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四十、 秋馬の詮議
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秋馬の部屋から証拠品として、高月花魁の肉筆画、ギヤマン瓶に入った赤黒くてどろりとした液体、同じくギヤマン瓶に入った薄黄色の液体が押収された。
場所は奉行所の詮議所に移る。
秋馬の取り調べにあたっては与力は姿を見せず、鬼頭と半兵衛が担当することになったそうだ。
縄を打たれた秋馬は青白い肌で、頬はげっそりとこけていた。
「無事ですか、秋馬さん。金棒で殴られたりしてませんか」
駆け寄ったお照を前に、秋馬は何度も目を瞬かせた。
「お照さん……? なんであなたが、ここに」
「秋馬さんが人殺しではないと証したいからです」
「人殺しなんてしていません。信じてください!」
「だが墓を暴いて死体を弄んだだろう」
「それは……」秋馬は目を伏せた。「墓場に行ったのはリンが採れねえかと考えたからです。邪な目的じゃないんです」
「リンをどうするんですか?」
お照はギヤマン瓶を手に取って透かし見た。リンを加えると発色がよくなるのだろうか。
「……話してもわかってもらえるとは思えねえ」
「でも言わないと人殺しの汚名を負うことになるんですよ」
秋馬は細い息を吐いてゆっくりと顔をあげた。
「高月花魁を描きたかっただけだ。きれいな赤で彩ってやりたかった」
鬼頭はお照の手の中のギヤマンを顎で指した。
「あれは人間の血だな」
「……へえ」
秋馬がうなずいた。
お照はうっかり瓶を落としそうになった。人間の血と聞いたとたん、重みが増した気がしたのだ。
「墓場の死体から搾り取ったか」
「死体からは搾れねえ。切っても出てこないんだ」
その口ぶりからは、どうやら試したことはあるようだ。お照の胸がひやりとなった。
「ではあの血はどうやって手に入れた」
お照はそっと木箱に瓶を戻す。うす黄色の瓶とぶつかってカチカチと音を立てた。
「おれの血だ」
「なんだと」
秋馬は淡々とした口調で恐ろしいことを語った。
「左腕の内側にみずから刃を当て、流れ出るおのれの血を溜めたんだ」
鬼頭が秋馬の腕を検めた。数条の傷がある。青白くやつれて見えたのは血を失いすぎたせいだったのだ。
「本当の話みたいですね」
お照が言うと鬼頭は首を振った。
「縄を打たれたときにできた痕かもしれねえ」
鬼頭は認める気がないらしい。お照は秋馬に向き直った。
「傷痕がいくつもあるということは、幾度も血を抜いたのですか」
「何回やっても上手くいかなくて、情けねえ……赤い色がどうしても固定できないんだッ」
秋馬は、自身の不甲斐なさを嘆いた。赤い顔料のためならおのれの命を削ることなど些細なことのようだ。
「そこでリンを使って固定しようとしたのですね。それは成功したのですか?」
お照が問うと、秋馬は悔しそうに眉を寄せて首を振った。
鬼頭が太い腕をお照の前に出して「もういいだろう」と制する。
「なにがいいんですか。まだわからないことがたくさん──」
「でたらめだ。見ろ、言い逃れをしようと企んでる顔だ」
「しかたないですよ」お照は大きな腕に負けまいと大声を張った。「鬼頭さんのこと、信用できないから本当のことを言えないんですよ」
「なんだとう」
半兵衛が、まあまあ、と口を挟んだ。
「幾度もやり直したという実験を聞いてみましょうよ。嘘かどうかは聞きゃあだいたいわかるもんです。ああ、言っときますがおれは鬼頭どのの味方です。だから納得がいくようにケリをつけましょ。賭けが流れちまわないようにね」
鬼頭は苛立ちながらも秋馬に答えるように促した。
秋馬はとつとつと語った。
「鉱物を混ぜることで固定できるかもしれないといろいろと試したんです。血をそのまま使うのではなく焼いたり煮詰めたり濾過したり、そんなことをしてたら、そのうち……」秋馬は眼差しで箱を示した。「あの薄黄色の液体になっちまって、ああ、失敗したと思ったんですが……」
全員が秋馬の視線を追った。木箱の中で赤黒く変色した血と隣り合うギヤマン瓶にはたしかに薄黄色い液体が入っている。
「これが血だと言うのか?」
鬼頭は険しい顔になる。眉尻がぐっと吊り上がり、逆八の字を描く。
「少量ずついろんな鉱物を混ぜてみたんですが、あるとき緑礬を入れてみたら、あ、緑礬は焼いて赤錆をつけて紅いベンガラにしたりするんで、うまくいけばと期待したんですけど、思わぬことが」
「思わぬこと?」
「青く変色したんです」
「鮮血が黄色になり、最後は青くなるだと。そんな莫迦な」
そこで半兵衛がぽんと手を打った。
「やってみましょう。ここでやってみればいいんですよ。秋馬が言うとおりになるのか」
「そうですよ。秋馬さんが口からでまかせを言っているのか、たしかめてみましょう!」
お照は、半兵衛の公平さと提案にひそかに感謝した。
さっそく実験が始まった。
場所は奉行所の詮議所に移る。
秋馬の取り調べにあたっては与力は姿を見せず、鬼頭と半兵衛が担当することになったそうだ。
縄を打たれた秋馬は青白い肌で、頬はげっそりとこけていた。
「無事ですか、秋馬さん。金棒で殴られたりしてませんか」
駆け寄ったお照を前に、秋馬は何度も目を瞬かせた。
「お照さん……? なんであなたが、ここに」
「秋馬さんが人殺しではないと証したいからです」
「人殺しなんてしていません。信じてください!」
「だが墓を暴いて死体を弄んだだろう」
「それは……」秋馬は目を伏せた。「墓場に行ったのはリンが採れねえかと考えたからです。邪な目的じゃないんです」
「リンをどうするんですか?」
お照はギヤマン瓶を手に取って透かし見た。リンを加えると発色がよくなるのだろうか。
「……話してもわかってもらえるとは思えねえ」
「でも言わないと人殺しの汚名を負うことになるんですよ」
秋馬は細い息を吐いてゆっくりと顔をあげた。
「高月花魁を描きたかっただけだ。きれいな赤で彩ってやりたかった」
鬼頭はお照の手の中のギヤマンを顎で指した。
「あれは人間の血だな」
「……へえ」
秋馬がうなずいた。
お照はうっかり瓶を落としそうになった。人間の血と聞いたとたん、重みが増した気がしたのだ。
「墓場の死体から搾り取ったか」
「死体からは搾れねえ。切っても出てこないんだ」
その口ぶりからは、どうやら試したことはあるようだ。お照の胸がひやりとなった。
「ではあの血はどうやって手に入れた」
お照はそっと木箱に瓶を戻す。うす黄色の瓶とぶつかってカチカチと音を立てた。
「おれの血だ」
「なんだと」
秋馬は淡々とした口調で恐ろしいことを語った。
「左腕の内側にみずから刃を当て、流れ出るおのれの血を溜めたんだ」
鬼頭が秋馬の腕を検めた。数条の傷がある。青白くやつれて見えたのは血を失いすぎたせいだったのだ。
「本当の話みたいですね」
お照が言うと鬼頭は首を振った。
「縄を打たれたときにできた痕かもしれねえ」
鬼頭は認める気がないらしい。お照は秋馬に向き直った。
「傷痕がいくつもあるということは、幾度も血を抜いたのですか」
「何回やっても上手くいかなくて、情けねえ……赤い色がどうしても固定できないんだッ」
秋馬は、自身の不甲斐なさを嘆いた。赤い顔料のためならおのれの命を削ることなど些細なことのようだ。
「そこでリンを使って固定しようとしたのですね。それは成功したのですか?」
お照が問うと、秋馬は悔しそうに眉を寄せて首を振った。
鬼頭が太い腕をお照の前に出して「もういいだろう」と制する。
「なにがいいんですか。まだわからないことがたくさん──」
「でたらめだ。見ろ、言い逃れをしようと企んでる顔だ」
「しかたないですよ」お照は大きな腕に負けまいと大声を張った。「鬼頭さんのこと、信用できないから本当のことを言えないんですよ」
「なんだとう」
半兵衛が、まあまあ、と口を挟んだ。
「幾度もやり直したという実験を聞いてみましょうよ。嘘かどうかは聞きゃあだいたいわかるもんです。ああ、言っときますがおれは鬼頭どのの味方です。だから納得がいくようにケリをつけましょ。賭けが流れちまわないようにね」
鬼頭は苛立ちながらも秋馬に答えるように促した。
秋馬はとつとつと語った。
「鉱物を混ぜることで固定できるかもしれないといろいろと試したんです。血をそのまま使うのではなく焼いたり煮詰めたり濾過したり、そんなことをしてたら、そのうち……」秋馬は眼差しで箱を示した。「あの薄黄色の液体になっちまって、ああ、失敗したと思ったんですが……」
全員が秋馬の視線を追った。木箱の中で赤黒く変色した血と隣り合うギヤマン瓶にはたしかに薄黄色い液体が入っている。
「これが血だと言うのか?」
鬼頭は険しい顔になる。眉尻がぐっと吊り上がり、逆八の字を描く。
「少量ずついろんな鉱物を混ぜてみたんですが、あるとき緑礬を入れてみたら、あ、緑礬は焼いて赤錆をつけて紅いベンガラにしたりするんで、うまくいけばと期待したんですけど、思わぬことが」
「思わぬこと?」
「青く変色したんです」
「鮮血が黄色になり、最後は青くなるだと。そんな莫迦な」
そこで半兵衛がぽんと手を打った。
「やってみましょう。ここでやってみればいいんですよ。秋馬が言うとおりになるのか」
「そうですよ。秋馬さんが口からでまかせを言っているのか、たしかめてみましょう!」
お照は、半兵衛の公平さと提案にひそかに感謝した。
さっそく実験が始まった。
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