自死セミナー

ぬくまろ

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佐伯俊太の場合

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 佐伯は無表情のままだった。冷徹な目もそのままだ。三門の声が聞こえていないのか。
「ああ、ふうー」
 大きなため息をつき、天を仰ぐように両手を挙げ、脱力した後、ゆっくり顔を上げながら上目遣いで右隣の三門を見た。相手を見下したような目だ。
「ずいぶんと騒がしいセミナーですね。少し疲れた。でも、みなさんの話を聞かせてもらったので、私のことも話しますよ」
 遠くに視線をやりながら、幾分投げやりな口調で始まった。
「私は佐伯俊太。三十歳。ある大手の都市銀行に勤めています。某国立大学を卒業して入行。八年目になります。学生時代の成績は優秀でした。アルバイトに明け暮れている連中とは違い、私は勉強しましたね。授業では一番前の席に座り、先生の話を熱心に聞きました。授業が終わったら、図書館に行って復習。自宅に帰っても勉強、勉強。食べるときと寝るとき以外は勉強。だから成績はいつもトップクラス。五本の指に入っていたはず。それはそうでしょう。アルバイトばかりで勉強もしない連中とは、頭の鍛え方が違う。知識量も質も雲泥の差だ。そもそも大学は勉強するところだ。アルバイトに明け暮れる場所ではない。働くんであれば、就職すればいいんだ。会社に入るために卒業証書を受け取りに行くところじゃない。そういう連中がいるから、大学の質が下がるんだ。部活中心の学生生活を送っている連中も同じこと。ある大学の有名な教授も言っていた。クラブ活動中心の学生生活を送ってきた人を評価しませんと。なんのために大学に入るのか。それは勉強するためだ。そもそも勉強をやらないのであれば、大学に入る意味がない。就職に有利だからと入ってくる人に限って、卒業後は自分の専攻とは関係のない仕事をしている。私が企業の面接担当者だったら、そういう人を採用しません。ある大学教授はそんなことを言っていました。私も同感です」
 佐伯の話を真剣に聞いていたのは、三門と山名だけだった。空古田は怯えた目で床の一点を凝視していた。外神田は聞く耳を持っていないというふうに視線を泳がせていた。佐伯は一人ひとりの顔を見た後、深呼吸し、トーンを落とした口調で続けた。
「みなさん? 興味はないんですか。大事なことですよ。私は当たり前のことを主張しているだけです。でもまあ、あまり興味ないようですね。残念ですが、話を変えます。大学を卒業して、第一希望の大手都市銀行に入りました。そこを選んだのは給料の高さ。もちろん仕事内容にも興味はありましたが、将来の自分をシミュレーションして、ある年齢になったらこのくらいはもらえると算出しました。OBの話やネットからの情報によって簡単にイメージできました。他の業界と比較しても銀行業は給料がいい。中でも大手都市銀行は厚待遇。エリート街道を突っ走るには最高の舞台だと思いました。まあ東大や京大クラスでないと出世は限られている。多くは三十代で取引先企業へ出向して、そこで定年を迎えるというパターンが多い。幸い私はそのクラスに該当しているので、運が良ければ頭取になれるかもしれない。希望を持って入りましたよ」
 歯切れがいいのはそこまでだった。佐伯の顔に険が現れた。獲物に襲いかかる獣の眼光。怒りを今にも吐き出さんとする真一文字に結んだ口。近づくものを殴るかのごとく握られた拳。佐伯に視線を向ける者はいない。三門を除いて。
「ふざけるな! ということだぁ。いかにいい加減な組織かわかったよ。会社というところはいい加減だ。仕事をしたものが上に行けるわけじゃないんだ。一番大事なのは、上司へのごますりさ。銀行において出世するには上司へのごますりは欠かせない。営業成績は関係ない。上司の顔色を見て行動しないと出世できない。出世できなければ給料は上がらない。なんのためにここまで頑張ってきたのかわからない。一生懸命勉強して、大手都市銀行に入って、そこで頑張って、いい仕事をして順当に出世していく。こんな単純な流れのはずなのに実際はそうじゃない。おべっかこそすべて。上司や強い人のご機嫌をとらないとだめなんだ。私は仕事ができるのに、課長代理止まりだ。仕事ができない同期で、私より出世しているのはけっこういるんだ。大学も私よりも下のランクさ。ごますりで出世した奴らが銀行を支えているなんて間違っている。だから、日本はだめなんだ。ゆるさない。だからさぁ、ゆるさなかったんだ」
 佐伯は突然立ち上がったかと思うと、目をつむり、両手を顔の前に持っていき、左右それぞれの指先同士を合わせて、うーうー唸り出した。
 何をやっているのか。山名、空古田、外神田は驚きの視線を注ぐしかなかった。三門は目を少し細くし、淡々と見ているだけだった。
「私は出世ルートから完全に外れた。もう努力してもだめだ。いくら仕事ができたって上に行けない。上に行くためには、ごますり、おべっかが必要さ。でも、そんなの邪道だ。私にはできない。将来はもう決まっている。取引先企業や関連企業の経理部長か総務部長で終わりだ。それ以上はない。もうだめだ」
 佐伯は話し終えた後も目をつむったまま立ち尽くしていた。
 宿した狂気が息をひそめているが、いつ爆発するのかわからない。今すぐにでも破裂しそうだ。殺気に満ちている。皮膚を破り、真の姿を露わにするのか。
 空古田の目は動かない。固まった。恐怖のあまり停止したかのように。
「佐伯さんの話を聞いて何か言いたいことがあればどうぞ」
 三門の口調は変わらなかった。それでも三門に視線を向ける者はいない。佐伯の狂気がそれをさせないのだ。参加者のからだが凍りついていた。
 こんな場面で振るなんて……誰もがそう思っているようだ。顔の表情、視線の方向がこの場面を拒絶していた。
「なあ! 聞かしてくれよぉ。頼む。助言をくれよぉ。どうしたんだ。山名さん、どうですかぁ」
 場面のページを捲ったのは佐伯自身だった。訴えかけるというよりも、叫びに近い。声が震えていた。指名された山名は一瞬ビクッとしたが、からだを丸め、視線を落としたまま再び凍りついた。
「どうせ死ぬんだから。さあ! 聞かせてくれよ」
 そのときだ。
 ビクビクと事の成行きをうかがっていた山名の怯えた表情が一変。顔が紅潮。興奮と怒りを映した目が佐伯に向かった。
「佐伯さん。あなたは何しに来たのですか」
 表情は変わっても口調は穏やかだ。不必要な感情を抑えているようにも見えた。さらに
「どうせ死ぬんだから? その言い方は何ですか? そんなに私たちに死んでほしいのですか? 私たちを殺したいのですか? もちろん私は自分の終わりを見届けるためにここに来ています。私の心身はボロボロ。修復できないほど傷んでいます。でもなぜ、そのように言われなきゃいけないんですか。どうせ死ぬんだから? それはそうです。あなただってそのつもりでここに来たはず。と思っていましたが違う。あなたには同士の気持ちが感じられない。あなたの言っていることがわからない。あなた……」
 山名は目が潤み、言葉に詰まった。次の言葉を考えているというよりも、言いたいことがあるのに出てこないといった表情だ。みんなもそれを理解し、静かに見守るように山名に視線を注いでいた。
 待つこと三十秒。つっかえていたものが出てきた。
「佐伯さん。あなたは情けない人。あなたの話を聞いてそう思いました。私もたいした人間じゃないけれど、こんな私でも意見を述べさせてください」
 山名は許しを請う子どもような目付きで、一人ひとりをゆっくり見つめた。
「佐伯さん、学生時代は勉強熱心な方だったと思います。小さい頃から優秀で周りからの期待も大きく、その期待に応えながら賞賛を浴び続けていたのだと思います。受験戦争を勝ち抜いて、狙っていた大学にも入れたので、ご自分も周りの方々も鼻高々だったことでしょう。そして、一流大学を出て、有名企業に入ったのも実力と努力の賜物です。誰から見ても羨ましい経歴。私なんか勉強ができるほうではなかったので、佐伯さんのような未来図を描くことはできなかった。人間、最初から無理とわかっていることは簡単にイメージできません。少なくとも私はそうでした。でも、あなたの話を聞いて何をどう言えばいいのかわかりません。私の頭がよく回っていないのかもしれませんが、あなたのこれからの行動がよくわからないのです。私は死んでしまいたいという強い気持ちで仲間を求めてここに来ました。佐伯さんもそうだと思うのですが、話を聞いているうちにわからなくなりました。わたしはもう限界、いっぱいいっぱいの気持ちで孤独の底からみなさんを見ています。そこにいる人たちの気持ちはみな同じ。同じであってほしい。そして、そういう人たちと同じ気持ちでラストを迎えたい。ほんとうに迎えたい。ただそれだけです。でも、でも、あなたはわからない」
 山名の言葉が途切れた。視線は斜め四十五度下に固定されたまま動かない。言葉に詰まっているという感じではない。視線は意思を持って床を貫いている。
しばらくして、視線が水平になり、少し左に向き、佐伯を捉えた。
「あなたに殺される。私はあなたに殺される。一緒に死んでくれる人じゃない。死ぬんじゃなくて、殺されるの。ふたつは同じ意味じゃない。私は死にたい。殺されたくない。佐伯さん、あなたは同じ気持ちを持っていない人。私にはわかる」
 佐伯は山名の目力に気圧されなかった。
「山名さん。あなたは何を言っているんだ。私は助言がほしいと言っているだけだ。質問の意味を理解してくれないと困る! どいつもこいつも同じだ。俺の苦しみなんて誰もわかってくれない。わかってくれようとしない。山名さん。あなたに殺される? 私はあなたに殺される? 一緒に死んでくれる人じゃない? 何なんだその言い方は! ふざけるな! ほんとうに殺してやろうか。死にたい奴にとっては、自殺も他殺も同じことだ。お望み通りに殺してやるよ」
 佐伯の目は血走っていた。エリートサラリーマンの面影はまったくない。獣の顔だ。獲物に襲いかかろうとしている獣の顔だ。
 いや、それだけではなかった。
「えっ! なに? きゃーっ!」
 目の前の山名に向かって歩き出した佐伯。山名の前で立ち止まり、山名を見下ろす。山名の視線が上がった瞬間、それは起こった。
 佐伯は山名の首に両手をかけて、喉仏を両手の親指で思い切り押さえ付けるようにして首を絞め始めたのだ。
「うっ」
 息ができない。言葉も出ない。山名の顔は恐怖の色彩を帯びており、目は大きく見開いていた。死を望んでいた山名。望み通りの結末を迎えようとしていた。
 空古田は恐怖のあまり停止した。外神田は後ろにのけ反るように立ち上がろうとして、椅子とともに転がり落ちた。止めるものは誰もいない。椅子が床に落ちた音、それ以外の音はない。無音の時間がゆっくり過ぎようとしていた。
 そのときだ。
〈バシッ〉
 佐伯の右頬を平手打ちした。三門だった。
 不意打ちを食らった佐伯の両手は緩んだ。反射的に、佐伯は痛みを飛ばしてきた方向を見た。血走った目は、視界に入った人物に向かった。緩んだ両手は再び息を吹き返し、豹のごとく俊敏に三門の首に襲いかかった。
 一瞬の隙をつかれたのか、抵抗する間もなく、三門は捕まった。佐伯は山名のときと同じように、首に両手をかけて、喉仏を両手の親指で思い切り押さえ付けるようにして首を絞めた。声も出ない。目は閉じたままだ。抵抗することもできないのか。
 誰も助けようとしないまま時間が過ぎた。
 力を緩めた佐伯の手から三門は解放された。三門は崩れるようにして床に落ちた。
 蔑んだ目の持ち主が口をゆっくり開いた。
「ふう。一人も二人も同じだ。一人やったら弾みがつく。度胸がつく。二人目、三人目、四人目、五人目もきっと同じさ」
 佐伯は周りをゆっくり見回した。
 山名が動いた。山名は三門に近づき、手首を取り、耳を三門の口に近づけ目をつむった。
 十秒経過。
「殺したんですね。佐伯さん。あなたが三門さんを絞め殺したんですね」
 目に涙が溢れ、恐怖の表情を浮かべていたが、低音でしっかりした言葉を佐伯に投げた。
「山名さん。ここをどこだと思っているんだ。ここは死にたい奴が集まっている場所だ。何をそんなに恐れる? 死ねば目的達成だろう? 手段は自由だ。まずは一人。そういうことだろ!」
「助けてぇ。私に何もしないでぇ。お願いぃ。お願いぃでぇす」
 からだが震え、声が震え、目は焦点が定まらず、涙が怯えの屈折率を高めていた。外神田の後ずさりは、まるで逃げ場を失った子猫のようだ。
「外神田さん。勘違いしないでよ。死ぬために来たんじゃないの? 目的はそこにあるんじゃないの? ひとりじゃ何もできないから、同志で集まって目的達成! だろ? 同じことじゃないか。まずは三門さんからだ。たまたまこうなっちまっただけだ。絞め殺した? だからさあ、たまたまこうなっちまっただけだ! なあ、そうだろ」
 頭から、肩、腰、足先まで、外神田の震えは増幅していた。からだには、佐伯の視線が刺さったままだ。
「ほんとうに助けて。お願い。死にたくない。ほんとうは死ぬためにここに来たんじゃないの」
 外神田の告白が始まった。恐怖に怯えながらも、佐伯の視線を必死になって抜こうとしていた。声の震えも増幅していた。
「聞いてください。私は死ぬためにここに来たんじゃないの。だから、聞いて」
「なにぃ! 何しに来たんだ! じゃあ、さっきの話はデタラメなのか」
「違う。違う。そうじゃないの。あの話はほんとうなの。アシスタントディレクターの話はほんとうなんです。雑用ばっかりでむしゃくしゃしていたんです。毎日毎日雑用ばかりで、うんざりしているときにあのチラシを受け取ったんです。最初に見たときは、気持ち悪い文面としか思わなくて、捨ててしまおうと思ったんですが、『自殺したいと思っている気持ちをみんなで共有してこそ、あなたの思いは達成されるはずです』という文章を見て興味を持ったんです。興味といっても、そういう気持ちを持っているということじゃなくて、ちょっと覗いてみようかなという軽い気持ちだったんです。チラシを受け取ったとき、SL広場を歩いていました。急に雨が降ってきたので、小降りになるまで雨宿りをしようと思ってファーストフード店に行きました。そこで文面を見ているうちに、どんなセミナーなのか覗いてみよう、死にたいと思っている人の顔を見たいと思って、半分冷やかしのつもりで来ただけなんです。すみません! 許してください! お願いです」
 言い終えると、外神田は号泣しながら、手を合わせ、許しを乞うていた。
「ふざけるな! 今さらなんだ! 冷やかしだと? 参加したからには目的を達成するまで終わるわけがない。そうだろ? ここまでプログラムが進んでいるのに、出て行きたいだと? ふざけるな!」
 人間の皮を被った獣。佐伯の変貌は止まらない。
「やめてください! なんでこうなるの? 死にたくないって言っているじゃないですか。どうしてそういう人を死に追いやるんですか。佐伯さん、あなた、ちょっとおかしいです。あなたの場合は、人を殺そうとしているだけです。一緒に死んでくれる人ではありません。あなたとは一緒に死にたくない。もうやめてください!」
 山名も号泣し、椅子の前にうずくまった。
 次の瞬間、佐伯は山名に飛びかかった。豹のごとく、容赦なく獲物に食らいつくように、山名の首に素早く両手を下ろした。覆いかぶさった獣に理性は通じない。
〈パン〉
 佐伯の側頭部に何かが飛んできた。思わずよろけた佐伯だったが、すぐに体勢を立て直し、飛んできたであろう方向を見た。視界に入ってきたのは、弱々しいが真っ直ぐに立つ三門だった。
「へっ? あんたー、あんたー。死んだはずじゃなかったのか。俺は確かに絞めたはずだ。そんなバカな」
 佐伯はそこまで言うのが精一杯。一気に顔面蒼白に。手足がわなわな震えて視線が定まらない。獣から人間へ戻った瞬間だった。
「佐伯さん」
 口調は落ち着いていた。怒っていない。泣いていない。取り乱していない。倒れる前と比べても何も変わっていなかった。
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