白花の咲く頃に

夕立

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木の国《ドレスデン》編 風の王子

1-8 ウルズの泉 後編

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「あの様子ならアタシ達はこっちに集中できるわね。騎士達まで相手しながらなんてことにならなくて良かったわ」

 上機嫌なマルクが軽々とゼフィールを担ぎあげる。少しだけ首を傾げた彼は、何を思ったのか、ゼフィールの身体をペタペタ触りだした。

「思ってたより軽いわね。ちゃんと食べてる?」
「お前が重いだけだろ」

 馬鹿馬鹿しくてゼフィールの口から溜め息が漏れた。
 確かに、ここ数年で急に背が伸びたせいで肉付きが追いついてきてないところはある。けれども、細めというだけで普通の範疇はんちゅうだ。
 大柄で筋肉質のマルクから見れば、一般人は皆細く見えるのかもしれない。

「んま、女子に重いだなんて暴言じゃない!? アタシ、心は男だけど、見た目は女なのよ!」
「お前どっちも男だから」

 気の抜けた会話をしつつマルクが泉に足を踏み入れる。
 不思議なことに、彼は水の上を陸上と変わらず走っていた。今のところ沈みそうな気配も無い。魔法の一種なのだろうが、多芸な男だ。

(半分くらいまで来たな。これなら案外すぐに仕事も終えられるかもしれない)

 計画はとても順調で、ゼフィールが気を緩めかけていた時――。
 瘴気の塊から黒い風が吹き出し、辺りに暴風が吹き荒れ始めた。
 今まで静かだった水面は激しく荒れ、マルクが木の葉のように翻弄される。ゼフィールを抱えている分風を受ける面積も広くなってしまい、重心が安定していないようだ。

(あいつらは!?)

 ゼフィールは自らとマルクに防御障壁を張りつつ、双子に意識を向けた。やはり、というべきか、暴風の影響は泉周辺にも及び、二人も身体が流されている。

 ユリアは足を踏ん張ると、比較的すぐに体勢を整えた。
 しかし、そこに風に乗って速度を増した騎士が二体突っ込んでくる。一体は身体を捌くことで回避に成功。しかし、もう一体はモロに直撃を食らい樹の幹に背を強かに打ちつけた。衝撃で息が詰まったのか、激しく咳き込んでいる。
 そんな彼女に騎士が追撃をかける。ユリアは振り下ろされた拳を転がりながらどうにか避けたが、動きが今までより明らかに鈍い。先のダメージが尾を引いているようだ。

 リアンの方も穏やかではなかった。
 踏ん張ろうとした足元に上半身のみの騎士が転がって来たのだ。
 不安定な足元にリアンは体勢を崩した。そんな彼の頭を目掛けて他の騎士の蹴りが迫る。身体を捻ることで彼は強引に蹴りを避けた。
 避けるために転んでしまったリアンだが、流れに逆らわず、そのまま一回転して立ち上がる。

 立ち上がった際に周囲を見回したリアンの視線がユリアの方で止まった。どうやら彼女の形勢が思わしくないことに気付いたようだ。
 リアンがユリアのもとへ走り出す。合流した二人は互いが引き付ける数を変えて、再び追いかけっこを始めた。

 安全ではない。けれど、どうにかはなりそうだ。
 自分達の方に注意を戻すと、マルクの状態も、風が吹き荒れ出した当初よりは安定している。彼に限って大丈夫だとは思うが、一応安否を尋ねた。

「マルク大丈夫か!?」
「マルガレーテだって言ってるでしょう!? 大丈夫じゃないけど、大丈夫よ!」

 互いに怒鳴り合う。すぐ近くにいるのに、怒鳴り合わねば声が届かぬほど風がうるさい。
 それほどの強風だ。進むのは楽ではないのだろう。前傾姿勢になり波を越えるマルクの進みは、先程までと比べ随分と遅い。

「ゼフィール! 防御はアタシがやるから、アナタは全力で浄化に魔力を回して頂戴!」
「大丈夫なのか!?」
「あんまり得意じゃないけど、無いよりはマシなはずよ!」
「分かった! 頼んだ!」

 ゼフィールは防御障壁を解除すると細剣に魔力を込めることに集中した。障壁が無くなり暴風が容赦なく吹き荒ぶ。すぐにマルクの障壁がわずかだけ風を弱めてくれたが、本人の申告通り無いよりマシ程度だ。

 ゼフィールの長い銀髪とたっぷりとした布地の服がバサバサとはためく。マルクの長い金髪も風にはためき――泉の彼方に飛んで行った。

「……お前、ヅラ――」
「ぬぉおおおおっ! 女の命を傷付けるとは、許さんぞ!!」

 かつらを失ったマルクは刈り込んだ金髪を逆立てて吠えた。怒りで暴風も気にならぬのか、先程までとは比べ物にならぬ速さで進む。

 マルクの鬘事件で動揺したものの、ゼフィールは、改めて自分の仕事へ意識を集中させた。
 何か外的な力が心の中の暗い部分を刺激し、引きずり出そうとしているのを感じる。原因はおそらく、身体にまとわりついてくる瘴気だろう。それを証明するかのように、塊に近付くほど影響を強く感じる。
 この衝動に身をゆだねると、泉の周囲で暴れていた者たちの仲間入りをするハメになるのだろう。それだけは御免こうむりたいところだ。

 しかし、不思議なこともあった。
 強くなってくる悪意の他に、誰かの声が微かに聞こえる気がするのだ。――タスケテ。と。

 マルクの足がついに小島に届いた。彼は力強く大地を踏みしめ、ゼフィールを担いだまま塊まで走り抜ける。

「ゼフィール、行くわよおおお!」
「はぁああっ!」

 極限まで魔力を込めた細剣をゼフィールは瘴気の中心に打ち込んだ。が、まるで壁に阻まれるかのように剣が止まる。
 衝突部から光と黒い風があふれ、互いに混ざることなく、相手を飲み込もうと暴れだした。

「――っく!」

 反発する力に細剣を押し返されそうになる。マルクに担がれている状態故に踏ん張ることができないので、上半身の力だけで体勢を支えなければならない。下で担いでくれているマルクにも、かなりの負担が掛かっていることだろう。
 それでも、彼にはもう一頑張りしてもらわねばならない。

「マルク、押しこめるか!?」
「任せなさい! やってやろうじゃないの! 行くわよ!」

 血管が浮き出るほど力むと、マルクは一歩、また一歩前進した。

「「行っけぇえええ!」」

 マルクの助けを借りて、ゼフィールは必死に前へと細剣を突き出した。
 あふれる光と轟音。そして一瞬の静寂。

 ――リィン……

 澄んだ音を立てて細剣が砕けた。
 それでも、砕けた細剣の破片に込められた魔力が瘴気を中和し、塊を綻ばせていっている。そのまま塊が消え去って終わる――はずだった。

 予想に反して、綻んだ塊から今までとは比較にならないほどの狂風が噴き出してくる。マルクも体勢を保てなかったようで、吹き飛ばされ、ゼフィールを投げ出した。

 投げ出されながらゼフィールは視た。塊の中にいたものを。
 それは精霊。
 瘴気によって黒く堕ちてしまった風の精霊達だった。

 ――タスケテ、タスケテ。

 精霊の周囲を覆っていた瘴気の殻がなくなったことで、その思念が鮮明に流れ込んでくる。

(助けを呼んでいたのはお前達だったのか)

 風が容赦なく吹き付ける中、ゼフィールは堕ちた精霊達へと歩み寄った。

「ちょっとゼフィール、大丈夫なの!?」

 地面に伏せたマルクが心配そうに声をかけてくる。一般人ではもはや動ける風の強さではない。
 ゼフィールがこの狂風の中動けるのは、単に風の加護のお陰であった。幼い頃から守ってきてくれた精霊が、今も力を貸してくれている。

 ――キヅツケタクナイ。にノマレルノハ、イヤ。

 身を切り裂く風と共に悲しい思念が流れ込んでくる。肌が切り裂かれ、血が流れることにも頓着せず、ゼフィールは堕ちた精霊達のもとへ辿りついた。
 いつも身近であってくれた精霊達を解放してやりたい、その一心で。

(そうだな。俺も傷付けるのは嫌いだ。だから、おいで、風の精霊達。俺の元へ)

 腕を開いて堕ちた精霊達に呼び掛ける。その口から流れるのは子守唄。
 母が子を抱き、子を寝かしつける。そんな母の愛が込められた優しい唄だ。
 想いは力になる。
 浄化の願いを乗せた唄が、高く低く、湖面へと広がって行く。

 暴威を振るう風が収まっていく。その影響は泉周辺部にまで及び、ユリアとリアンを追いかけていた騎士達も動かなくなった。
 最後に残ったのは静かになった湖面と、小島に降り注ぐ小さな光。

(俺の中で静かに眠れ)

 降り注ぐ光はゼフィールの腕に抱かれ、やがて見えなくなった。

「ちょっとゼフィール大丈夫なの!?」

 ゼフィールに駆け寄ってきたマルクが尋ねる。ゼフィールに比べれば軽いが、尋ねてきた本人も随分と傷だらけだ。
 そんなマルクを見てゼフィールは力なく微笑んだ。

「お前も傷だらけじゃないか。なぁ、俺、上手くできたか?」
「バッチリよ! アナタが昔みたいに可愛い子供だったら、頬をスリスリして褒めたいくらい!」
「気持ち悪いからやめろっ! ……すまない。少し、休ませてくれ」

 運命の女達ノルニルの像に寄り掛かかりゼフィールは座った。泉の外を見ると、双子も互いに寄りかかりながら座り込んでいる。
 歌声と共に禍々しい気配は消え去った。この周辺は一先ず安全になったと考えていいだろう。どこかを走り回っているであろう獣達が気にはなるが、そこはマルクに頑張ってもらうしかない。

「のんびりしてから帰りましょ」

 自らも運命の女達ノルニルの像に寄りかかりながら、マルクが空を見上げた。
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