愚骨な傭兵

菅原

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 シウバリスが家に帰ってから暫く、平和な生活が続いていた。好きな時に眠って、好きな時に起きる。気が向けば森の散策に出かけ、気が向かなかったら家に籠って木材加工に勤しむ。空腹を感じたら川に繰り出し魚を捕り、果物や獣肉を求め森を彷徨う。日々食うに困らぬのは、森が実り豊かであったから。それが例え寒い冬であっても、果物が多少見当たらなくなる程度で、魚や肉が尽きることはなった。そのことに感謝しつつ、彼は今日も自由な一日を過ごす。
 そんな生活を繰り返し一年程経った頃だ。彼のもとに思いもよらぬ来客が現れた。

 その日の昼を過ぎた頃。シウバリスの家に、フード付きの外套を被った者が訪れた。加えて、この場に頗る似つかわしくない、黒い執事服を着た初老の男性が一人。外套を羽織った者が徐にフードを外すと、その下からは彼も見知った顔が現れる。
「これは久しい顔だな」
「探しましたよ。シウバリスさん」
 現れたのはかつての組合役員ミーティアだった。ミーティアは仮初の右腕を見て悲しそうな表情を浮かべる。いたたまれなくなったシウバリスは、彼女を自宅に招き入れた。控えていた執事風の男性は、近くの農村に預けてある馬車の様子を見るといい、そちらの方へ戻っていった。
「弟さんは元気かい」
「ええ。奥様がとてもよくしてくださって、病気ももう殆ど治りました」
「それは良かった」
 暇つぶしで作った木のコップに、川からくみ上げた水を入れ、保存していた果物を放り入れる。これで柑橘の香りがする果実水の完成だ。それを机の上に並べ、シウバリスはミーティアに尋ねた。
「それで? こんな場所に一体何の用で?」
「……本日は貴方にお願いがあって参りました」
「お願い?」
 ミーティアは小さく頷くと、緊張を解く様にカップに口を付ける。

 程なく彼女は語りだす。
「単刀直入に申し上げます。シウバリスさん、奥様のことはもう忘れてあげて頂けませんか?」
「……何?」
 突拍子もない言葉に、シウバリスの頭は思考停止に陥った。言われた言葉の真意を探っていると、ミーティアは尚も続ける。
「貴方から手紙を貰ってからという物、奥様は旦那様とどこかすれ違いが起きてしまっています。今では夕飯も別々に取っているような次第で……お子もまだですし、このままでは後継も……」
「まてまて、一体どういうことだ? ちゃんと説明してくれ」
 勢いに任せてしまいたかったのだろう。ミーティアは改めて、言いずらそうに語りだす。
「奥様は、貴方のことを思い始めています。まるで初めて恋した乙女のように、毎晩貴方からの手紙を眺めては切なそうに抱きしめているんです。このままでは旦那様が奥様を見放すのも時間の問題かと。ですから、シウバリスさんには奥様を忘れ、新しい人と夫婦になっていただきたいのです。貴方が既に家庭を持っていると判れば、奥様も貴方を諦めて、また旦那様と仲睦まじくなってくださるに違いありません」
 ミーティアの提案に、シウバリスは言葉を失くした。

 シウバリスは、孤児院で彼女、キャロルロットと将来を共にする約束をした日以来、傭兵として孤児院を出たあの日……街で偶然彼女に出会ったあの日まで、その約束を信じ続けてきた。だが、笑顔で町を出歩く彼女を見て彼は悟ったのだった。今の幸せな彼女にとって、自分は必要のない存在なのだと。幼い頃の約束を何時までも信じていた自分が馬鹿だったのだと。顔には幼い頃の面影があったが、身に着けている物は比べようもなく上等で、比喩でもなんでもなく生きている世界が違うのだと気が付いた。勿論、娘としての寵愛を受けてきた可能性もあるにはあったが……指に嵌められた指輪がそれを否定していた。だからシウバリスは、彼女の前から去ったのだ。言い寄ったところで彼女の迷惑にしかならないと気づいたから。
 多くの男はここで、次の新たな恋を探すのだろう。それでも彼は、彼女の思いを断ち切ることは出来ず、これまでずっと彼女の幸せを願い続けてきた。例えそれが報われぬものだとしても、そんなことはシウバリスにとってどうでもよいことだった。そんなシウバリスにとって、ミーティアの言葉は怒りを抱くのに十分な威力を発揮する。
「……あの時、キャロルが私以外の男性を愛していると気付き、私は彼女の元を離れた。迷惑を掛けまいと合わないようにも務めた。それなのに……貴女は更に、私に彼女を忘れろと言うのか? 私には、彼女の幸せを祈ることも許されないのか?」
 静かな怒りだった。だがそれは嵐の前の静けさ。何かをきっかけに、一気に崩壊してしまう可能性は大いにある。ミーティアは恐る恐る答える。
「そんなつもりは……でもこれは貴方の為でもあるんです。一生報われない恋に苦しむよりも、新しく愛する人を見つけて幸せになった方が……」
「私の為? ははは……私の為か……」
「シ、シウバリスさん?」
 乾いた笑いを漏らすシウバリスに、ミーティアは狼狽えた。額に当てた手で目元は見えないが、二人を取り巻く空気が重くなるのを感じる。次の瞬間、シウバリスの怒りが爆発した。
「いつだってそうだった! 周囲の人間は己の物差しで私の幸せを決めつける。一人でいることがそんなに不幸な事か? 一方的に思いを寄せるのはそんなに迷惑な事か!? こうして辺境に引っ込み、関係を絶っていても尚、文句をつけられなければいけない事なのか!?」
 シウバリスがこれまで自身の心内を開けた相手は少ない。だがその全ての人が、ミーティアのようなことを宣った。一人は寂しいだろう。他にも女はいるさ。早く新しい人を見つけて幸せになるといい。本人たちは激励を込めたつもりだったのかも知れないが、シウバリスにとってはどれもこれも、神経を逆撫でするものばかりだった。

 我慢は遂に限界を迎えた。白熱するシウバリス。だがミーティアも負けてはいなかった。売り言葉に買い言葉か、場は次第に熱を帯びていく。
「では……シウバリスさんは、奥様を今よりも幸せに出来る自信があるんですか?」
「なんだと?」
「私と弟は奥様に救って頂きました。だから私たちは、奥様が幸せになるのであれば、何でも致す所存です。仮に奥様がシウバリスさんと一緒になりたいとおっしゃるのでしたら、命に代えてでもそれを叶えるつもりでした。シウバリスさんにも借りがありますからね。でもこの状況を見た後じゃあ……その決心も揺らぎます」
 ミーティアは家の中をぐるりと見渡す。
「どういう意味だ」
「だって貴方は、定職についておらず、住んでいるのは吹けば飛ぶような襤褸小屋。貯えがあるとも思えません。腕がそんなありさまじゃあ以前のように戦えもしないでしょう? そんなんじゃあ例え奥様とシウバリスさんが一緒になったとしても、奥様が今より幸せな生活を送ることはできないでしょう。旦那様と一緒に居るほうが幸せなのは、火を見るよりも明らかです」
 ミーティアの言葉に、シウバリスは何も言い返せなかった。全て事実なのだから仕方のない事なのかもしれない。片や無職で森にある襤褸小屋暮らし。財産という財産もなく、安定とは程遠い生活だ。片や貴族で町にある豪邸暮らし。利便性、財政力、将来性、何処を取って考えても、後者が選ばれるのは明らかだ。
 言葉を失くすシウバリスへ、ミーティアは尚も続ける。
「近くの村でいい人を紹介してもらえばいいじゃないですか。村の危機を救った戦士です。望む者もいるでしょう。そ、それとも私が一肌脱ぎましょうか? 貴方のことは……その……嫌いではありませんし」
 空になった木のコップを手放したミーティアは、頰を染めて指を弄ぶ。もしかしたらそれが彼女の望みだったのかもしれない。しかしシウバリスは、消え入りそうな声でこう言った。
「彼女の幸せの為になるというのならば、私が新しい家庭を持っていたと報告すると良い。安心しろ。私はもう町には近づかない。ばれることもないだろう」
 シウバリスはさっきとは打って変わって静かに言い放った。そこには怒りの欠片も感じられない。なんと覇気のない事か。ミーティアはそれから何かを語ろうと口をぱくぱく開閉したが、結局項垂れてそのまま小屋を出て行ってしまった。


 予期せぬ来客以来、シウバリスは更に森に引きこもるようになる。月に一度はあった農村への訪問も、二月、三月に一度の訪問となり、取引の数も目に見えて減っていった。そして……予期せぬ来客から三度目となる村への訪問時の事、彼の耳に、とある貴族が待望の子を授かった、との噂が入った。
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