
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