この恋は始まらない

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第六十三話・ハジメての動画撮影です

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未開の地、埼玉。
マンションの一角で、女性三人はコスプレ衣裳を製作していた。
アマネや、ニコ。
ルナ達メイドリストもとい、ジェムプリのコスプレをしている女性レイヤー陣は、夏コミに向けて日々努力をしていたのである。
「はあはあ、出来たわ」
アマネは、息を切らせながら全身全霊を注いで、作り出していた。
宝石の女王。
その衣裳は、女王名を冠するものだ。
紅蓮の如く赤々としたドレス。
そこに散りばめられるは、宇宙を彷彿とさせる輝かしい装飾と、宝石の女王を女帝たらしめる胸元のルビーの輝きである。
宝石の女王は、劇場版限定のボスではあれど、その存在感はルビィちゃんに劣らぬ存在だったからこそ、衣裳には手が抜けないのだ。
同じルビーをモチーフにしたキャラは彼女だけ。
それは、特別な意味を成す。
衣裳と同じく、彼女を特徴的とする宝石の女王のステッキは、大型移動砲台と表現されるほど、自分自身と同じ大きさだった。
アマネはボード板を加工して、銃身を数個にパーツ分けして作っていた。
わざわざパーツ分けする理由は、コスプレ会場の問題で、大規模なコスプレ道具の持ち込みが禁止されているため、分割して持ち運び出来るようにしないといけない。
持ち運ぶのは楽になるが、組み立て作業の手間や、耐久性の低下が発生するものの、宝石の女王のステッキは対戦車ライフルのようなもの。
それを担いで、電車を使って埼玉から東京に持ち運びする方が危ないのだ。
通報されるのに比べたら、致し方なし。
アマネは、最終確認も兼ねて、パーツを組み立ててコスプレ衣裳と道具に不備がないか確認する。
「へー、さすがアマネェ。完成度たけーなオイ」
「ルビィちゃん達をたった一人で追い詰め、壊滅させた宝石の女王の決戦兵器……」
女性の手に余るほどの巨大な砲身。
魔力を流すとジェムフレームが大きくなるギミックも採用されている。
砲身を上下にスライドさせ、フレームの間からルビー色の魔力回路が露になる。
「宝石の女王たる所以を味わえ!」
「灼熱色の裁き!!」
大型の砲身を構えて、サン○イズ立ちをする。
きゃっきゃ。
三人は楽しそうに衣裳片手に遊んでいた。
女の子はいつだって変わらない。
キャラになりきって楽しむのが、コスプレの醍醐味である。
小さい頃におもちゃ売場に売っていた。
好きなアニメキャラの衣裳を着て、おもちゃを握っていた思い出があるから、大人になっても憧れてしまうのだ。
コスプレを始めた理由は多々あれど、行き着く先は皆同じだ。
好きだからやる。
それがオタクだ。
「いやぁ、やっぱ衣裳を作るのは大変だけど、楽しいわな」
「……コスプレするなら、ガチの方がいい」
ニコやルナもノリノリであった。
作業台の上でダンスを踊っていた。
ずんちゃずんちゃ。
さながらそれは、お立ち台だ。
「いや、人ん家のテーブルに乗らないでよ……」
日曜日の昼間。
アマネの家で、好き勝手する年下二人であった。

コスプレ衣裳には、既製品やオーダーメイドもあるけれど、自分で作った衣裳は愛着が湧くものである。
自分のスタイルに合わせて衣裳を作れるから、コスプレ衣裳はピシッとした見た目になり、撮影する時にかなり見映えがいい。
自分だけの特別な洋服。
そこには、読者モデルに通じるものがあった。
彼女達にとっての衣裳とは、自分を表現出来る道具。
漫画やアニメがあるから、可愛い衣裳を着ることが出来る。
そのキャラのことが、誰よりも好き。
自分と同じように好きな人がいるから、レイヤーは自分を見てもらえるのだ。
ジェムプリがそうであるように。
輝かしい宝石達のように、彼女達の道は色鮮やかに光輝いていた。


「なー、アマネ。話ぶった切っていい?」
「よく分からないけど、なに?」
「次のイベントなんだけど……」
「サラッと頭数に入れないでよ」
「アマネが居ると、イベントの集客率いいんだよね。金の為なら仕方ないじゃん」
「ニコだけだと、色物しか集まらない」
「ファンの人を色物とか言わないの。ニコもニコで、お金の話はしないの」
ニコのキャラとしては全然言っても構わないのだろうが、オブラートに包んでほしい。
コスプレは趣味の延長線上だとしても、生きる為にはお金を稼がなければならない。
それは分かる。
何故なら、ニコとルナの間には、金で結ばれた制約と誓約がある。
給料を払わないニコなど、価値はない。
ルナは即座にリリースするだろう。
生きる上でお金はこの世の全てではないが、オタクはお金がないとアニメグッズが買えないのだ。
推しが供給出来なければ、オタクにとっては死活問題だ。
人は綺麗事を言うが、お金が大事な理由はそれだ。
お金がないと推し活が出来ないから、仕方なしにでも働くしかない。
二人は、己が欲望を満たす為に、定期的に撮影会をしたり、メイド喫茶をしたりして生計を立てている。
おっさん達から金を毟り取って、尻の毛まで引っこ抜くのが彼女達の役目である。
俗に言うおやじ狩りだ。
そろそろ狩るか………。
そんなノリでイベントを始めるし、おやじは何回狩ってもいい。

ニコ達は先日、プールを貸し切って尻相撲大会を開催した。
ファンとの交流会。
第一回メガニケ杯。
優勝者は勿論、アマネである。
ケツの性能の差で、参加者を圧倒していた。
あれはもう、重質量弾である。
二十○歳の成人女性が本気でケツで攻撃する様は、令和の競女!!!!!!!!の再来である。
アマネとニコの一騎討ちで、シリとシリの鍔迫り合い。
薩摩チェスト顔負けの戦い。
死闘を繰り広げた二人の五分間は、あまりに下品過ぎて記録に残すことは出来なかった。
流石のカメラマンも、数十万円するカメラに汚ねえキャットファイトを残すのには躊躇していたのだ。
資産価値が下がるわ。
そんなこんなで、アンダーグラウンドのイベントが終わり、次はちゃんとしたメイド喫茶をする手筈になっていた。
今回ばかりはお金が掛かるイベント故に、読者モデルである風夏や冬華を呼ぶことは出来ないが、以前のメイド喫茶を手伝ってくれた子や、ファンの子も参加してくれる。
勢いは衰えることなくイベントが出来るわけだ。
盛り上がりそのままで、纏まったお金が入れば、蒙古タンメン中本とアマネの手料理のヘビロテ極貧生活から脱却出来るのであった。
「……いや、私の料理は普通に結構お金が掛かっているんだけど」
ニコの腹からしたら物足りないのかも知れないが、独身女性が食べる料理よりも手間隙掛けて作っている。
メインと副菜二つ付けて、バランスよく提供しているのにこの言われようである。
というのか、埼玉まで出向いて食べにくる交通費の方が高く付きそうだが。
ニコもルナも、家に居ても暇なんだろう。
だから、三人で集まってしまう。
一人で黙々とコスプレ衣裳を製作するよりかはいいのか。
一人だと直ぐに飽きてしまうけど、誰かが頑張って作業をしていたら負けじと頑張れるものだ。
特にアマネには土日しか休みがないために、一気に作業する必要もあった。
モチベーション高く作業をしていたい。
それに、三人の技術力を合わせれば、大抵のことが出来る。
それだけは利点であろう。
現に、宝石の女王のステッキに施された細部に渡る造形やギミックは、二人がいなければ出来なかったはずだ。

手伝ってくれたお礼とはいえ、三人分のご飯代が掛かったり、寝床の準備をする必要があったり、明確なデメリットも存在する。
あと、この二人が来ると、ユーチューブのおすすめリストが汚染される。
自分のアカウントでログインしろ。
RTAを見ながら作業をするな。
「さて、私の衣裳は一段落したから、次はダイヤちゃんの衣裳を手直ししないとね」
「今回はアマネが宝石の女王やるから、ハジメちゃんがダイヤちゃんやるんだっけ? サイズとか分かるん??」
「この前、衣裳用に身体の採寸してもらったから大丈夫よ」
「新手のストーカーかよ」
男の子の全身の数字を計る系女子爆誕。
「いや、読者モデルだから、事務所にあったデータ送ってもらっただけなんだけど……」
「転売しよう。高値で売れる」
ルナは、外道であった。
知り合いの年下男子の個人情報を高額転売しようとする。
せっせとコスプレ衣裳を製作して撮影会を開いて、コスプレしている場合じゃねえ。
ハジメちゃんは、金のガチョウである。
余すことなく食べられるあたり、アンコウと同じだ。

「男子高校生は貴重。一部の人間は幾らでもお金を出す」
それ、狂っている人だけですから。
絶対にハジメ狂の人間だ。
近過ぎるが故の歪んだ愛情である。
日夜ツイッターを徘徊している化物だ。
いやまあ、関わりが深くない方のアマネですら、思い浮かぶだけで数人やばい人間を知っている。
ハジメちゃんガチ勢。
生粋の狂人集団である。
ハジメは、話してみれば分かるくらいの常識がある好青年だし、それでいて女慣れしていなくて抜けている。
女性の庇護欲求を掻き立て、誰よりも応援したくなる気持ちは理解出来る。
そうでなくとも、自分の夢の為に頑張る男の子が好きなのは、年上の女性共通の感覚だろう。
主人公は、子供だからいい。
大人になってしまった自分の分まで青春を謳歌して欲しいと自己投影してしまうものだが、少しばかし性的対象として見られているあたり、可哀想なハジメちゃんであった。
アマネは、メイド姿の男の娘が好きなだけであり、ハジメを性的対象にしているわけではない。
ハジメやふゆお嬢様含め、彼等はメイド界隈の身内だ。
パイセンとしてのメンツもある。
月一のイベントで顔合わせする人間に欲情していたら変態である。
ニコはマジレスする。
「……その割りにはファッション雑誌を毎月買ってるけど」
毎月の習慣として、ティーン向け雑誌を買うおばさんだった。
ハジメや風夏達が一ページでも載っていたら、ちゃんと買うおばさん。
「いや、まだ私達は若いから。おばさんじゃないわ」
「本屋の店員さんは、そう思ってないから」
ニコは即座にツッコミを入れる。
悲しきがな、二十歳でも高校生のクソガキからババア呼ばわりされる時代だ。
とはいえ、ババアが高校生のファッション雑誌を買っていたら店員さんが困惑するため、セルフレジを使用していた。
最近の本屋さんはセルフレジを使えば、何を買ったかバレないで購入が出来るのだ。
えっちな漫画を買うのに抵抗があるオタクでも、安心してレジに持っていけるぞ。
安心してTSUTAYAを利用しよう。
「アマネぇ、そんなん気にしてたら、オタクやってられないじゃん」
「しょうがないじゃない。だって、うわっ、あのお姉さん顔に似合わずどぎつい漫画読んでるじゃん。やばいとか思われたくないもの」
「自分のことお姉さんとか、顔に似合わずとか言っている方が、数百倍やばいけどねぇ。……ルナはどう思う?」
「まともなのは私だけ。二人ともイカれてる」
濡れた犬みたいな匂いがする、陰湿でジメジメした人間が何を言っていやがる。
二人は同時にルナを見る。
それに臆することなく、真顔である。
ルナは元々感情の起伏がないためか、無表情なキャラクターのコスプレをすることが多い。
ジェムプリの真珠ちゃんも自分を表現するのが苦手な女の子なだけで、仲間思いの優しい子である。
しかし、ルナはイキっていた。
仲間など、弾除けの楯くらいにしか思っていない。
憎まれっ子世に憚る。
そう思ってしまうほどのキメ顔をしている。
この中で一番年下。
最年少のルナが調子に乗っても怒られない。
三人共に付き合いが長く、休日に集まるほどに仲が良いからある程度の悪態も構わないが、女じゃなければ余裕でしばかれているだろう。
昨今のレイヤーの質も地に堕ちたものだ。
高校大学と進学し、大学卒業と共に職にも就かず、コスプレしてレイヤーとして金を荒稼ぎ。
ファンタグレープをワイングラスに注ぎ優雅に飲みながら悠々自適な生活をする、なめ腐った人間が完成していた。
「勝手にワイングラス出さないでよ」
「ワイングラスで飲むファンタグレープは至極」
「どう考えても、こいつの方がやばいでしょ」
ニコは、ルナを指差す。
グラスを傾けてファンタグレープに舌鼓しつつ、足を組むな。
人ん家のソファーでここまで寛ぐことが出来るのは、ルナくらいだ。
アマネからしたら、遊びにきた親戚の幼稚園児の方が、もっと気を遣ってくれる。
この二人の気遣いなど、幼稚園児以下である。
ニコはルナのことを悪く言うが、正直二人は大して変わらない。
メイドリストは皆、同類である。
「まあ、そうかも知れないけど……」
ルナに限った話ではない。
全員イカれたやつしか存在しない。
それが、この世界の定めだ。
そんなことをこの場で言っても誰も得をしないので、黙っておく。
アマネは、社会人として長い間仕事をしているだけある。
わざわざ、ことを荒立てることは言わないのだった。
口は災いの元だ。
珍獣共の機嫌を損ねたら、自分の家を破壊するかも知れない。
1LKと家賃の割に広いマンション。
二十代の女性が住んでいるだけあり、リビングには物が少なく綺麗に使われている。
しかし、アマネは生粋のオタクだ。
彼女の寝室には、仕事して稼いだお金で集めたアニメのグッズや漫画本が数多く置いてある。
とはいえ、学生時代から集めている古い作品ばかりだが、古過ぎて今となっては絶版であり、プレミアが付いているものも多い。
それ以上に、どれも大切な思い出ばかりだ。
こいつらに、破壊されたらあかん。
子供を自分の部屋に居れたらいけない。
それと同じなのだ。
アマネからしたら、ガンプラおじさんと同じ気分である。
全てを破壊する存在。
そんなものを自分の聖域に入れさせるわけがない。
いや、素直に言うことを聞いてくれたら、それはもう聖人である。
屋根裏のゴミみたいな奴等に、それを求めるのは間違いだろう。
アクマみたいな顔をしている。
「そうだわ。二人の衣裳は終わったんだっけ?」
「うい~、完璧よ」
「めーん」
二人は拳で挨拶をしていた。
どこぞのストリートミュージシャンだ、お前らは。
酒も飲んでないシラフの人間のテンションではなかった。
衣裳を終わらせる勢いのままだから、テンションが高いのは仕方ない。
やっときた仕事終わりの休日に、はしゃいでしまう気持ちも分かる。
いや、こいつらは毎日が休日だから関係ないか。
レイヤー兼ユーチューバーという、クソジョブを二つ修得していやがる。
ニコ達の仕事は、ゲーム配信やポケカ開封したり、蒙古タンメン中本RTAするか、蒙古タンメン中本巡りの動画撮影をしている。
どんだけ蒙古タンメン中本が好きなのか。
ファンからの差し入れが蒙古タンメン中本ばかりなせいか、アマネの家にも常時箱でストックが存在していた。
そして、アマネは食べたことがない。
辛いものが苦手過ぎる。
隣でニコが食べている熱気で、目が痛くなる系女子なのだ。
ニコ達の動画内容がふざけているとはいえ、ユーチューブの撮影が大変なのは知っている。
しかし、こんな底辺レイヤーに根強い登録者やファンがいて、少ないながらも収益で食べていけるのが不思議であった。
女の子は可愛ければ、生きるのが気楽でいい。
多少動画内で可愛くやるだけで、一定数の再生回数が稼げる。
可愛いは正義だ。
そう考えたら、小日向風夏ちゃんの事務所のチャンネルが人気なのは頷ける。
だって、出てくる読者モデルは全員可愛いし、ファンの子へのファンサービスも欠かさずに行っているからだ。
可愛い読者モデルとチャットで交流出来るなんて、ファンからしたら涙流しながらコメントしてしまうものだ。
しかし、ニコのチャンネルもそれに負けないくらいの登録者数があった。
こいつらのファンサービスなど、対戦動画で煽り散らして素晴らしいデュエルだったぜぇ! だが、俺を倒すには程遠いなぁ!! とか言い出すタイプの外道キャラなのである。
決闘者は、女子供でも容赦しない。
リスペクトデュエル。
それが本来あるべき正しい戦い方なんだろうが。
全体的に、女の子が撮る内容ではない汚い動画ばかりである。
まあ、時代の流れ的には、その手の叩きやすいタイプのユーチューバーが好かれやすいのかも知れない。
炎上しても仕方ない人間性なら、問題になっても許してもらいやすい。
綺麗なものは汚れたら汚くなるが、汚いものは汚いままだ。
計画的な犯行である。

だが、そんなニコでも炎上することはある。
ニコはつい先日の尻相撲の一件で、ファンをケツで殴り飛ばすという暴力事件で炎上していた。
ファンをケツで殴り飛ばすとは何事だ。
これが海外だったら暴力だ。
そんな意見が多数寄せられていたが、しかし此処は日本だし、日本人からしたらご褒美だ。
そもそも金を払ってイベントに来るのは余程のファンだから、推しのケツでビンタされるのは嬉しいはずだ。
今のご時世、ファンと握手するのはまずい。
衛生面を加味したら、ケツならセーフである。
メイド喫茶からニコのことを好きになってくれた女子中学生達を、吹き飛ぶくらいにぶっ叩いた女だ。
ファンを喜ばす為なら、女子供も殴り飛ばしてきただけあってか、面構えが違う。
みんな家族なのだ。
喜びも悲しみも一緒に共有したい。
ファンに忖度しないところが、彼女の良さである。
いい意味でも悪い意味でも。
馬鹿なのだ。
ニコは気付いたように動画を漁る。
「そうだ。この前の風夏ちゃんの動画見た?」
事務所のアカウントで上げている夏ファッション紹介動画である。
三人とも土日を挟んでいたので見ていなかった。
知り合いの動画配信は欠かさずチェックするようにしているが、中高生のコスメやファッション情報を上がって直ぐに逐一確認するのはきつい。
若い子のテンションについていけないと、自分達がおばさんだと再確認させられるのだ。
しかし、ファッションを理解出来なくても可愛い女の子を見ているだけで全然あり。
風夏ちゃんは見る栄養摂取。
可愛い女の子に癒されたい人は多く、動画には大人や男性のファンも居るし、動いている小日向風夏ちゃんを見たい人間は多いのだ。
直で見た風夏ちゃんの方が顔がちっちゃくて百億倍可愛いが、動画内なら何回でも楽しめる。
毎日小日向である。
「よく分かんないけど。……風夏ちゃんの動画を見るなら、飲み物を飲みながらゆっくりしましょ」
アマネはそう言い、三人分の飲み物を用意する。
衣裳の作業ばかりでは疲れるし、休憩する時間も必要である。
アマネは、みんなにリラックス出来る温かい紅茶を淹れてくれる。
パック紅茶だが、充分美味しい。
三人はパソコンの前に横並びになり、動画を再生する。
動画は生放送。
ソファーに一人座った風夏ちゃんがメインになり、色々話してくれる。
タイトル通りに、今年の夏ファッションを紹介するもので、トレンドに合わせた洋服選びや、夏カラーを取り入れた外しファッションを紹介してくれている。
チャット欄にはたくさんのコメントが流れている。
流石、世界一可愛い読者モデルだ。
コメント数だけで分かるくらいに、絶大なる人気者だった。
中高生の可愛いコメントが多い中で、定期的にハジメちゃんは?という意見が流れてくる。
風夏ちゃんのファンも多いが、それと同じくらいにハジメちゃんを求めている異常者も多かった。
とはいえ、画面内には風夏しかいないし、事務所の一角で撮影しているから、ハジメが居るなら最初から参加しているだろう。
裏方に居るなら、ハジメちゃんを出し惜しみする必要がない。
出てこいや、ハジメェ。
バキ??
どういう流れか分からないネタコメントもあるあたり、ハジメのせいでファン層がおかしくなっていた。
風夏も風夏で、ハジメちゃん大好き民だ。
脱線し始めたら、ハジメちゃんの話をする。

ファッションの話を切り上げて、ハジメちゃんに電話ドッキリをしようとし始めていた。
生放送中に電話して、気付かないまま色々恥ずかしい話を引き出そうとする。
知り合いにドッキリするのはユーチューブではよくある手法だが、使い古された手でも面白いものは面白い。
風夏はスピーカーモードにして、ファンにも聞こえるようにする。

『小日向、どうしたんだ? 何かあったのか?』
ハジメは、気だるそうな声色で電話に出る。
アーカイブの時間的に、夕方過ぎだから、自宅でイラストを描いていたのだろう。
仕事中なのに、数コールで電話に出るあたり、ハジメの律儀な性格が垣間見えるものだ。
そこには、風夏ちゃんだから直ぐに電話に出てあげたということではない。
単なるお人好しだ。
「えっと、特に意味はないよ」
『え? ああ、うん。……そうか』
用事ないんかい。
彼の心境は計り知れない。
風夏が意味もなくハジメに電話してくるのは毎度のことなのか、今更怒るパワーもないようであり、ハジメの方から話題を広げていく。
『そうだ。仕事が大変ならちゃんと言えよ。夏の撮影が一番大変で、頑張らないといけない時期なのは重々承知だが、身体を壊したら元も子もないんだからな』
「大丈夫だよ。撮影は楽しいし、色んな水着を着れるのは今だけだからね」
『そうか。それならよかった。……それでも何かあったなら、俺にはちゃんと言えよ。小日向は他人の為に頑張り過ぎる節があるからな。いつも言っているが、自分の幸せを最優先に考えろよ』
「……うん。わかった」
小日向風夏は世界一可愛い読者モデルだと言っても、普通の女の子だ。
特にハジメが知っている彼女は、そうなのだろう。
読者モデルとしての使命を果たし、誰かの為に生きることは否定しない。
それが小日向風夏だ。
人が夢に向かって突き進んでいるならば、それは喜ばしいことだ。
だが、気を追ってまで頑張り続ける必要はない。
休みたい時に休んで、美味しいものをいっぱい食べる。
太陽のように明るく。
いつも笑って生きていく。
読者モデルは、そうでなくとも大変であり、辛いことも多いだろう。
しかしそれをはね除け、自分の生き様を見せる職業だ。
誰よりも楽しく笑って、幸せでいなければならない。
それが結果的にファンの為になる。
太陽のように明るく輝く光。
そんな彼女を見ていると幸せになれるから。
だからファンは風夏ちゃんの幸せを願っている。
故に、同じく小日向風夏のファンである東山ハジメも同じ気持ちなのだ。
いつもは苦言することばかりだが、誰よりも大切に思っている。
クラスメートだからでもなく。
可愛い彼女だからでもなく。
いつも隣に居て、他人の為に自分を犠牲にしてでも頑張る彼女の姿を見ていたから、口煩いのである。
ハジメは、大切な人が幸せで居てくれれば、それ以外は何も望まない。
人は生きている限り、ずっと幸せでいることは難しいから。
だから、いつも求めているのは、ささやかな願いだけだ。
俺の周りの人は、ほんの少しでいい。
自分よりも幸せでいて欲しい。
東山ハジメは、好きや愛していると直接口に出さなくても、そう思わせてくれる人。
どこまでいっても善人である。
死ぬまで変わらない。
風夏ちゃんの隣が彼でよかった。
陽キャと陰キャ。
読者モデルと同人作家。
道は違えど、互いの夢を認め合い。
支え合って生きている。
だから、二人は強いのだろう。


湿っぽい光景を見せられていたファン達であった。
チャットが静まり返っている。
画面裏の事務所の人が、ネタばらしをするように急かす。
これ以上ハジメが主導権を握り話させると、何を言い出すか分からないからだ。
風夏ちゃんへの愛が重い。
いい意味で男らしい。
だが、動画としては不味い。
どう考えても、ユーチューブで放送すべきではないプライベートに触れ過ぎている。
いつもハジメをいじっている事務所の人間でさえ、自分のしていることに負い目を感じていた。
大人より大人過ぎる。
『事務所のみんなは、いつも優しくて頼りになるんだから、悩みがあったら聞いて構わないし、気楽にいけよ』
聖人か、こいつ。
事務所のみんなは、日頃からハジメに事務仕事を押し付けて、買い出しや力仕事ばかりさせている上に、仕事が忙しい時は年下のハジメに泣き付いている。
やれやれ仕方がないな。
そんなノリでハジメは、自分の担当外の仕事をしてくれているのだ。
それなのに、裏ではちゃんと尊敬してくれている。
ハジメちゃん、ちゅき。
お姉さんキラーマシン。
東山ハジメがお姉さん人気が高い理由はこれだ。
『あ、正しジュリねぇ。あいつは駄目だ……』
自分のマネージャーをボロカスに言う。
画面外で、取り抑えられている声が聞こえてくる。
ジュリねえがぶち切れているのか。
アマネ達からしたら、話題に上がっているジュリねえが誰だか分からないけれど、聖人クラスのハジメから酷評を喰らう人間は限られている。
うん……。
やばいやつなんだろうな。
しかも特級呪物レベルの。
風夏も流れ的に不味いと思ったのか、ネタばらしをする。
「ハジメちゃん、ドッキリだよ」

『え? なに? お前の存在が??』

やっぱこいつ、クズだわ。

チャット欄がイキイキしていた。
案の定、炎上している。
あれだけ稼いだ男としての評価をファンの顔面に叩き付け、四股クソ野郎に原点回帰していた。
今時の主人公には、イケメン要素などいらん。
ハーレム展開に疑問を懐かないクズの方がいいのだ。
自分のファンに、両手の中指を綺麗に立てて見せるロックスタイルである。
はじめ・ざ・ろっく!
ハジメのことが好きなやつなんて、読者もファンも漏れ無くクズなので、自分と同類の方が自己投影しやすい。
「かくかくしかじか」
『へぇ、そういうことね。俺なんかにドッキリして楽しいんかね。再生数稼げないだろ』
「そんなことないよ。同じ事務所だし、ハジメちゃんも動画に出ればいいのに」
『ん~、ファッション情報の動画に野郎が出ても仕方ないからなぁ。正直、ファンの子だって可愛い女の子が見たいだろうしな』
こいつ、サラッと彼女を可愛いと言っていやがる。
風夏ちゃんは言われ慣れすぎているのか、気付いていない。
「じゃあ、ハジメちゃん単体の動画を撮影しよう」
ハジ100。
ハジメちゃんへの100の質問。
『いやいや、俺のことなんて十でいいわ。そんな引き出しないぞ』
「ファンの子は色々聞きたいことがあるかも知れないじゃん」
『俺のファンだろう? だったら、どうせろくな質問じゃねえよ……』
だから中指を立てるな。
ハジメの周りの女性は、民度の低さに定評がある。
色物キャラには、色物のファンが多くなりやすい。
よくコメントが炎上している原因はハジメの言動のせいもあるが、そいつらのせいでもある。
ハジメのことが好きで、ちゃんと応援しているには応援しているのだが、それは歪な愛情だった。
彼女達もまた、メイド服に人生を壊された被害者とも呼べるのだろうか。
例を上げるならば。
田舎生まれのいたいけな女の子は、新幹線を使って初めて東京のイベントに来て、女装した綺麗なメイド姿を見せられ、脳を破壊されていた。
ハジメちゃんさん?!
推しの読者モデル。
いつも優しい返信をくれる格好いい高校生。
そんな憧れの先輩みたいな人が、メイクアップアーティストの手により完璧に化粧していて。
超絶美人であった。
それは、女の子より女の子だ。
黒髪ロングのジト目のメイドさん。
自分よりも数倍可愛い男の娘の完成である。
彼女達の眼下に現れたのは、尊き理想の女性像だ。
聖母マリアのように、全身が輝いて見えるではないか。
罠だ。
オタク特有の張り巡らされた罠。
んなぁ。
憧れは止められねぇんだ。
虫が光に集まるように、本能には逆らえない。
推しがどんな格好をしようとも、推しは推しだ。
尊敬し、感謝する気持ちに嘘偽りはない。
でも、いきなり性別が変わるのは違うだろうが!
オタクなら、NTRモノにはNTRと名前を付けろ。
TS系読者モデルにもTSと付けるのが道理だろう。
強制的に脳を破壊され、メイドリストの深淵に沈められていた。
オタクになった入り口が男の娘なら、発狂もするだろう。
成れ果ての完成である。

ハジメちゃんのおかげか、チャット欄がイキイキしている。
叩きやすいサンドバッグ。
たまに殴ってくるけど。
そんなハジメへ向けて、ぽこぽこ上がるコメントが、鯉に餌やりしているかのような勢いである。
んほぉ、このハジメちゃん可愛い過ぎる。
異常な盛り上がりに、若干引いている小日向風夏であった。
可哀想な者を見る目をしていた。
自分のファンとは違う。
光に照らされて咲く花の真逆は、犬の小便を浴びて育った雑草か。
人生に余裕がない人間の哀れな姿に同情しているのであった。
ハジメちゃんのファンだから、何も言わなかったが、自分の好きな人にこれ以上舐めた態度をしたらどうなるか分かっているのか。
一瞬だけそんな眼光を放つ。
しかし、直ぐにいつものほわわんとした表情に戻す。
流石、世界一可愛い読者モデルだ。
感情を一瞬で静める。
風夏は、両手で一回拍手をして話を締める。
「……えっと、今回のライブはこれくらいで終わりにするね。次回はなんと、ハジメちゃんが参加するよ! やったね!」
「ハジメちゃんへの質問や聞きたいことがあったら、この動画のコメント欄によろしくお願いします。あと、チャンネル登録と好評もよろしくね!!」
『おい、小日向。俺は出るって言ってな……』
今回の放送は終了する。


「……動画終わったわね」
「滅茶苦茶、放送事故やん」
「コメントの締め切り今日までだって」
「じゃあ、早く考えないと」
「え? アマネがコメントするん? ユーチューブの禁止ワード知ってる??」
「別に普通の質問するから」
「え~、アマネの普通ねぇ……」
ルナは断言する。
「大丈夫。流石にやばいやつの質問は拾われない」
本当にやばいやつは、如何にこの恋の世界線であっても触れられないのである。
どんなキモいことでも、キモいと言って笑えるからいいのだ。
アマネ達は、ネタ枠で頑張ってもよかったが、ハジメに質問出来る機会は限られている。
せっかくだし、ちゃんと拾ってもらえるコメントを考える三人であった。
オタクとして訓練されているだけあり、そこら辺の文才はある。
とはいえ、質問内容が重複しないように中高生のファンのコメントに目を通しておく。
小日向風夏がメインのチャンネルとはいえ、二日足らずで数千のコメントが付いている。
好きな食べ物から、プライベートでやっていること。
お風呂で最初に洗うところまで多岐にわたる。
「まあ、普通の質問が多いみたいね」
「そりゃ相手は、腐っても有名人だもん。変なこと聞けないわよ」
ルナは質問を読み上げる。
「好きな念能力は何ですか。幻影旅団で好きなキャラクターは誰ですか。覚えたい念能力の系統は何ですか」
「小さい頃にハンター✕ハンターにハマり過ぎて満足そうに水見式をやっていたという、くっそ痛々しい黒歴史がおありですが他に言えないようなやばいエピソードはありますか」
「ハジメちゃんはメイドさんが大好きですが、好きになったきっかけは何ですか」
「彼女さん達との出逢いのエピソードが聞きたいです。あと好きなところも教えてください」
「トリコが好きらしいので、この機会に主題歌を歌ってください。全力の釘パンチが見たいです」
「メイド以外のジャンルでは何が好きですか? また、他にやるなら、どのジャンルがやりたいですか?」
などなど。
こいつら本当にハジメのファンなのか。
顔面にコメントを叩き付けるな。
質問相手がハジメであり、オタクのクソみたいなテンションに慣れているとはいえ、質問内容が容赦ねえ。
純粋なファンで普通の質問をする人間と、ハジメ狂の過激派の二極化である。
というのか、何年以上もやっている漫画アニメ専門チャンネルですら、コア過ぎて聞かれないような濃い内容もチラホラ含まれていた。
ユーチューブ知らなくて、動画初登場の人間がこれ全てを答えないといけないとか、ハジメちゃんが禿げるぞ。
そう思いつつも、アマネ達も他のファンに負けじと、無理難題の質問を書いてしまう乙女心。
だって女の子だもん。
何歳になっても、女の子は男の子に甘えたくなる。
それが道理であり。
この世界の歪み。
どこを見ても、大和撫子と呼ばれ、慕われるような女性はいない。
二十○歳の女性達が、ハジメちゃんに甘えている。
悲しき毒々モンスターである。
こいつらを日頃から相手しているハジメの気苦労は絶えない。
「……アマネは何て書いたの?」
「今度、ゴスロリを着てみませんかって書いたわよ。ほら、ハジメさんならゴスロリも似合うと思うの。まつ毛長いし、身長も高いから! あと、勿論のこと黒髪が似合う黒ロリがいいし、やってもらうならクラシックスタイルの綺麗系統の漆黒の……」
男の娘語らせるとやべぇな。
饒舌に話し出す。
きめぇ。
こいつに彼氏なんて出来るわけないわ。
しかし冷静を保ち、物語の進行を優先するニコであった。
「私利私欲やん。……ルナは?」
「綺麗なお姉さんは好きですか?ってコメントした」
「それなんてCMだよ?!」
こっちもこっちで、訳分かんねぇ。
チョイスしているネタが古過ぎる。
しかも、さも当然のようにニコのチャンネルアカウントからコメントしている畜生であった。
ニコの顔写真のアカウントがいい味を出していて、くそ笑える。
ルナの性根の悪さが体現されているほどに、悪魔よりも悪魔の笑みだった。
何て日だ。
この部屋にはまともなやつがいないのか。
メイドリストは異常者の集まりだから、一般人の常識を求めるのは間違いである。
しかも、数少ない知り合いの男の子に身内のノリを強要するな。
「じゃあ、ニコはなんてコメントしたのよ」
「そうだそうだ」
アマネに同調する畜生もとい、ルナであった。
「アタシはね、メイドさんシリーズの設定資料集やラフ画が見たいです、だ」
「それくらいラインで普通に言いなさいよ。ハジメさんなら直ぐに対応してくれるでしょう?」
「そうだそうだ」
「ゆーて、ハジメちゃんは彼女居るんだし、仕事以外のラインはしないじゃん」
……二人は、黙りこくる。
こいつらプライベートで会話していやがる。
高校生の男子可愛い。
何だかんだ一週間で数回のラインをしているらしく、楽しそうに趣味の話をしていた。
メイド好きはメイド好きと惹かれ合う定めなのだ。
というのか、メイドの話を全開で出来る相手など、メイド狂のハジメくらいしか居ないのである。
身体の半分は優しさとメイドで出来ている。
そんな人間だから、気兼ねなく趣味の話をしてしまう。
アマネは補足する。
「あ、一応、新作のメイド服の情報提供とかしているし?」
「専用のぐるちゃもあるよ」
「なにそれ! アタシ知らない!!」
ニコは当然の如く、グループチャットに入っていなかった。

ハジメちゃん、何で私だけグループチャットに入れてくれないのですか。

ニコの質問はこれになった。
だから、アンタもハジメちゃんを困らせるな。
とはいえない二人だった。

この質問が動画撮影で拾われないことを祈るばかりである。
……コメント拾う係がジュリねえであり、そんなささやかな願いは踏み潰される。


動画当日。
出来るだけ動画内でハジメちゃんが苦しむように努力するよ。
ジュリねえは、そんな歪んだ感情を胸に秘め、ハジメが質問の数々により苦痛に歪む顔を眺めていた。
それをおかずに、ツナマヨを食べながら恍惚とした表情をする。
怪物の中の怪物。
……意味が分からない。
この人、狂っている。
誰もがジュリねえのことを理解出来なかった。
人智を超えた異常行動を取るが故に、それは怪物であり化物なのだ。
ジュリねえは、電話でハジメに言われたことをずっと根に持っていた。
売られた喧嘩は買う。
圧倒的な強者は、何事にも引かず、容赦しないからこそ、強者なのである。
しかし、それはハジメとて同じだ。
動画撮影が無事に終わったら、殺してやるからな。
ハジメはそう思いながらも、ファンには笑顔を向けて、誠心誠意の回答をするのだった。
しかし、生身で彼に接したことがあるファンは、鬼気迫る雰囲気を感じ取っていた。
ハジメは普通にキレるタイプだから、この状況がやばいことに気付いていた。
しかし、対岸の火だ。
ハジメを怒らせていた原因が自分じゃないと知っていたからこそ、優雅に動画を見ているファン達だった。
許さないぞ。
よくも俺をここまでコケにしてくれたな。
殺してやる……。
殺してやるぞ、三馬鹿。

身内が見ていることがバレていた。
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