この恋は始まらない

こう

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第六十話・いつかそこに辿り着くまで。

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俺達東山家は、家族サービスの為に、ショッピングにきていた。
俺と母親と陽菜。
秋月さんといういつものメンバーである。
いや、何で親父じゃなくて俺が相手をしないといけないんだ?
親父は家で優雅にコーヒーを飲んでいるのであった。
「だって、パパは居ても余計なことしかしないもの」
相変わらず、親父への当たりつええな。
何で結婚したんですかね?
この、親父が居たら何かしらやらかすという、信頼の厚さよ。
「パパはパパよ?」
それ以上でもそれ以下でもない。
この全てを受け入れる愛がなければ、結婚なんて出来ないのかも知れない。
人間は完璧じゃないし、欠点の方が多い生き物だ。
それでも一緒に居たいと言うならば、それもいいだろう。
生き方は人それぞれだ。
まあ、親父も母親には文句言わないし、お互い様か。
「それに。今日はハジメちゃんや、陽菜も麗奈ちゃんも居るから、パパはいらないもの」
せやね。
扱い方よ。
今となっては男二人より、秋月さんの方がヒエラルキーが上なのであった。
野郎よりも、可愛い女の子の方が愛で甲斐がある。
そんな俺は、重労働の為に駆り出された荷物持ち扱いだ。
この場にいる必要性は感じないが、一緒にお買い物をしないつもり?という、家族特有の同調圧力を感じた為に付き合っていた。
母親の目が開眼する前に従った方が身のためである。

「ねえねえ! 陽菜、ここのお店に寄りたい!!」
そんな俺に比べ、妹の陽菜は、可愛い系の洋服屋さんを指差していた。
ノリノリである。
こいつは、家族と買い物をすると何か買ってもらえる場合があるから、凄く積極的だ。
精神が中学生のままである。
早く高校生になりなさい。
俺もこいつくらい親にたかって、何か買って貰おうというがめつい性格だったら、家族とのショッピングも楽しいのかも知れない。
まあ、俺は洋服とか正直興味がないから、無理なんだろうがな。
洋服一着に数千円払うくらいなら、同人誌の印刷費用に回したい人間なのだ。
限られたお金を無駄にしたくない。
洋服は着れればそれでいい。
いや、なんだ。
……そんな考えが、小日向やジュリねえにバレたら殺されるから内緒にしてほしい。
あの二人、ファッションの話になると、マジで怖いんだよ。
自分の仕事に誇りを持っていて。
事務所の先輩として、読者モデルとして在り方を語ってくれるが、無知から真っ裸でこの世界に放り込まれた側だから、仕事に誇りを持ち自覚するのは難しい。
怒られたくないから、髪型を整えて、渡された洋服を着て、模範的な態度を取っているくらいだ。
街を歩いている一般人ですら、俺よりお洒落な男性ばかりなのに、普通の高校生に過度な期待をしないで欲しいものだ。
陰キャは陰キャだ。
いきなりファッションに目覚めたりはしない。

俺は、キャッキャしている陽菜を見ながら、お店の入り口で待っていた。
あいつの相手は、母親と秋月さんがしてくれるから充分だろう。
一人になってホッと一息吐く。
「あの……いいですか?」
ファンの人だわ。
同い年くらいのファッションセンスのいい陽キャである。
「少しなら、いいですよ」
まあ、暇だしな。
家族と居る時は誰も来ないのに、一人の時はファンに話し掛けられる。
陽菜のクソ長い買い物に付き合うか、ファンの訳分からんノリに付き合うかの二択だ。
別にサインを描くのは慣れているから構わないが、この光景を家族にはあまり見られたくない。
だって、家族の奴らは俺の絵に関しては興味ないだろうし。
絵を見ていても困る。
家族であっても、プライベートは聞いてこないくらいの距離感の方が有り難い。
オタクに理解がある母親とか嫌だからな。
放任主義の方がいい。
雑談しながらファンに色紙を書き終え、手渡す。
「これでいいですか?」
「わあ。ありがとうございます。プライベート中にすみませんでした。家宝にします」
どいつもこいつも家宝にするな。
前回のクラスメートといい、俺の色紙を何だと思っているんだよ。
大切にしてくれるのは、嬉しいんだけどさ。
物には限度がある。
「それと、最後に一つだけ聞いていいですか?」
「ん? どうしたんですか?」
「妹さんと仲良いんですねッ!」
「……は? 何であいつと仲良いんだよ」
「……さっきまで気さくだったのに、今日一番の素の感情を表に出さないでください」
いや、嫌いなやつの話をされたらこうなるだろう。
妹などという、面倒でわがままなだけで誰も得をしない存在だ。
陽菜は、勝手に俺の分のケーキまで食べる卑しか女ばい。
ずっと喋っているか、食べているか、寝ているかしかしていない。
生産性のない存在だ。
陽菜のやつ、俺が買ったジャンプを先に読むからな。
しかも読んでる真横からネタバレしてくるし。
妹の良さなど、一生理解出来ないわ。

「それ仲良いですよね」
「そんなことはない」
「……そうなんですね。あと、ハジメさんって甘いもの嫌いでしたよね」
「一口くらいしか食べないな」
「余って食べきれない分を妹ちゃんが食べてくれていただけでは?」
「ものは言い様だな」
「……はぁ、本当に面倒な性格してますよね」
くっそ飽きられていた。
俺のファンのはずなのに、容赦なく残念そうな顔をしてくる。
先ほどまであった、尊敬の眼差しなどなくなっていた。
続けて話す。
「お兄ちゃんなんだから、妹さんを大切にしてください」
「ああ、はい。分かりました」
「その場しのぎで空返事するのやめてもらえますか?」
ええ……。
どうすれば満足するんだよ。
指摘されたら多少なりとも気に止めるし、嘘を付いたわけでもないのに否定されても困るんだが。
しかしながら、妹を大切にするとか分からん。
家族だから距離感が近過ぎる分、どうしても適当になってしまう。
陽菜にタピオカでも飲ませてやれば満足するのか?
カロリーを与えたら、優しくしたということになるのか??
「男の子なんですから、家族と好きな人は大切にするものですよ」
「まあ、それは分かっているんだがな。……そう言えば、今日は一人なの?」
陽キャのイケイケの高校生が、ショッピングモールに一人で来ているとは思えない。
友達と一緒にいるにしては、こうして話し掛けられたのは一人である。
「私ですか? 彼氏と来ていますよ」
「いや、彼氏いないじゃん」
休日コーデで可愛くファッションを決めているあたり、彼氏とデートというのは嘘ではないのだろう。
じゃなければ、綺麗に髪を纏め、時間のかかりそうな格好をしてまで遊びに来ないはずだ。

「……ええ? だって、男の人と一緒に洋服屋さん回っても楽しくないですよね……?」
んん?
彼氏とだよな?
真剣と書いてマジな顔をしていた。
彼氏だからこそ、相手の性格をよく知っている。
優しい彼氏であってもクソなものはクソ。
そんなもんと一緒に洋服の買い物をしたら気分を悪くする。
彼女の顔が物語っている。
そんなことはないとか言ったら、怒られそうだ。
いやまあ、性別が違うのだから、ファッションのことで価値観が合わないのは普通というか。
……仕方がないと思う。
いつも頑張っている俺ですら、ファッションは奥が深過ぎて分からないし、今だに怒られるくらいだ。
普通の男性からしたら、もっと敷居が高いだろう。
だから、過度な期待はせずに、貴方も彼氏を大切にしてください。
「いいなぁ、私もファッションに理解のある彼氏が欲しかったです。読者モデル同士だと、デートも楽しそうですね」
「そうっすね」
いや、俺は特殊な訓練を受けているだけだ。
別に小日向の扱いに慣れただけであって、ファッションに理解を示しているわけでも、別段楽しいわけでもない。
小日向と一緒にショッピングをすると、いつもお世話になっているブランドのお店に挨拶回りをして、色紙を書いたり写真を撮り営業をして、ファン向けにSNSで広報している。
俺のウィンドウショッピングは、デートではなく、ただの仕事である。
小日向は、読者モデルの仕事の後に渋谷をよく回りたがるのも、これも自分の仕事だからって言っていたもんな。
真面目に仕事をしていると、俺も付き合わないといけないから、一緒に色々回っているが。
買い物をして帰り際に喫茶店で紅茶を飲むデートみたいなことも、読者モデルには必要な仕事らしい。
カフェの光景をSNSに上げて、二人が仲良しであることを強調することで、ファンにアピールしていた。
SNSで自分の写真を載せるなんて女の子しかやらないことだけど、同人イベントでも挨拶回りや近状報告は重要だからな。
流石、小日向だ。
有名人になっても、人としての基本は欠かさない。
新作アイテムの発売に合わせて、顔見知りの店員さんに会わないといけないとなれば、俺だって付き合うさ。
しかし何故に、ほとんどの店員さんはデートと呼ぶのだろうか。
仕事なのに。
「……少しは疑うことを知らないのですか?」
「え? なんで??」
「いえ、貴方はそのまま何も知らない方が幸せでしょう」
いきなりシリアスな展開になったのなんで??
核心に気付いたら殺される気がする。
そんな空気が流れていた。
俺には分からないだけで、小日向には何か意図があったのか。
俺は見逃しているのか?
……仕事じゃなければ、陽キャのごった煮みたいな渋谷の中で、毎日毎回のように色々なお店を回るのは大変だろうに。
俺が必要なのに、もっと何か重要な理由があるのか。
そうか。
小日向は、知り合いに俺の顔を通してくれているのか。
なるほど、事務所の後輩が売れるようになるには、先輩の助けが必要だもんな。
話すの苦手な陰キャの俺だけでは、読者モデルとして働くのには限界があるだろう。
多少なりとも小日向の人気にあやかるのがベストなのは言うまでもない。
「なるほど。よくよく考えたら、小日向は俺の為に頑張ってくれていたわけか」
「……はあ。ハジメさんって、聞きしに勝るアホですよね? よくそんな考えで今まで彼女さん達に殺されなかったですね」
「なんでや!?」
俺が何をした。
あと、誰から何の話を聞いているんだよ!?
女の子怖い。


それからしばらくして、買い物を終えた俺達はお昼ご飯を食べてゆっくりしていた。
晩御飯の買い出しの為に、母親は一人でショッピングモール内のスーパーに買い物に行く。
土日の昼間だから、四人で買い物するのは邪魔なので、俺達三人はその間の暇潰しがてら近場の雑貨屋さんを覗いていた。
色とりどりの可愛いキッチン用品や、アロマキャンドルなどの女の子が好きそうなものがたくさんある。
「お兄ちゃん。陽菜、奥のところ見てくる!」
「へいへい。早くしろよ」
「大丈夫だよ! いってくるね!」
いや、走るなよ。
ものを壊したらどうするんだよ。
はあ、高校生になったのだから、落ち着きを見せてほしいんだが。
あいつにそれを求めるのは難しいようである。
どこまでも自由人な陽菜を見送り、俺と秋月さんは入口で雑貨を見ていた。
秋月さんも、いつも陽菜の相手は大変だろうに、愚痴の一つも漏らさないのだから出来た人だ。
陽菜といる時の秋月さんは、本当のお姉ちゃんのようである。
幸せそうで何よりだ。

「……母親が帰ってくる前に、俺はトイレ行ってくるけど、秋月さんはどうします?」
「陽菜ちゃんがいるから、私は待ってるかな」
「了解。悪いけれど、陽菜をよろしく頼みますね」
「ええ。待ってるね」
秋月さんに頭を下げて、トイレに向かうのだった。
待たせるのは悪いし、早めに済ませるようにしないとな。


麗奈サイド。
ハジメが戻ってくるまで、一人で待っている麗奈はゆっくりと雑貨を見ていた。
正直、ハジメがトイレに行っている間は、暇ではあるが別に気にしていなかった。
秋月麗奈の潜在的に狂った性格からしたら、彼氏のトイレまで普通に付いて行くだろうと思われがちだが、それは違うのだ。
トイレの時も離れたくない。
高校生ならば、そんな馬鹿みたいなことをしている熱々のカップルも多いだろうが、大人としての分別がある二人に限ってはそれは当て嵌まらない。
……毎回やるわけではない。
たまにやるくらいだ。
家族みたいなものなので、一々トイレに付き合っていたら時間が幾らあっても足りない。
それに、好きな人と一緒がいい人間だって、一人で居たい時もある。
麗奈は、よんいち組の中では比較的まともな女の子であり、感性そのものは普通である。
元々友達は多いし、クラスメートが一番に頼ってくるのは秋月麗奈だ。
優しくて困っている人が居たら助けてくれる。
ママみを感じておぎゃるなら、麗奈以外の適役者はいないだろう。
おっぱいもでかいし。
運動も勉強も得意な方だ。
才能だけでゴリ押す脳筋みたいな教え方しか出来ない人間が多い中で、勉強を他人に教えられるだけですごい。
これだけ出来た女の子で、女性らしい包容力のある子は貴重である。
男の趣味が悪い以外に欠点はない。
買い物をしているだけでも、通りすがりの男性は麗奈を見て、見惚れてしまう。
すれ違うと甘い匂いがする。
陽キャの女の子とは、存在するだけでみんなを幸せにする。
麗奈は、いつも一緒に居て、比較される対象が風夏や冬華が相手でなければ、高校のマドンナになっていたかも知れない。
それくらいに可愛い女の子であり、念入りにおめかししてまで、土日の買い物を楽しみにしていたのだ。
麗奈のトレンドマークである、ゆるふわパーマの長髪が、綺麗に纏まっていた。
シャンプーの良い香りがする。
デートとまではいかないが、家族のように仲良く出掛けるのは幸せだ。
麗奈にとっての幸せは、ごくごく平凡な家族のように過ごすこと。
ならば、彼女にとって今が一番幸せなのかも知れない。
楽しんでいた最中。
野郎二人組に、不意に話し掛けられる。
軽い口調で話すのだった。
ナンパなのか。
若者が多いショッピングモールとはいえ、幸せを噛み締めて楽しんでいる女の子に対して、軽率に話し掛けるのはどうかと思う。
普通であれば、他人の休日を邪魔はしないし、初対面の女の子に対して、可愛いと軽々しく口にするものではない。
……麗奈は考える。
最近は、誰よりも周りの人間に恵まれていただけで、普通の男性は他人に気遣いが出来ない者が多い。
クラスメートみたく、互いの立場を尊重し合える関係ではない。
一緒に遊びにきた連れが居るので興味がありませんと大人の対応でやんわりと断るものの、それを聞いてくれる野郎達ではない。
学校なら、彼氏がいるのは周知されているし、わざわざよんいち組に話し掛けてくる男子はいない。
モラルがあるなら、他人の女性に手を掛けてこない。
高校生ですら、相手が可愛いからといえど、友達経由で話す機会を設けるようにして、女性に配慮し礼節を弁えるものだ。
そうまでして、やっと異性として認知してもらえる。
彼氏であるハジメとの勝負を名乗り上げることが出来る。
好きな人の為に、それほどの頑張りを見せ、度胸がある男子がいるのであれば、その姿をちゃんと見てくれている女性が隣にいるものだ。
出来る男ほど、周りの人間のことを大切にしているので、わざわざ他人のよんいち組に絡んでくることはない。
それに、ナンパなんて女の子だけで居る時だけに起こることで、最近はハジメが隣にずっと居たから大丈夫だった。
麗奈は楽な環境に慣れてしまっていたせいか、いざ断るとなるとどうしていたか忘れてしまっていた。
萌花なら、舌打ちするくらいに容赦なく相手にブチ切れるのだろうが、アクセル全開で負の感情を引き出すのは難しい。
麗奈は幸せ過ぎて、心が浄化されていた。
暴言とは、心の底から放つものであり、幸せに満たされている人間には出来ないことだ。
野郎二人がかりで可愛いと褒めてくれるが、モデルのように可愛いと言われても嬉しくはない。
世界一可愛いとか、お嬢様みたいと言われたところで、その名を冠するべき女の子が他に居る。
知らぬが故にであるから、相手は悪くない。
本来なら、女性が喜ぶ言葉を頑張って綴ってくれていたのだろう。
しかし、見事に地雷を踏み抜いていた。
「あ、いえ。だから、連れが居ますので」
昔の秋月麗奈ならいざ知らず、今の秋月麗奈は褒められたところで嬉しくはない。
そもそも、最近ハジメの仕事が忙しくて、久しぶりの土日に家族で遊びに来ているくらいだから、邪魔されたくない。

高校生から見た大学生はカッコよくて大人っぽく見えるものだ。
しかし、彼等よりも年下の東山ハジメの方が真面目で。
……誰よりも頼りになる。
尚且つ、ハジメは全てのことを真摯に取り組んでいる。
本人は、馬鹿でアホでマヌケではあるけれど、誰かを尊敬していて、期待に応えようと模索する後ろ姿が好きだった。
他人の為に努力出来る人間になりたい。
多分、それが大人になることなのだ。
自分のことよりも周りの人間に気配りが出来て、助けて欲しい時に助けて欲しいと言ってくれる。
生きるとは、頼り頼られ生きていくことだ。
色々な人に感謝して、迷惑をかけて。
いつも笑っていたい。
幸せとは、目に見えるものだけではない。
同じ年齢の女の子より、綺麗な洋服を着て、高級なアクセサリーを身に付ける。
指先まで着飾って綺麗でいたい。
それは確かに生きる上では重要だが、彼女の周りの人間は外見の美しさもさることながら、どんなに辛い人生であろうと、自分が自分らしく生きていたいという心の強さがあった。
読者モデルの小日向風夏が全ての人に評価され尊敬されているのは、彼女が彼女だからだと知っていた。
彼女の魅力は、可愛いから。綺麗だから。流行を引っ張っているから。
そうじゃない。
それは魅力の一端に過ぎない。
小日向風夏含め、人にそんなものがなくても、人の魅力は衰えることはない。
頑張っているから、綺麗なのだ。
自分に誇れる生き方をしているから素晴らしいのだ。
努力とは、自分が自分の人生に納得する為の行動だ。
自分の努力を誇れども、他者に自慢するものではない。
しかし、確かに人はその人の努力に惹かれてしまう。
秋月麗奈は、目の前の男性が如何に格好良くても、テレビに出ているようなアイドルだったとしても一切の興味がなかった。
自分の心を惹き付ける存在は、自分の周りの大切な人達であり、よんいち組のみんななのだから。
それ以外の人に気を回す余裕などない。
普通の女の子は、人一倍頑張って努力をして、好きな人にやっと可愛いと言ってもらえるのだ。
他人にかまけている時間などない。


「ただいま」
戻ってきたハジメと出くわす。
麗奈はやっと現れたハジメを見て、ずっと曇っていた顔が明るくなる。
それだけで、赤の他人であっても二人の関係が素晴らしきものだと察するのだが、相手の二人は引き下がらない。
男の方が彼女と不釣り合いなのは明白だ。
ノリノリに髪を染めた大学生からしたら、黒髪の地味な高校生なんて、雑魚にしか見えないはずだ。
「……詳しくは分かりませんが。彼女は俺のお嫁さんです。貴方達、何かしたんですか?」
ブチ切れている。
いつもの間の抜けた黒い眼が、真っ赤に燃え盛っていた。
鋭い眼光は、相手を捉えている。
ハジメは、普段から人に叱ることはあれど、怒ることはない。
短い人生とはいえ、生きてきた中で、尊敬出来る人としか出逢ってこなかったのだから、他人を敬うのが普通だったのだ。
萌花が貶された時もブチ切れていたが、今日の怒り方は初めて見るレベルだった。
高校生同士のいざこざと、大人のいざこざでは責任の重さが違う。
下手したらぶっ殺し合いすら辞さない剣幕であった。
「えっとお嫁さんって。高校生だよね、早すぎない……?」
「きみ、嘘言ってない??」
誰に対しても敬語を忘れないハジメに対して、大学生のノリで茶化す。
適当に流すことで真面目に怒っている人間を馬鹿にする。
それが、この二人の処方箋なのだろうが、そんなことで臆する人間ではない。
「誰かを愛することに、遅いも早いもあるのですか? 世間がどう思おうが、俺は俺のすべきことをするだけです」
ハジメは断言する。
初めて出逢ったのが、高校生なだけだ。
だだそれだけの理由で、他人から茶化されたり、馬鹿にされる所以はない。
高校生だからといえ、手を抜いたことなどない。
精一杯やるべきことはやってきた。
これ以上の侮辱行為は、殴り合いの殺し合いにに発展すると悟ったのか、二人はそそくさと逃げていく。
「……はぁ、最後くらい謝罪してから行ってくれよ」
謝ることを知らない人間も世の中にはいるのか。
そう思うと、彼等のことを逆に心配に思ってしまうハジメであった。
握った拳をほどくのが難しく、溜飲が下がらない。
この怒りの逃がしどころがない。
あの手の輩にそんなものは元から望んではいないが。
他人を侮辱するなら、殴り飛ばされるくらいの気概を持ってこい。
ハジメは、怒り心頭の顔をもとに戻してから麗奈に笑い掛ける。
「秋月さん、大丈夫でしたか? 嫌なこと言われませんでしたか?」
「うん。ありがとう……」
麗奈は、ハジメに優しく話し掛けられたことがきっかけになり、泣き出すのだった。
理由が分からないのに、勝手に流れてくる。
彼の声を聞いて安堵したからか。
急に涙が出てきてしまう。
それを見てあわあわするハジメだった。
「これを使ってください」
ハジメはハンカチを取り出して、麗奈に手渡す。
涙がぽろぽろと流れるのをハンカチを使って塞き止める。
ハジメは、落ち着くまで無言で待っている。
数分だって数十分だって、彼なら待つだろう。
自分が好きな人は、絶対にそうしてくれる。
誰よりも優しい人だ。
そう思うと、余計に涙が出てくるのだ。
人混みの中で泣くなんて、女の子としてありえない。
色々な人に泣いているところを見られれば、隣にいるハジメの印象が悪くなる。
女性を泣かせる男。
こんな男のどこがいいのか。
そう思っている人間もいたであろう。
彼を想うなら、すぐに涙を抑えるべきだ。
そのはずなのに、彼の前だといつも泣いてしまう。
どんなに頑張っても自分の感情を制御するのは難しくて、大人みたいに自分の気持ちを抑えるのは無理なのだった。
好きだから。
多分これが本当の意味での初恋だから。
たったそれだけの言葉は、この世の何よりも重い。
初恋の人と結ばれる確率なんて、百人に一人くらいにとても低くて。
学生恋愛と大人の恋愛では、中身が全然違うと揶揄されるだろう。
人の一生はとても長い。
その中で好きも恋も愛だって、人の数だけたくさんあるのかも知れない。
人は未来を知らないから、そこに憧れを求めるのだ。
今よりもその先にもっと素晴らしい幸せがある。
最愛とは、大人ならないと分からない。
誰かが話すそんなものはただの世迷い言だ。
一体誰が私の愛を知っているのだ。
私は、ただ幸せに生きていたいだけなのに。
家に帰ってただいまとお帰りなさいが言いたいだけなのだ。
それだけが願いである。

彼ならば、それを勝ち得てくれる。
いつも問題を起こすし、無茶苦茶なところがあるけれど、それでも信頼しているのだ。
彼は両親と同じ道を歩むのだろう。
それが幸せだと知っている。

いつかそこに辿り着くまで。

私を連れていってくれるのだろう。



ハジメちゃんサイド。
次の日。
おいおいおい。
朝学校に登校してきたら、クラスメートが怒り心頭しており、チンパンジーになっていた。
人語を話しておらんやんけ。
知能レベルどうなってるんだよ。
こいつら、理系だぞ!?
「え? なにこれ?」
部族の儀式でもしているのか?
三馬鹿のやつ、生け贄を探してそうな顔をしていた。
いきなりサイコホラーを始めるなよ。
こちらに気付いた小日向が無邪気に近付いてきて、話し掛けてくる。
「へぇ、麗奈はお嫁さんなのに、私はマネージャーなんだ」
目のハイライトが消えていた。
ちくしょう。
ただのヤンデレだったわ。
秋月さんとの一件が筒抜けなのは構わないが、うざ絡みをしてくるなよ。
何なら、ナンパを止めている回数で計算したら、小日向なんて数十回以上だ。
街を歩けば、昔のゲームよろしくクソエンカウントで話し掛けられる奴なんて、一々対応していられるか。
マネージャーの方が断りやすいのだから、それを選ぶのは当たり前だろうが。
白鷺と萌花も不満のようだった。
「私はどうなのだ?」
「死ね」
いや、うん。
すみません。
白鷺や萌花には悪いけれど、二人に関してはナンパしてくるような連中はいないというか。
ほぼ隙がない完璧超人だから、有象無象の野郎なんてそもそも近寄ってこないし。
説明するのだるすぎ。
朝っぱらからよんいち組に絡まれるのは面倒であった。
三馬鹿も小日向達の後ろから援護攻撃してくるし、しばいてやろうかな。
こいつらは、安全な位置からでしか攻撃出来ないクソだ。
撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけだ。
あと、人の話で盛り上がるな。
暇人かよ。
「よく分からんけど、お前等の誰かが同じ立場であったとしても、俺は同じことをするぞ?」
ポイント稼ぎで言っているわけじゃない。
本当にそう思っている。
全員が全員、特別なのだ。
人は、何よりも尊い存在だ。
この世に生まれたからには、等しく皆愛されるべきである。
俺には彼女が四人いて、曲がりなりにもこいつらの彼氏だ。
問題児ばかりだし、大変だし。 
深夜二時までラインしてくるし。
よんいち組という訳分からんものではあるけれど、そこが俺の居場所で護るべきものだ。
だから、死んでも護れと言われたら、死んでも護る。
それが男だ。
「じゃあ、次からはマネージャーじゃなくてお嫁さんって言ってね♪」
「……それは違うだろ」
そうじゃないんだよ。
何でこの流れで小日向なんだよ。
数十回も同じようなやり取りを俺にしろってか?
お前の周りにはファンしかいないのだから、そんなことをしたら、SNS経由でファンに周知される未来しか見えない。
SNSの中心で愛を叫ぶ。
そんなもん、ただの拷問である。
あいつら、俺のファンのくせして俺の弱点を見付けたら執拗に責めてくる性根の腐った連中しかいないのだ。
絶対に茶化してくる。
そうでなくとも、毎度毎度、小日向の間に入って止めているんだから、呼び方とかそんなの気にしないでいいんじゃないか?
と言って聞くような人間であれば、前々から苦労はしない。
こいつはそういうやつだ。
「彼氏がナンパを助けてくれるって、漫画でよくある展開だから憧れるよねぇ」
なんだよそれ。
小日向は小日向で、高校生が好きそうなレディコミ読んでるなよ。
事務所の人達がオススメする漫画の影響を受けていた。
そんなもの漫画の世界でしか成り立たない妄想であり、現実世界で女の子に優しい男性とかクズでしかないぞ。
野郎は全員クズ。
男から見た男とは、基本的にその前提がある。
だから、レディコミに出てくるキザな男性に共感出来ないのだ。
それに、好きな人に優しくするのは当たり前であり、それをわざわざ女性に強調してきたらただのメンヘラである。
大切な人に見返りを求めたら愛じゃない。
好きな人の為に尽くすことは、やらないといけないことなのだ。
好きでいることへの義務なのである。
努力して護っているものを、他人にひけらかして良いことなどない。
男は寡黙な方がいい。
正解は沈黙だ。

「いや、しゃべれよ」
萌花に怒られた。
考えていることを見透かされている。
「俺等みんなでよんいち組なんだから、全員が全員。同じくらい特別で大切だろ」
友達とも親友とも違う。
ただの恋人と言うならば、鬼の形相で怒られる。
恋人以上、夫婦未満。
俺達は、大人になる途中なのだ。
端から見たら彼女に好かれていて微笑ましい。
そんな関係だけど、普通に心臓握られているからな。
隣になんか、強制的に俺だけを絶にする能力を持ったやつがいるし。
そもそも、男は女の子に歯向かえないし、口答えしたら怒ってくるのは目に見えている。
こいつら、自分の面がいいことを利用し、自分に良いように事を進めて立ち回るからな。
そんなもん、無防備な人間に腹パンしてくるようなものだ。
毎回怒らせてくる俺が悪いっていうのは分かるし謝るけれど、それでも女の子とは理不尽極まりない存在だ。
性別が違えば、違う生き物である。
雄と雌でかたちが違う生物だって多いのだ。
彼女の気を惹こうと真面目に考えても仕方がない。
定命の者が神の意思を理解出来ないように、俺には彼女達の考えが理解出来ないのだ。
彼氏なんだから、彼女の心くらい理解しろと言いたいだろう。
しかし、それは違うぞ。
簡単に人の心が理解出来るならば詩人は苦労しないし、人の心が簡単分かるならば、人は人を尊いと思わない。
人は違うから、特別なのだ。
自分と違う部分に悩み、時間をかけて理解して、人の美しさを知ることが素晴らしいのだ。
小日向も白鷺も。
秋月さんも萌花だって。
みんな違うから、特別なのである。
四人に対して、扱い方に差別も区別もしているけど、人として同じく特別なのは同じだった。
両親に愛され、この世界に生まれた何よりも尊い我が子。
彼女の考えていることは知らんが、彼女が両親から愛されるべき存在だということは知っている。
だから、俺も彼女を大切に思える。
そうでなくても、親御さんから任せられているのだ。
慎重に扱わないといけないのは重々承知である。

「なんかきめぇな、こいつ」
大切に扱ってほしいのか、適当に扱ってほしいのかどっちなんだよ。
萌花の当たりが強い。
まあでも、ツンデレだと思えばこの程度の言動は気にならない。
鬼嫁でも愛されているという実感があればいいのだ。
親父も言っていた。
女性は怒っているか、ブチ切れているかの二通りしかないと。
相手が諦めるのを諦めろ。
流石、骨を折られても母親を見捨てなかった親父だけある。
尊敬するぜ。
……いや、うん。
あの母親に比べたら、萌花の暴言など可愛いものだ。
「いや、何で満足そうな笑みをしているんだよ」
そんなやり取りをしていると、寂しくなったのか三馬鹿が聞いてくる。
「私達、仲間だよね?」

「お前らは、オトモだな」

「頭ん中祭りかよ! 御輿担いでんじゃねぇよ!!」
「即答すんなよ、貴様ァ! 嘘付いたら死ぬのかよ。ちったぁ、お世話くらい言えよ!!」

「……何でアンタ達二人は東山くんに強く出れるのよ」
ささら、ひふみコンビの纏め役は冷静であった。
橘さんはドン引きだ。
好き勝手する子供の面倒を見るのは大変だ。
よんいち組の相手をする俺のようなものである。
「私達の中で一番好き勝手しているのは、ハジメちゃんだから」
「東山だぞ」
「東山くんだからね」
「お前だからな」
俺は悪くねぇ。
何なんだよ、何もしてないだろうが。
朝っぱらから問題起こすのはお前達じゃないかよ。
俺だって仕事続きで疲れていて、まだ眠いのにホームルーム前から騒がしくしやがってからに。
頼むから、鞄くらい机に置かしてくれ。
それに、俺から何か問題を持ち出したことはないはずである。
「四股しているのはお前のせいだろ」
え、俺のせいなの?
全員が全員、呆れた顔をしていた。
それが全てだ。
いや、うん。
俺のせいなんだろうな。
でもみんな好きなんだから、しょうがないじゃないか。
みんなのことを知れば知るほど、より深くこの想いは強くなる。
好きな気持ちは譲れない。
俺は、こいつらが四人でいるのが好きなのだ。
それが俺の幸せなんだよ。

「なに言ってるんだ、こいつ」

もえぴやめてよ。
俺の心を読まないで。
あれ、恋人の心が分からないのは俺だけなの?
呆れて立ち去らないでくれ。
放置プレイかよぉ。

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