探求の槍使い

菅原

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皇国の日常

時代の流れ

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 休息日より二日が過ぎた。
 ラインハルトは相も変わらず自堕落な生活を送っている。尤も、傍から見ればそう見えるというだけで、彼自身は至極真面目に生きているつもりなのだが。

 彼からすれば、水準の低い輩を相手に無意味な訓練ごっこで戯れるよりも、昼寝をしていた方が何倍も有意義なのだ。唯一、ジン程腕の立つ兵士と共にであれば、為になることも多いだろう。しかし彼は、そうすることが出来ない。何故なら、彼の力はあらゆる問題事を引き寄せてしまうからだ。

 軍に入隊した当初、ラインハルトにも、ジンと共に訓練に励んでいた日々があった。まだ世界が平和になる前の話だ。すると周囲の兵士は、ジンと共に訓練をするラインハルトを、頗る腕の立つ戦士であると認識し始める。やがて周囲の兵士らは、是非指導して欲しいとラインハルトに言い寄り、それを受けることで個別指導が始まるのだ。
 こういった一連の流れは、実に素晴らしい習慣であった。兵士は自らの意思で力の向上を図り、力ある者はその力を見せつけることで敬われ、尊ばれる。これを幾度となく繰り返すことで、軍は屈強な兵士を維持することが出来た。だが、これが許されたのは、世界が平和になるまでの話だった。

 世界が平和になった後、各国は、軍の大きな縮小に着手した。戦う相手がいなくなり、不要になったためだ。その変化に対し、一般の兵士も早々に順応を開始する。多くの兵士は兵士をやめ、残った兵士も剣を振ることが少なくなった。当然だ。誰も人を殺したいとは思わないし、命を失う危険な場所へも行きたくはないだろう。
 結果優秀だった兵士もどんどん数を失くし、戦場を駆けることが主だった兵士の仕事は、町の警邏が取って代わってしまった。
 ラインハルトは、若いながらそんな時代の流れに付いていけなかったのだ。

 平和であることを良しとして剣を置いた兵士のように、槍を置くことが出来なかった狂戦士。それがラインハルトである。故に昔の習慣を名残で行っている今の温い訓練に我慢がならない。
 この間もそうだった。彼の力を知る兵士の申し出を、渋々、渋々了承し、個別特訓を始めた。だが蓋を開けてみればとても釣り合う力はなく、以前のように圧倒的な力で捻じ伏せてしまったのだ。平和になる前はそれでもよかった。相手はその力を見て、自分もそうありたいと奮起し、更なる力を身につけようと琢磨する。戦う力をつけ、戦場で功績を残すことが、名声を得る最短の道だったからだ。
 だが、平和に慣れた兵士に当時の兵士が持つ心意気はない。結果、ラインハルトが一方的に、相手に怪我を負わせたとして、ジンにこっぴどく叱られてしまった。
 こういったことが何度も続けば、腐るのも仕方のないことなのかもしれない。現に彼も、極力他者の訓練に関わらぬようになったのだし、皆が力を合わせて切磋琢磨している最中も、自然に囲まれた穏やかな木陰で、すやすやと寝息を立てている。

 
 さて、この日はあの少年と落ち合う約束の日。午前を昼寝にあてたラインハルトは、周囲の兵士が必死に修練に励む中、訓練用の鎧を脱ぎ捨て私服となると、町へと繰り出した。
 時刻は昼時、待ち合わせ場所は『大衆食堂 酔いどれ亭』。ラインハルトが細かな道を知らぬということで、この場所が選ばれたのだが、彼としては都合が良い。彼の考える作戦の中心は、まさにこの大衆食堂にあったのだ。

 店先の、客が出入りするのに邪魔にならぬところで、ラインハルトは壁に背を預け腕を組む。槍を持たず、軽装に身を包む彼はまるで一介の町人のようだ。
 程なくして、あの少年はやってきた。
「兄ちゃん!」
 遠くから聞こえる元気な声。あの時の涙は何処へやら、すっかり気を取り直している。着ている服はあの時と同じ。また、泥だらけの顔をみれば、おそらく水浴びの一つも出来ていないだろう。
 駆け寄る少年はラインハルトの下まで来ると、手を膝について乱れた呼吸を整え始める。
 それから深呼吸を経て、漸く呼吸が落ち着くと、目が隠れるほど長い茶色の髪をかき上げ笑いかけた。
「ふぅ、お待たせ」
「気にするな」
 言葉少な気に挨拶をすまし、ラインハルトはこの二日間で気になっていたことを尋ねる。
「母さんは無事だったのか?」
「うん! あの薬凄くってさ、飲んだら忽ち元気になっちゃった」
「そうか」
 色の良い返事に、自然と顔から笑みが零れた。

 見てくれの良い表面とは裏腹に、そうでなくては困る、と、ラインハルトは心の中で毒づいた。何せ金貨三枚を手放したのだ。金貨三枚とは、皇国の一般兵が丸々ひと月を当てて稼ぐ金額である。それだけの金を握らせておいて、間に合いませんでした、じゃあやりきれない。
 しかし、なんだかんだ考えながらも、目の前で幸せそうに笑う少年を見れば、安い買い物だったとも思うラインハルトであった。

 一抹の不安も取り除かれ、ラインハルトはいよいよ作戦の実行に移る。
 だが、実行するにあたって一つ、大事なことに気が付いた。
「ん……そういえばお前、名前は?」
「名前? “スレイン”だよ」
「よし、スレイン。これからこの店にお前を紹介する。付いてこい」
「え!? ちょ、ちょっと待ってよ!!」
 返事を待たずに店へと入っていくラインハルト。それを追うスレインも、店の中へ勢いよく飛び込んだ。

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