江戸のアントワネット

あかいかかぽ

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五十二、 十両を借りる

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「……」

「半兵衛さんに相談したら、どうなるのかしら。おまかせしてみるとか」

「きっと、捕り方を呼んで現場を張らせるでしょう。ですが、奴らに気づかれたら父が殺されるかもしれません」

 殺されるかもしれない。
 口に出して、おのれの耳が拾ってようやく、これは起こりうることなのだと理解した。ぞくりと心の臓が冷える。

「トバクっていけないことでしたのね。バクチをしたら全員捕まえてシマオクリになるのかしら」

 お松は首を振った。

「たいていは地元の親分さんが裏にいるんです。で、その親分さんと地回りの同心とは持ちつ持たれつの関係。だからね、あんまり役人を頼りにしないほうがいいですよ」
 
 お松が言うには、袖の下で見て見ぬふりをする役人が多いらしい。賭場開帳の罪で斬刑や島流しになるのは袖の下をケチった者で、見せしめだという。

「半兵衛さんならうまく話をつけてくれるかも……ううん、あのぐうたらな人が仲介したら余計面倒なことになるかもしれない」

 恩に着せてくるだろう。今以上に図々しくなって女将に絡んでくるようになるかもしれない。
 お金を払ってひそかに一件落着となるなら、むしろ幸運なほうなのだろう。

「申し訳ありません、女将さん。お照一生のお願いです。十両を拝借させてください。借りるのは一日だけです。父さえ解放してもらったら……」

 絶対に取り返してやる。
 女将の手が、お照の握りこぶしをぽんぽんと叩いた。

「お金なんかどうでもいいわ。お父さまがブジならいいのよ」

「女将さん……」

「お金でカイケツすることなら、たいしたことじゃないのよ」

 目頭がじわりと熱くなる。
 お金に無頓着な女将が、いまはありがたいお照であった。



 ブリオッシュを手土産にわけてもらったお松は、遅くならないうちに、と帰ることになった。

「お松さん、明日は長屋で吉報を待っていてくださいね」

「どうするんだい」

「当たって砕けろ、です」




「自慢の娘だって聞いていたのに、なんでえ、この頭のつんつんは」

「顔はまあまあじゃねえか。持ち帰る前に、ちょいと楽しんでおこうぜ」

 やはり、とお照は想像通りの展開にうんざりとなった。

 受け渡し場所は浅草奥山から少し外れた、小さな寺の前だった。
 浅草には大小さまざまな寺社が密集している。人気があるところも閑散としているところもある。ここは残念な寺のようだが、密約の場にはふさわしい静けさだ。
 待ち構えていたのは無精ひげの浪人風がふたり。賭場の用心棒だろう。

「父はどこですか。父が無事か、たしかめさせてちょうだい」

「おれたちと一緒に賭場に来たら会えるさ。それより……ちゃんと十両持ってきてるんだろうな」

「そうさな、さきに十両を確かめさせてもらおうか」

「なければ、おめえさんに岡場所で稼いでもらうしかないけどな」

 シシシと歯抜けの犬のような笑いを交わしあう。

 十両は借りた。女将は、お照が必ず帰ってくることを条件に貸してくれた。そしてお照は必ず帰ってくると笑顔で約束した。
 お照は帯をぽんと叩いた。

「十両はここに持ってます。賭場はどこなんです」

「ほんのすぐそこさ。焦ることない」

 ひとりがお照を肩に手をまわした。

「おまえさんの着物を剥いで十両探してやる。あの中でな」

 男は寺の中にお照を引き入れようとした。なんという不心得者か。

 木刀を持ってこなかったことが悔やまれた。
 警戒させたら交渉に失敗するのではないかと不安になって置いてきたのだ。
 
 周囲にはだれもいない。肩と腕はがっちりと掴まれている。

 振り払って逃げようとしたが、「親父がどうなってもいいのか」と耳元に生臭い息を吹きかけられた。

「親孝行する自慢の娘なんだろ、お嬢ちゃんは」

 父がそんなことを言ったのか。こうなることをわかっていて。だとしたら絶対に許さない。

「ん? 誰かいる……?」

 さきに寺を覗き込んだほうが舌打ちをした。

「へへ、どこかのお内儀と役者みてえだな」

 薄暗がりの中に御高祖頭巾おこそずきんで顔を隠した女と頬被りの男が睦まじいようすで立っていた。
 頬被りの男は女物の派手な着物を身に着け、唇には紅をつけている。歌舞伎の女形と武家の奥方の密会といったところか。

「なあ、あの女も」

「そうだな。おい、そんななまっちろい奴よりこっちのがよっぽど色男だぜ」

「おい、へなちょこの陰間かげま野郎。出ていきな。おまえの役はおれらが穴埋めしてやっからな」

「は、はい……」

 怯えた役者は腰をかがめてすり抜けるように出て行った。
 と思いきや、すり抜けざまに浪人の首に手刀を叩きこみ気絶させ、もうひとりには足払いをかけて転ばせた。
 足払いで引き倒した男の顔に二発三発とこぶしを打ちこむ。

「そのへんにしておきなさいな。死なれたら賭場の場所がわからなくなりましてよ」

 御高祖頭巾の女がたしなめた。
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