5 / 127
五、 番所での聞き取り
しおりを挟む
半兵衛が指揮し、千太郎に手伝わせて引き上げられたそれは、残念なことに人形ではなく、亡骸だった。
年の頃は十八、九の娘。白粉がまだらになった顔に口紅の朱だけがあざやかだ。
足抜けしようとした女郎だろう、お歯黒どぶの幅を見誤って溺れ死んだのだろうとは半兵衛の言。
検分のためにむくろは番所に運ばれた。土間に横たえられ、むしろをかけられている。
おや、あれはなんだろう。
女の片足が戸板からはみ出している。お照は目を凝らした。その足の甲が奇妙に折れ曲がっていた。
折檻だろうか。
逃げ出したくなって当然だ。
お照は目を背けてぶるりと震えた。
「なんとむごいこと……」
「おや、あの足は……」
いつのまにか後ろに立っていた女将がぽそりと呟いていた。
お照と同じく、折檻のあとに気づいたようだ。
「女将さんは見ない方がいいです」
天女のごとき女将に死の穢れは似つかわしくない。
「そうね、でも、息子が見つけてしまったものですから、わたくしも見ておかなければいけないわ」
「おい、おめーたちもついてこいよ。一応見つけたときの話を聞いとかなきゃいかんからな。シャルルとあんた、お照だっけか。他のもんはさあ、散った散った」
呼び出されたのだろう、真琴もまもなくやってきた。
現場にいた三人がそろった。
番屋で、お照はむくろを見つけるまでの経緯をとつとつと語った。
半兵衛は目をつぶったまま、うんうんとうなずいている。そして真琴に視線を移す。
「嬢ちゃんは三浦屋の高月付きの禿だったね」
「あい、そうでありんす。櫛を拾っていただきありがとうございんした。花魁にいただいたものですからなくすわけにはいきんせん」
まだ七つ八つの年頃でありながら真琴の受け答えがしっかりしていることにお照はおおいに感心した。大人の前では廓言葉を意識して使うところも。
三浦屋というのは吉原屈指の大見世だという。大見世で養われている禿は姉女郎に厳しくしつけられると聞いている。
死体の胸もとに引っかかっていたと聞いても恐れ気もなく真琴は両手でしっかりと櫛を握りしめている。
顔をあげた真琴と、視線が絡んだ。
「櫛が見つかってよかったわね」
「なくしたらきっと棒で殴られるでありんしょう」
「まあ、厳しいのね」
「物を大事にしない禿は躾けられるもんでありんす」
当たり前のこととして受けとめる真琴は実に殊勝だ。
一方、半兵衛はシャルルに問う。
「ふむ、シャルルは真琴が困っていたので助けようとした。そうだな」
「そうだよ。女の子が困っていたら助けるのが男の務めだもの」
シャルルは真琴をちらと見て頬を赤らめた。
真琴は微笑み返す。
見ているこちらの頬にまで赤いものが移ってきそうだとお照は思った。
「文書上はこれで問題ない。もう帰っていいぞ」
半兵衛は手を払った。
あまりにあっさりとしたようすにお照はつい口を開いた。
「身元はわかったのですか」
「うん?」
「ホトケさんの身元です」
「いや、女郎の登録簿には見当たらないようだ。新入りかもしれんがな」
「どこの見世も名乗りあげないということでしょうか。無責任すぎませんか」
「ま、簿外の女郎は御法度だからであろうな。検死が終わるまでに引き取り手が現われなければ浄閑寺にまかせることになっておる。おおかたしごきがきつくてお歯黒どぶに飛び込んだんだろう。首を吊ったり、刃物で胸をついたり、女郎の自害はよくあるからな」
女郎の死体など見飽きたと言わんばかりだ。
シャルルと真琴は、お照たちのやり取りに黙って耳を傾けている。
ただ聞いているだけでなくお照の反応を面白がっているのは目のまたたきが物語っていた。
お照はだんだんと腹が立ってきて、まなじりをつりあげて半兵衛をにらんだ。
「自害のようなもの、とおっしゃるのですか」
「自害でいいだろ。ざっと見たところ外傷はなかったからな」
「足はどうなんです。あの足で歩けたのでしょうか」
両足の甲が折れていたのだ。逃げようがないと思うのだが。
「たしかに折れてはいたが……歩けたか歩けなかったかは決めつけがたい」
「いきすぎた折檻の途中で突然死んでしまったので、あわててどぶに捨てたのではないでしょうか」
「たとえそうだとしても、罪に問うのは難しいな」
「そんな莫迦な……」
「ここは吉原。苦界なのだ。女郎は毎日のようになんらかの理由で死んでいる。いちいち詮索してはいられんのよ」
「……」
「さあ、もう帰れ」
お照はあきれた。
女郎とはいえ自分と同じ女である。女をまるで反故紙のように使い捨てして悪びれないのがここの流儀なのか。
よくあることだとろくに調べもしない同心は怠慢ではないのか。
「ふん」
鼻息をひとつ落として番屋を出る。外では千太郎が待っていた。
「お照ちゃん。調べはどうだったい」
「千太郎さん、吉原で働きたくはありません」
開口一番にそう言うと、
「気持ちはわかるよ。いきなりホトケさんを見ちまったんだからな。だが女郎になるわけじゃないんだから、そう心配しなくてもいい」
千太郎は宥めにかかる。
吉原には三千人の女郎のほかに、その倍以上の人間がなんらかの生計を立てて暮らしている。千太郎が紹介した菓子舗もそのひとつだ。
お照は女郎になるわけではない。
それはそうなのだが、吉原に住むということは、苦界のいやなところも見ること聞くことになるのだ。
自分だけよければいいというもんでもない。
なにより役人がだらしないありさまが情けない。
「わっちは帰りんす」
早く戻らないと怒られるからと真琴は番所を出るや走って帰った。
その背を見送っていると、後ろから袖を引くものがいた。
「お姉さん、うちで働くんでしょ」
シャルルが澄んだ瞳で見上げている。
「そうしたかったけど、自信ない」
「大丈夫だよ、ぼくが守るから」
「あら、おませなこと」
口元が思わずほころんだ。
「死体は襲ってこないから大丈夫だよ」
お照がむくろを怖がっていると思ったのだろうか、シャルルは語気強くそう言った。
よくよく考えてみれば「大人」であるお照のほうがシャルルや真琴を気遣うべきだったのだ。
「シャルルはむくろが怖くないの?」
「怖くないよ。死体は見慣れてるから。そんなことより早くうちに来てよ。おいしいクレームキャラメルを食べさせてあげる。お母さまも待っているよ」
「くれ……?」
それがどうやらお菓子の名前だと気づいたときには、お照はシャルルに手を引かれ、千太郎に背を押され、菓子舗の玄関戸を潜っていた。
しかたない、凜然たる天女を待たせるわけにもいかない。
こどもらしからぬ、なんとも不穏な言いようは、今は聞き流すことにした。
年の頃は十八、九の娘。白粉がまだらになった顔に口紅の朱だけがあざやかだ。
足抜けしようとした女郎だろう、お歯黒どぶの幅を見誤って溺れ死んだのだろうとは半兵衛の言。
検分のためにむくろは番所に運ばれた。土間に横たえられ、むしろをかけられている。
おや、あれはなんだろう。
女の片足が戸板からはみ出している。お照は目を凝らした。その足の甲が奇妙に折れ曲がっていた。
折檻だろうか。
逃げ出したくなって当然だ。
お照は目を背けてぶるりと震えた。
「なんとむごいこと……」
「おや、あの足は……」
いつのまにか後ろに立っていた女将がぽそりと呟いていた。
お照と同じく、折檻のあとに気づいたようだ。
「女将さんは見ない方がいいです」
天女のごとき女将に死の穢れは似つかわしくない。
「そうね、でも、息子が見つけてしまったものですから、わたくしも見ておかなければいけないわ」
「おい、おめーたちもついてこいよ。一応見つけたときの話を聞いとかなきゃいかんからな。シャルルとあんた、お照だっけか。他のもんはさあ、散った散った」
呼び出されたのだろう、真琴もまもなくやってきた。
現場にいた三人がそろった。
番屋で、お照はむくろを見つけるまでの経緯をとつとつと語った。
半兵衛は目をつぶったまま、うんうんとうなずいている。そして真琴に視線を移す。
「嬢ちゃんは三浦屋の高月付きの禿だったね」
「あい、そうでありんす。櫛を拾っていただきありがとうございんした。花魁にいただいたものですからなくすわけにはいきんせん」
まだ七つ八つの年頃でありながら真琴の受け答えがしっかりしていることにお照はおおいに感心した。大人の前では廓言葉を意識して使うところも。
三浦屋というのは吉原屈指の大見世だという。大見世で養われている禿は姉女郎に厳しくしつけられると聞いている。
死体の胸もとに引っかかっていたと聞いても恐れ気もなく真琴は両手でしっかりと櫛を握りしめている。
顔をあげた真琴と、視線が絡んだ。
「櫛が見つかってよかったわね」
「なくしたらきっと棒で殴られるでありんしょう」
「まあ、厳しいのね」
「物を大事にしない禿は躾けられるもんでありんす」
当たり前のこととして受けとめる真琴は実に殊勝だ。
一方、半兵衛はシャルルに問う。
「ふむ、シャルルは真琴が困っていたので助けようとした。そうだな」
「そうだよ。女の子が困っていたら助けるのが男の務めだもの」
シャルルは真琴をちらと見て頬を赤らめた。
真琴は微笑み返す。
見ているこちらの頬にまで赤いものが移ってきそうだとお照は思った。
「文書上はこれで問題ない。もう帰っていいぞ」
半兵衛は手を払った。
あまりにあっさりとしたようすにお照はつい口を開いた。
「身元はわかったのですか」
「うん?」
「ホトケさんの身元です」
「いや、女郎の登録簿には見当たらないようだ。新入りかもしれんがな」
「どこの見世も名乗りあげないということでしょうか。無責任すぎませんか」
「ま、簿外の女郎は御法度だからであろうな。検死が終わるまでに引き取り手が現われなければ浄閑寺にまかせることになっておる。おおかたしごきがきつくてお歯黒どぶに飛び込んだんだろう。首を吊ったり、刃物で胸をついたり、女郎の自害はよくあるからな」
女郎の死体など見飽きたと言わんばかりだ。
シャルルと真琴は、お照たちのやり取りに黙って耳を傾けている。
ただ聞いているだけでなくお照の反応を面白がっているのは目のまたたきが物語っていた。
お照はだんだんと腹が立ってきて、まなじりをつりあげて半兵衛をにらんだ。
「自害のようなもの、とおっしゃるのですか」
「自害でいいだろ。ざっと見たところ外傷はなかったからな」
「足はどうなんです。あの足で歩けたのでしょうか」
両足の甲が折れていたのだ。逃げようがないと思うのだが。
「たしかに折れてはいたが……歩けたか歩けなかったかは決めつけがたい」
「いきすぎた折檻の途中で突然死んでしまったので、あわててどぶに捨てたのではないでしょうか」
「たとえそうだとしても、罪に問うのは難しいな」
「そんな莫迦な……」
「ここは吉原。苦界なのだ。女郎は毎日のようになんらかの理由で死んでいる。いちいち詮索してはいられんのよ」
「……」
「さあ、もう帰れ」
お照はあきれた。
女郎とはいえ自分と同じ女である。女をまるで反故紙のように使い捨てして悪びれないのがここの流儀なのか。
よくあることだとろくに調べもしない同心は怠慢ではないのか。
「ふん」
鼻息をひとつ落として番屋を出る。外では千太郎が待っていた。
「お照ちゃん。調べはどうだったい」
「千太郎さん、吉原で働きたくはありません」
開口一番にそう言うと、
「気持ちはわかるよ。いきなりホトケさんを見ちまったんだからな。だが女郎になるわけじゃないんだから、そう心配しなくてもいい」
千太郎は宥めにかかる。
吉原には三千人の女郎のほかに、その倍以上の人間がなんらかの生計を立てて暮らしている。千太郎が紹介した菓子舗もそのひとつだ。
お照は女郎になるわけではない。
それはそうなのだが、吉原に住むということは、苦界のいやなところも見ること聞くことになるのだ。
自分だけよければいいというもんでもない。
なにより役人がだらしないありさまが情けない。
「わっちは帰りんす」
早く戻らないと怒られるからと真琴は番所を出るや走って帰った。
その背を見送っていると、後ろから袖を引くものがいた。
「お姉さん、うちで働くんでしょ」
シャルルが澄んだ瞳で見上げている。
「そうしたかったけど、自信ない」
「大丈夫だよ、ぼくが守るから」
「あら、おませなこと」
口元が思わずほころんだ。
「死体は襲ってこないから大丈夫だよ」
お照がむくろを怖がっていると思ったのだろうか、シャルルは語気強くそう言った。
よくよく考えてみれば「大人」であるお照のほうがシャルルや真琴を気遣うべきだったのだ。
「シャルルはむくろが怖くないの?」
「怖くないよ。死体は見慣れてるから。そんなことより早くうちに来てよ。おいしいクレームキャラメルを食べさせてあげる。お母さまも待っているよ」
「くれ……?」
それがどうやらお菓子の名前だと気づいたときには、お照はシャルルに手を引かれ、千太郎に背を押され、菓子舗の玄関戸を潜っていた。
しかたない、凜然たる天女を待たせるわけにもいかない。
こどもらしからぬ、なんとも不穏な言いようは、今は聞き流すことにした。
2
あなたにおすすめの小説
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる