継の箱庭

福猫

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●甘い朝

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 ……甘い香りがする。
 いったいどこから……と、ふわふわした頭でフニャフニャ言いながら微睡んでいた。


「――って、そうじゃない!」


 呑気な自分に思わず突っ込んだ勢いで、すっきりはっきり目が覚めた。

 バッと顔を上げて見た先の窓や椅子、足元のフカフカは記憶にある限り昨日と同じ寝室のもので、つまりそれは、昨日の出来事が夢じゃなくて、『また明日』が本当だったってこと。

 ほっとしたあと嬉しくなって、鼻歌でも歌いだしそうなほど舞い上がっていたわたしは、一部始終を見ていたリューに気づくのが遅れた。
 …………ちょっと恥ずかしい。

 甘い香りはベッドの端のほうに居たリューからしてる。
 なんだろうと思うよりも早く――


「果物切ってきたんです、イチゴとバナナを。朝食にいかがですか?」

「果物……って、家猫しか食べれないすごく貴重なやつだ」

「え、そうなんですか? ……あ、そうだ」


 テーブルに置きかけたお皿を持ち直し、そのままベッドの脇に座ったリューが果物をひとつまみする。


「はい、どうぞ。あーん……」


 つまんだ果物の行先は、わたしの口元だった。
 チラリとリューを見てみてもジッとそのまま動かないから、じゃあ遠慮なく。


「いただきます、あむっ……んっ……んんっ!」

「ふふ、おいしいですか? 手ずから食べていただくのを、一度やってみたかったんです」


 おいしい。すごくおいしい! って早く伝えたいのに、口の中がおいしい液でいっぱいになって開けない。
 零さないように少しずつ、しっかりと飲み込む。


「すごい……これが果物……っ! これなんて味なんだろう……酸っぱい気もするのにそれだけじゃなくて」

「んー……? もしかして『甘い』を感じてるんでしょうか。こっちもどうぞ、あーん……」

「はむっ……んんんーっ!」


 おいしい。これが……甘い。おいしい。口の中がいっぱいだけど、幸せもいっぱい。

 でも……と、もぐもぐしながら考える。生きてたときとは違う『おいしい』について。
 やっぱりこれも箱庭現象なのかな。
 静かになったわたしに気づき、リューが問いかける。


「どうかしましたか?」

「んー……ご飯がね、すごくおいしいなって。昨日のサンドイッチもなんだかいろんな味がしておいしかった。『甘い』なんて生きてたときには感じたことないもん」

「なるほど、それが不思議だと。お考えのとおり、箱庭だからでしょうね」

「やっぱりそうなんだ」

「理由というかなんというか……あのマニュアルに記されてはいますが、あまりにも呆れてしまう内容だったので、それ以降私は不思議現象について、すっかり考えることをやめました」


 ……いったい何が書いてあったんだろう。
 リューがどこか遠くを見つめて話し始めた。


「――この待合室的な箱庭で死者の不満をできるだけ出さずに運営するには、堕落しない程度に快適で、幸せを感じられる暮らしをさせることが大事だと、そう神は考えました。しかし、様々な生き物たちの要望をそれぞれに聞いていてはキリがない。さてどうする……あ、そうだ。おいしいものが食べられれば皆ハッピーじゃん、みんなの『おいしい』を統一して……味覚って何があったっけ? あー、全部入れとけばいいか…………と」

「………………えー……」

「そんな反応になりますよね、わかります。食以外の不思議現象もだいたいこんなノリで決められてることが多くて……あ、美夜のような動物たちの言葉がわかるのも意思疎通が楽な方がいいからって」

「へー……」

「なので、おいしいもの食べれてラッキー、便利でラッキー、全部そんな感じで流していくのが楽でいいですよ。神様都合なんて考えるだけ時間の無駄です」

「わー……」


 話を聞くたびに神様のイメージが崩れ……いや、砕け……うーん。


「まぁ、今はおいしい果物でもたべましょう。はい、あーん……」

「ありがとう……あむっ……んぐ……ん……」


 結局最後までリューの手から食べることになった初めての果物は、ビミョーな空気が漂ったあとも変わらず甘くておいしかった。

 空になったお皿を片付けに、キッチンへ向かうリューについて行き、その流れで二階の間取りの説明を受けた。
 どの部屋にも、本と黒猫の何かしらが置いてあったのは触れるべきか否か。
 ……流していくのが楽に暮らしていくコツなんだっけ。


「そろそろ店の準備をしましょうか……一応。私としてはずっと美夜とお話ししていたいんですけど」

「昨日も早く閉めっちゃったけど、それで成り立つの……?」

「もともと大繁盛、お客様ひっきりなし! というわけではないですし……私の趣味のついででやってますので。それに……必死に稼がずとも、ここではじゅうぶん暮らしていけますから」

「んー……まぁ、リューが困らないならいい……のかな?」


 そんなことを言いつつも、開店準備のためと下へ降りていく。
 リューと初めて出会った部屋をサッと過ぎて店内へ。

 そのままついて行ったカウンターの内側には、戸棚がいっぱいあって、そこを開くと昨日見た器具やそうじゃない物もいろいろ収納されてた。
 背後の壁にも棚が付いてて、何が飾ってあるのか上って近くで見てみたら、カップやらお皿やら割れそうなものがたくさんあったから、慌てて降りた。

 うろうろ、キョロキョロと観察してまわるわたしをとくに注意することもなく、リューは奥のほうへ入っていった。
 あっちにも部屋があるのかと覗いてみると、いい香りがする袋があったり、キッチンでも見た冷蔵庫があったり、洗面台よりもっと広い水場みたいなのもある。


「ここは作業場というか厨房というか……食材を保管したり、軽食や簡単なお菓子をつくったりする場所です」

「サンドイッチを作ってた場所だ」


 正解です、と言いながら頭をひと撫でされた。ご褒美ってことかな。


「こっちの確認は終わりましたし、看板を立てに行きましょうか」


 お店の扉横に置いてあった立て看板を、ヒョイッと持って外にたリューに続く。
 そういえば外に出たのって初めてだ。

 風が柔らかくて気持ちいい。

 春の穏やかな空気を感じてると、「昨日ここで眠ってたんですよ」ってリューが教えてくれた。
 ……扉の前のど真ん中だった。

 生きてた頃に住んでた町とは違う景色が気になって、ポーチというところから出て少し歩いてみた。
 石で舗装された道が続いてたから、なんとなく沿っていきながら辺りを見渡すと、リューの家のほかに建物っぽいものはなく、自然に囲まれてた。

 とりあえず、大きく伸びをして、新鮮な空気も吸って満足したわたしがリューのもとへ戻ると、しゃがんで、そっと遠慮がちに頬を撫でられた。


「……そのままどこかへ行ってしまうんじゃないかと…………少し不安になりました。昨日約束してくれたのに……私ったら、いけませんね」

「ごめっ……知ってる景色と違うから気になって、全然そんなつもりじゃなかったんだけど…………わたしはリューのそばから居なくなったりしないよ」


 大丈夫、そんなこと絶対しないよ、だから安心してよと気持ちを込めて、添えられたリューの手にいっぱいスリスリした。


「……ありがとうございます」


 少しだけ泣いてるような気がしたリューの声に、あぁ、わたしの手じゃ涙が零れてても拭ってあげられないや……と、そんなことを考えた。

 ――小さな悔しさが心に残った、気がした。

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