江戸のアントワネット

あかいかかぽ

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五、 番所での聞き取り

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 半兵衛が指揮し、千太郎に手伝わせて引き上げられたそれは、残念なことに人形ではなく、亡骸なきがらだった。
 年の頃は十八、九の娘。白粉おしろいがまだらになった顔に口紅の朱だけがあざやかだ。
 足抜けしようとした女郎だろう、お歯黒どぶの幅を見誤って溺れ死んだのだろうとは半兵衛の言。
 検分のためにむくろは番所に運ばれた。土間に横たえられ、むしろをかけられている。

 おや、あれはなんだろう。

 女の片足が戸板からはみ出している。お照は目を凝らした。その足の甲が奇妙に折れ曲がっていた。

 折檻だろうか。
 逃げ出したくなって当然だ。

 お照は目を背けてぶるりと震えた。

「なんとむごいこと……」

「おや、あの足は……」

 いつのまにか後ろに立っていた女将がぽそりと呟いていた。
 お照と同じく、折檻のあとに気づいたようだ。

「女将さんは見ない方がいいです」

 天女のごとき女将に死の穢れは似つかわしくない。

「そうね、でも、息子が見つけてしまったものですから、わたくしも見ておかなければいけないわ」

「おい、おめーたちもついてこいよ。一応見つけたときの話を聞いとかなきゃいかんからな。シャルルとあんた、お照だっけか。他のもんはさあ、散った散った」

 呼び出されたのだろう、真琴もまもなくやってきた。
 現場にいた三人がそろった。



 番屋で、お照はむくろを見つけるまでの経緯をとつとつと語った。
 半兵衛は目をつぶったまま、うんうんとうなずいている。そして真琴に視線を移す。

「嬢ちゃんは三浦屋の高月たかつき付きの禿だったね」

「あい、そうでありんす。櫛を拾っていただきありがとうございんした。花魁にいただいたものですからなくすわけにはいきんせん」

 まだ七つ八つの年頃でありながら真琴の受け答えがしっかりしていることにお照はおおいに感心した。大人の前では廓言葉を意識して使うところも。
 三浦屋というのは吉原屈指の大見世だという。大見世で養われている禿は姉女郎に厳しくしつけられると聞いている。
 死体の胸もとに引っかかっていたと聞いても恐れ気もなく真琴は両手でしっかりと櫛を握りしめている。
 顔をあげた真琴と、視線が絡んだ。

「櫛が見つかってよかったわね」

「なくしたらきっと棒で殴られるでありんしょう」

「まあ、厳しいのね」

「物を大事にしない禿は躾けられるもんでありんす」

 当たり前のこととして受けとめる真琴は実に殊勝だ。
 一方、半兵衛はシャルルに問う。

「ふむ、シャルルは真琴が困っていたので助けようとした。そうだな」

「そうだよ。女の子が困っていたら助けるのが男の務めだもの」

 シャルルは真琴をちらと見て頬を赤らめた。
 真琴は微笑み返す。
 見ているこちらの頬にまで赤いものが移ってきそうだとお照は思った。

「文書上はこれで問題ない。もう帰っていいぞ」

 半兵衛は手を払った。
 あまりにあっさりとしたようすにお照はつい口を開いた。

「身元はわかったのですか」

「うん?」

「ホトケさんの身元です」

「いや、女郎の登録簿には見当たらないようだ。新入りかもしれんがな」

「どこの見世も名乗りあげないということでしょうか。無責任すぎませんか」

「ま、簿外の女郎は御法度ごはっとだからであろうな。検死が終わるまでに引き取り手が現われなければ浄閑寺じょうかんじにまかせることになっておる。おおかたしごきがきつくてお歯黒どぶに飛び込んだんだろう。首を吊ったり、刃物で胸をついたり、女郎の自害はよくあるからな」

 女郎の死体など見飽きたと言わんばかりだ。
 シャルルと真琴は、お照たちのやり取りに黙って耳を傾けている。
 ただ聞いているだけでなくお照の反応を面白がっているのは目のまたたきが物語っていた。
 お照はだんだんと腹が立ってきて、まなじりをつりあげて半兵衛をにらんだ。

「自害のようなもの、とおっしゃるのですか」

「自害でいいだろ。ざっと見たところ外傷はなかったからな」

「足はどうなんです。あの足で歩けたのでしょうか」

 両足の甲が折れていたのだ。逃げようがないと思うのだが。

「たしかに折れてはいたが……歩けたか歩けなかったかは決めつけがたい」

「いきすぎた折檻の途中で突然死んでしまったので、あわててどぶに捨てたのではないでしょうか」

「たとえそうだとしても、罪に問うのは難しいな」

「そんな莫迦な……」

「ここは吉原。苦界なのだ。女郎は毎日のようになんらかの理由で死んでいる。いちいち詮索せんさくしてはいられんのよ」

「……」

「さあ、もう帰れ」

 お照はあきれた。
 女郎とはいえ自分と同じ女である。女をまるで反故紙ほごしのように使い捨てして悪びれないのがここの流儀なのか。
 よくあることだとろくに調べもしない同心は怠慢ではないのか。

「ふん」

 鼻息をひとつ落として番屋を出る。外では千太郎が待っていた。

「お照ちゃん。調べはどうだったい」

「千太郎さん、吉原で働きたくはありません」

 開口一番にそう言うと、

「気持ちはわかるよ。いきなりホトケさんを見ちまったんだからな。だが女郎になるわけじゃないんだから、そう心配しなくてもいい」

 千太郎は宥めにかかる。

 吉原には三千人の女郎のほかに、その倍以上の人間がなんらかの生計を立てて暮らしている。千太郎が紹介した菓子舗もそのひとつだ。
 お照は女郎になるわけではない。
 それはそうなのだが、吉原に住むということは、苦界のいやなところも見ること聞くことになるのだ。
 自分だけよければいいというもんでもない。
 なにより役人がだらしないありさまが情けない。

「わっちは帰りんす」

 早く戻らないと怒られるからと真琴は番所を出るや走って帰った。
 その背を見送っていると、後ろから袖を引くものがいた。

「お姉さん、うちで働くんでしょ」

 シャルルが澄んだ瞳で見上げている。

「そうしたかったけど、自信ない」

「大丈夫だよ、ぼくが守るから」

「あら、おませなこと」

 口元が思わずほころんだ。

「死体は襲ってこないから大丈夫だよ」

 お照がむくろを怖がっていると思ったのだろうか、シャルルは語気強くそう言った。
 よくよく考えてみれば「大人」であるお照のほうがシャルルや真琴を気遣うべきだったのだ。

「シャルルはむくろが怖くないの?」

「怖くないよ。死体は見慣れてるから。そんなことより早くうちに来てよ。おいしいクレームキャラメルを食べさせてあげる。お母さまも待っているよ」

「くれ……?」

 それがどうやらお菓子の名前だと気づいたときには、お照はシャルルに手を引かれ、千太郎に背を押され、菓子舗の玄関戸を潜っていた。

 しかたない、凜然たる天女を待たせるわけにもいかない。

 こどもらしからぬ、なんとも不穏な言いようは、今は聞き流すことにした。
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