白花の咲く頃に

夕立

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風の国《シレジア》編 王子の帰還

4-27 決着

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 人気の無い牢の最奥にアイヴァンは静かに座っていた。背筋をきちんと伸ばし、姿勢良く座る彼には威厳すら感じられる。
 鉄格子の前にゼフィールが立つと、彼はこちらを向き、おもむろに口を開いた。

「生きて戻られたか」
「生憎としぶとくてな。いつかとは立場が逆になったな」
「ふむ……。ああ、そのピアス――」

 アイヴァンは少しだけ目を細めると髭を撫でる。

「正体を隠すために外しておられるのだろうと思って、荷の中にないか探したのだがな。つけて戻られるとは。どうりで見つからないはずだ」
「どこかの誰かさんが、心配な時は保険をかけておけと、口やかましく躾けたもんだからな。少し、細工をしておいた」
「ふふ。そうか。儂の説教も役に立ったか。いや、しかし。十年以上前の自分からもしっぺ返しを食らったのだな、儂は」

 嬉しいような、哀しいような、なんとも複雑な声音でアイヴァンが呟く。そんな彼に、ゼフィールは質問を投げかけた。

「一つ聞きたい。どうして民から司祭達を奪った? 彼らに戦う力は無い。それなら、教会に人々と共に置いておく方が、お前への反発も増えなくて良かっただろうに」

 アイヴァンは少し目を大きくしてゼフィールを見ると、軽く息を吐いた。膝の上に肘をつくと手を組み、その上にアゴを乗せる。

「そうか、貴方はご存知ないのだな。信心深い《シレジア》の民が神に祈り願うと、様々な祝福を得られることを。叶えられる事柄は願いによって千差万別だが、その効果はあらゆる摂理を捻じ曲げ干渉する。ある意味、最高の万能魔法と言っても過言ではあるまい」
「また、俺の知らないことが出てきたな」
「それも仕方なかろうよ。祈りが成就される時は、代償に相応の魔力、酷い時には命を持って行かれるらしいからな。当時の貴方はまだお小さかった。遊びで願いなどせぬよう、子供には教えぬのが一般的と聞いている」
「それで?」
「そのような力で祈られては困るではないか。"これまで通り"の平穏な《シレジア》に戻りますように、とな。祈りが叶えられれば儂は失脚するだろう。そうなる前に司祭を取り上げ、信仰に揺らぎを作ったのは当然だとは思われないか?」

 同意を求めるようにアイヴァンがゼフィールを見てくる。しかし、ゼフィールは首を横に振った。

「人々の信仰は揺らいでなどいなかったぞ。ネビスでは司祭を中心に男達が毎晩祈りを捧げていたし、司祭がいなくても、民は大教会に集い奉仕をしていた。それに、人は、苦しい時ほど神へ強く祈るもんじゃないのか?」

 アイヴァンはゼフィールの顔をマジマジと見ると、右手で顔を覆い、上を向いて笑いだした。

「はっはっは。そうか。普通はそうなのだな。儂にはそこまで読めなかった。何せ神など信じておらぬものでな。そうか、人々は祈っておったか。さしずめ、貴方こそが神の与えた救済の手といったところだろうな」
「俺はそんな大層なものじゃない。王族としての義務を放棄し、ただ逃げ回っていたばかりの俺は……この国で歯を食いしばっていた民にも劣る」
「ふふ。民草の中で育った貴方は、下々の気持ちも分かる良い王となるのだろう。不思議なものだ。こうしてみると、全ては、貴方を王として成長させる為にしつらえられた物語に見える。儂も、その舞台の歯車の一つに過ぎなかったというわけだ」

 自嘲気味に笑うと、アイヴァンは顔から手を下ろし、感情を消した表情でゼフィールに向き合った。

「それだけを聞きに来られたのではないのだろう? 本来の用件は?」
「お前のした事はどうあがなっても許されない。極刑が下るのは確実だ。どの程度の刑罰が下るかは、お前の方が分かっているだろう?」
「一番軽くても、取り調べ後に晒し首といったところだろうな。それが?」

 アイヴァンの眉が片方だけわずかに上がる。そんな彼に、ゼフィールは指を二本立てた。

「俺はお前に二つの選択肢を与える。一つは官吏により処刑される道。もう一つは俺に殺される道だ。好きな方を選ぶといい」
「貴方ご自身が手を汚されると?」
「お前の選択は?」

 アイヴァンの答えは返ってこない。黙って待っていると、彼は立ち上がり、深く腰を折った。

「貴方の手で眠らせて頂けるのであれば嬉しく思う」
「分かった。では、お前の最期は俺が看取ろう。その日が来るまで、お前が殺した者達に謝罪しながら暮らせ」

 話は終わった。ゼフィールがその場から去ろうと身を翻すと、後ろから声が掛かった。

「待たれよ。老いぼれの最期の願い、もう一つだけ聞き届けては頂けないだろうか?」
「何だ?」
「儂はこれから包み隠さず全てを語ろう。だからと言うには都合が良過ぎるのだが……聞き終えたら、終わらせて頂けぬか?」

 思いもしていなかった願いに振り向く。
 ゼフィールを見つめるアイヴァンの顔には濃い影があった。走り続けた道は終え、もう疲れてしまった、と、表情は雄弁に語る。

 叶えるべきではない願いだろう。彼の罪は重い。規則に則った手続きを踏んで処刑されるべきだ。
 別段今全てを聞かされずとも、取り調べの役人が全てを聞きだす。この願いは、さっさと肩の荷を下ろしてしまいたいアイヴァンの我儘だ。

 分かっていた。

 しかし、ゼフィールはその願いを受け入れた。

「聞き届けよう。話すといい」
「王子、それは――」

 案内をしてくれた騎士が横から口を挟む。ゼフィールは彼をチラリと見たけれど、再びアイヴァンに顔を戻した。

「構わない。責任は俺が持つ」
「ご厚情に感謝する。どこから話そうか――」

 ぽつりぽつりとアイヴァンは語り始める。
 そうして、全てを語り終えると、スッキリした表情で下を向き、首を差し出した。

「何かが起こった時、避けられぬ流血というものがある。貴方が儂を生かしたいなどと言い出さないでくれて、嬉しく思うぞ」
「俺に帝王学を勉強させた変わり者がいてな。そいつのお陰も大きいんだろう。変態だし、趣味は最悪だし、オネエだし、性格も良くないし、あまりに規格外過ぎるから、とてもじゃないけど、お前には紹介できないんだけどな」
「そうか。そこまでこき下ろせるのなら、よほど仲が良いか信頼しておられるのだな。よい友を作られたようで何よりだ。これでもう、思い残すことは無い」

 アイヴァンは下を向いたままだが、聞こえてくる声はどことなく嬉しそうだ。そんな彼の姿を見下ろし、ゼフィールは小さく呟く。

「あれだけの目にあわされたのに、俺は、お前とこうして普通に話せて嬉しいと思っている。こんな俺を甘いと笑うか?」
「身体は大きくなられたのに、中身は甘いままであられるか。しかし、それもまた貴方らしい」
「そう、か。……そろそろお別れだ、アイヴァン。俺もいずれ逝く。それまで、死者の園あちらでお父様とでも待っていてくれ」
「随分と気の長い話だ。まぁ、でも。王配殿下にはお伝えせねばならぬ話が多いのでな、なるべくゆっくりと来られよ」

 ゼフィールの足元から生じた風がアイヴァンの首筋を優しく撫でると、首が転がった。身体は前のめりに倒れ、あふれ出る血が房を赤く染める。

「遺体の処理を。民に晒さぬ事が許されるのなら、手厚く葬ってやって欲しい」
「はっ」

 茫然としていた騎士が弾かれたように牢の出口へと駆けて行く。作業を行う人員を呼びに行ったのだろう。

「アイヴァン……」

 名を呼びながらゼフィールは鉄格子に手を掛けた。その先に転がる首はもう喋らない。
 いかなる理由があろうとも彼は悪だった。両親を害された恨みもある。それでも、記憶の中の彼も悪人になるわけではない。注いでもらった愛情は本物だった。

 だから、せめて、自分が彼の命を摘もうと決めた。誰かに殺されるのを傍から見聞きするより、その方が彼の記憶を焼きつけられると思えたから。
 そのために介錯を申し出た。
 けれど願った。
 一日でも長く、彼が生きていてくれるようにと。
 たとえそれが、彼にとって辛い生であろうと。

「俺はお前まで失いたくなかった。やはり、信仰無き俺達に神の祝福は無いな」

 静かな牢内にゼフィールの嗚咽だけが響いた。
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