探求の槍使い

菅原

文字の大きさ
上 下
78 / 124
魔法都市

夕食の席 1

しおりを挟む
 その日の夜は、またもや小さな宴となった。宴の参加者は全部で七人。英雄ルインとその妻アネシアルテ、二人の師匠だと語るリエントにラインハルトら四名を加えた計七人だ。
「うわははは! いやぁ! 強いな君は! あんなに追い詰められたのは久々だ!」
 そう笑うのはルイン・フォルト。昼の姿からは想像もつかないほどの崩れようで、この時ばかりは賢者という名も似合わない。
「ごめんなさいね。この人お酒入ると直ぐにこうなっちゃうのよ。もう、お酒弱いのに無理するから」
 そう語るアネシアルテは存外酒に強いらしく、空の酒瓶が机の上に並んでいるというのに素面のようだ。
 ラインハルトはルインの隣で皿の上の肉を摘まみながら言った。
「賑やかでいいじゃないか」
 彼の対面にはカイネルが座っている。借りてきた猫のように大人しい。更にカイネルの隣には枯れ木のように痩せ細った老爺リエントが座り、これまた旨そうに酒を楽しんでいた。
 約一か月ぶりの楽しい宴だ。ラインハルトも存分に酒と料理を楽しむ。


 皆思い思いに楽しみつつ宴は進み、やがて今後の方針を打ち出す大事な話が始まった。まず話を持ち出したのはアネシアルテだ。
「そう言えば貴方たち。今後の行く宛はあるの?」
 何の気なしに出たその言葉に、ラインハルトは思い悩む。これまで英雄になることを目標に思い当たる要人と出会ってきた。だが世界が認めた英雄のうち、今この世に健在な英雄は全部で二人だけだ。巨人殺しの弓使いネイノート・フェルライト、そして救世の魔法使いルイン・フォルト。その二人との会瀬を果たした今、ラインハルトが次に行く道は何処か、彼自信にもわからない。

 言い淀むラインハルトを見て、アネシアルテは対面で酒を楽しむリエントを見た。するとリエントは揚々と頷き、酒が入ったグラスを置く。
「ふぅむ、もし君がまだ英雄に成ることを急くと言うのならば、西に行くことをお勧めするが」
「西へ? ……なぜか聞いても?」
 ラインハルトの知識では、大陸の西側に目ぼしいものは何一つなかった。これまで生まれた革命的な技術、名のある戦士、高尚な美術品といった産物は、どれもこれも大陸の東側から生まれたものであり、西にはそれが流れ着くばかりだったのだ。
 だがラインハルトの問いかけにリエントは思わぬ答えを返す。
「そこは今でも力ある戦士を欲しがっている。それこそ何人いても困らぬほどにの」
 要領を得ない言いぶりにラインハルトは顔を顰めた。
(賢い御仁はどうしてこう、ぼかした言い方をするのだろうな。もっとはっきりと言ってくれれば分かりやすいのだが)
 そう思い、更に問い詰めようとしたとき、ラインハルトは真横から肩を引き寄せられた。
「なんだラインハルト君! 次は西に行くのか!? それは都合がいい!!」
 声の主はルインだ。もはやべろべろに酔っぱらい、目は座り呂律も危うい。手に持ったグラスはとうに空で、それを勢いよく机に叩きつけると、彼はぱちんと指を鳴らした。

 突如、部屋の片隅で魔方陣が輝いた。それは青白く光り規則正しい点滅を数度繰り返す。その後点滅がやむころ、そこへ一つの人影が現れた。
「紹介しよう。僕たちの娘、シェインだ」
 現れた人影は、ラインハルトと同じくらいの年頃の女だった。漆黒の腰まである長い髪。年の割に貧相な体。肌は真っ白で手足は細枝のように細い。
 シェインはぼんやりとした様子で左右を見渡すと、酔っぱらった父を見つけるや否や声を上げた。
「ちょっと何するのよお父さん! いいところだったのに!」
 怒りの声とともに鋭い視線でルインを睨む。ところがルインは悪びれもせず、またシェインの叫びに反応することもなくラインハルトを見た。
「この子は僕たちの才能を色濃く引いた素晴らしい魔法使いだ。でも少々病気を患っていてね。だから是非ともここから連れ出してもらいたいんだよ」
 ルインの言葉に驚くシェインとアネシアルテ。当然抗議の声が重なる。

 俄かに騒がしくなる中、ラインハルトもルインに苦言を呈した。
「全く、この酔っぱらいは何を言っているんだ。大事な娘なんだろう? 初対面の男に預けるもんじゃない。それに病気なら家で寝ているのが一番いいだろうに」
 酔っぱらいの戯言だと割り切り、ため息交じりにあしらう。だが酔っぱらった筈のルインの目は、驚くほど真剣だった。
「……娘はその類まれなる才能から、魔法の力に酷く魅入られてしまった。物心つくころから寝る間も惜しんで研究に次ぐ研究……その甲斐もあって他を圧倒する力を持ってはいるが……見て御覧。年頃の娘だというのに身だしなみも気にせず、また外にも出ないから色も真っ白。食う間も惜しむからすっかりやせ細ってしまっている」
 ルインが指さす先を見たラインハルトは、その言葉に納得した。
 腰まである長い髪はその実、アネシアルテのように切りそろえてあるわけではなく伸び放題でぼさぼさだ。真っ白い肌も白くて綺麗というよりはやや病的であり、眼の下には寝不足が祟ってか大きなクマが浮き出ている。その細枝のような手足も、寝る間だけでなく食う間も惜しんで研究に没頭していたからだろう。
「この子の好奇心はここにいる間尽きることはない。何故なら彼女が称える書物だけでは、得られないことがこの世界には山ほどあるからだ。そのうちのほんの少しで良い。この子に見せてあげてくれないか」
 ルインはラインハルトへ向けて、深々と頭を下げた。そんな父の姿をアネシアルテ、シェインの二人は初めて見たようで、一時だけ抗議の言葉が途切れる。

 ルインの紳士的な態度とは裏腹に、ラインハルトは困り果てていた。
 彼の旅のもともとの目的は、彼が英雄になるための旅路だったはずだ。ところが今では二人の英雄に頼まれて子供を二人も預かろうとしている。これではまるで子守りの為の旅のようではないか。尤もカイネルは既に十を超えており、シェインに至ってはラインハルトと同年代で子供とは言い難いが、世間を知らぬという点では二人とも子供と然程変わらない。ただでさえ寄り道気味な旅だというのに、これ以上無関係な者を連れ歩くなど、英雄への道が更に遠のくように感じラインハルトは気が気ではない。

 勿論ラインハルトは断る気でいた。だがルインは変わらず頭を下げたまま、その姿勢を直すつもりもないようで頭を上げる気配が全くない。また、ここで一つ彼の意志を蝕む要因があった。それは先の試合において、ラインハルトはルインに勝つことができなかったということだ。勝者は敗者に従う。時代が違えどこれは、戦士の世界の常である。
「……はぁ、仕方がない。どうなっても知らないからな」
「おお、本当か!? ありがとう!」
 ラインハルトの了承を聞き取るや否や、揚々と手を取るルイン。あっけにとられていたアネシアルテと当事者のシェインは漸く我を取り戻し、再び抗議の声を上げる。
「ちょっとどういうこと!? 私行かないからね!」
 シェインの金切り声が響く。
「もう、何を言っているのよ! この酔っぱらい!」
 続いてアネシアルテも声を張り上げた。
 ここから親子喧嘩の夫婦喧嘩に発展する……ラインハルトはそう思っていたが、ルインが二人の耳元で何かを囁くことで、自体は急速に収束する。
 そして終いには二人してラインハルトに頭を下げてしまった。
「……宜しくお願いします」
 ぼさぼさの黒髪を必死に手で隙ながら、恥ずかしそうに頭を下げるシェイン。ラインハルトがそれに答える前に、彼女は急ぎ部屋を飛び出して行ってしまった。
「同年代の君を見て照れているようだ。これだけでも十分な進歩かもしれない」
 一人ほくそ笑むルインの陰で、ラインハルトは内心頭を抱えた。
 
しおりを挟む

処理中です...