白花の咲く頃に

夕立

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土の国《ブレーメン》編 命

5-4 逃亡者達 後編

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 ギリギリだった。
 なんとか刃は受け止めたが、ゼフィールの背は庇った相手にぶつかってしまっている。それだけの距離しか残っていなかった。
 崩れ気味の体勢を立て直し、つばぜり合いをしながら後ろへ怒鳴る。

「何をしている、早く逃げろ! 相手は本職の兵だぞ! お前達では敵わないと分かっているんだろう!? 今ならまだ俺が抑えられる。早く行け!」
「でも、あんた――」
「お前達がいる方が俺の負担は大きい。俺のためを思うならさっさと逃げてくれ」

 力負けしそうなところを必死で耐える。
 この段になって、ようやく住民達も踏ん切りがついたようで、短い礼だけ言うと、皆一目散に逃げ出した。
 それを追いかけようと、暴走兵が力技でゼフィールを弾き飛ばす。

「ゴミ共め、逃がさんぞ!」
「止めろ! 流血は好まないと言ったはずだ!」
「知るか! ここは貴様の国じゃないんでね!」

 逃げる住民達の背後に刃が迫る。

(くそ、剣ではどう頑張っても向こうが上か)

 実力の差を認めゼフィールは剣を捨てる。指で印を結ぶと右手を暴走兵に向けた。そして命じる。

「時の螺旋よ止まれ。過去現在未来の別無く、今この時に凍り付け」

 緻密な赤光の魔法陣が上空に現れるやいなや、暴走兵の動きが止まった。走るのを止めたのではない。文字どおり"止まった"のだ。アンバランスな姿勢のまま静止してピクリともしない。
 彼が一切動かなくなったので、他の者達も異常に気付いたのだろう。暴走兵の一番近くにいた兵がビクつきながら彼に触れた。すると、暴走兵の身体が倒れる。

 彼を倒してしまった兵の視線が暴走兵に注がれ、そしてゼフィールへと移る。こちらを見つめる瞳には、ありありと畏怖の色が浮かんでいた。
 自分には理解できない力への恐怖。まさにそれだ。
 ゼフィールは先程捨てた剣を拾い、兵の方へ一歩踏み出す。すると、兵も一歩退がった。

(完全に脅えられているな)

 他の兵達を見ても、一様に先程までの覇気は無い。成り行きで使った力であったが、兵達を従わせる役に立ってくれそうだ。

「さて、まだ血を流したい者はいるか?」

 地面に剣を突き刺し、それに軽く体重を掛けながら尋ねる。
 答えを返してくる者はいない。皆ゼフィールから視線をそらせ、じりじりと後ろへ退がるばかりだ。

 そんな兵達と対照的に、黒い法衣をまとった人物が一人進み出てきた。黒法衣が歩む度に手にした錫杖がしゃんしゃんと音を鳴らす。
 意外な人物が出てきて、ゼフィールはそちらに目をやった。
 崖上からこの場を見た時、頭からすっぽりとフードを被ったこの人物は後方で傷を癒していた。
 法衣を着ている上に治癒を行うので、従軍しているアテナの司祭なのかと思っていたが、それだけの人物ではないのかもしれない。

 黒法衣はゼフィールから三歩程の所まで来ると深く一礼した。フードの下から艶っぽい女の声が流れてくる。

「部下の非礼は私が詫びましょう。どうぞお怒りをお沈めくださいませ、"憂いの君"よ。彼はヨハン様の命に忠実であったというだけの事。《ブレーメン》国内である限り、命の優先権は常にヨハン様にございます故」
「お前がこの者達の長か?」
「はい」
「お前達が受けた命の詳細を聞きたい」
「命の詳細、で、ございますか?」

 黒法衣が少しだけ言い淀む。

「言えないのか?」
「いえ。ですが、貴方様の嫌われる部類の命かと」
「構わない」
「では」

 再び一礼すると、顔を下げたまま黒法衣は話した。

「貴方様の奪還はもちろんですが、今回の騒動を起こした者達を処分してくるようにとの命を受けております」
「処罰ではなく、処分なのか?」
「処分にございます。いと高貴な方のお耳にいれるにはいささ躊躇ためらわれますが、彼らは当国のゴミでございます。国を美しく保つには、ゴミ処理は必須でございます故」

 黒法衣が頭を上げた。相変わらず表情が見えないので何を考えているのか分からない。
 ただ、このまま彼らと共にここを去れば、その後、ここの住民達に危害が及ぶのは分かった。

「そうか。お前達も汚れ仕事で大変だな」
「お気使いありがとうございます。さすれば、我々と共に――」
「しかし、それはできない相談だ。なにせ俺は、まだユリアを人質に取られたままでな」

 だから、言う事には従えない。

「お連れ様は我々が責任を持って奪還いたします。ですので、殿下だけでもお先に」
「それにな、彼らは俺達を帰らせたくないらしい。俺も彼らには興味がある。だから、招きに応じてしばらくここに滞在してみようと思うんだ。城に籠っていては体験できない事が多そうだしな。そんな訳で、今彼らを処分されては困る」
「これはまた、随分なお戯れを」
「戯れではないぞ。俺の遊び場所を奪われては困るからな。その為にそいつの時も止めた。やろうと思えばお前達も同じ運命にできるが、そこまでのリスクを背負ってでも俺を連れ戻すか?」

 なるべく事も無げに見えるよう告げる。
 黒法衣は答えない。
 代わりに、彼女の後ろに控える兵達の緊張がヒシヒシと伝わってきた。
 その緊張は彼女にも伝わっていたのだろう。しばしの沈黙の後、彼女は三度みたび礼をした。

「仕方がございません。本日はこれにて引き上げると致しましょう。殿下の興味がお早く満たされますよう、我等一同祈り申し上げております」
「柔軟な者が長であってくれて助かる。ああ、そうだ。ついでだからヨハン殿に言伝を頼まれてくれないか? "帰ったら儀式の事など色々と話をしたいので、俺の連れの世話を頼む"と」

 言いながら、ゼフィールは暴走兵の時の流れを元に戻す。
 通常の時の流れに戻された暴走兵は、最初、転がったまま走ろうとした。けれど、すぐに自分の体勢に気付いたのだろう。ガバリと起き上がると周囲を見回した。そして、懲りもせず外周壁の方へ走って行こうとする。
 それを他の兵達が慌てて止めた。そして、喚く彼を引きずり後ろへと連れて行く。
 その様子を見た黒法衣が再度頭を下げる。

「お慈悲を頂きありがとうございます。伝言、確かに承りました」

 そう告げると、彼女は踵を返した。未だに喧しい暴走兵の口に錫杖を突っ込むと、ゼフィールに聞かせたものとは全く違う冷たい声で言い捨てる。

「いつまでも恥を晒すな。私にここで処分されたいのか? 他の者達もさっさと帰路につけ。従わぬ者はここで処刑する。分かったな」

 一瞬で兵達の顔が恐怖に染まる。もちろん文句など出るはずもなく、素早く撤退して行く。

 一団が視界から完全に消えた頃、外周壁の方が騒がしくなった。聞こえてくるのは威勢のいい女の声だ。カーラ達が来たらしい。



「ここに来てた連中、あんたが追い払ったって聞いたけど本当かい?」

 ゼフィールのもとへ来たカーラが後方を指す。
 そちらには先程逃がした者達がいる。彼らから話を聞いたのだろう。
 ゼフィールは剣に体重を掛けるのを止め、地面から引き抜くと、それをカーラに渡した。

「とりあえず、だけどな。俺がお前達と共にいる間は、あいつらも下手に手出しできないと思う。悪いんだが、しばらく滞在させてくれ」
「ふーん。そりゃ良かった。……って、は!? なんでそんな事になってるんだい!? いや、あんたがいなくならなくて、こっちとしては良かったんだけどさ。てか、この剣、何!?」
「兵達の置き土産だ。細かい事はそこで見ていた連中に聞くか、そうだな。もう少し後でなら俺が説明してもいい。悪いが先に帰る」

 言いながら身体を浮かす。

「ああ、そうだ。面倒ついでにユリアの拘束も解いてやってくれ。ご機嫌斜めで騒ぐかもしれないが、まぁ、頼む」
「あ、ちょっと!」

 ゼフィールを捕まえようとするカーラの手をかわし、空へと浮かび上がった。外周壁を超え水場を見渡すと、緑の間から顔を覗かせる大岩が見えた。そこに降り立つと、倒れ込むように横になる。
 どこからか飛んできたフレースヴェルグがゼフィールの頭にとまり、くちばしでつついてきた。

『随分と無理をしたものだ』
「お陰で穏便に乗り切れただろう? 説教は後にしてくれ」

 サッシュから羽根を一枚引き抜くと、魔力に変換して取り込んだ。
 力の結晶であるフレースヴェルグは存在自体が魔力の塊だ。その羽根も、もちろん、である。緊急時に魔力の補給源になってくれるのはありがたい。

 ひっきりなしに魔法を行使していた上に、大魔法まで使ったせいで魔力が枯渇していた。《シレジア》であれば神の本体オリジナルから無尽蔵に魔力を汲み上げられるので問題ないが、異国ではそうもいかない。
 大地が他の五王国と同程度の魔力を保持していてくれたなら、それを吸収して回復するのも容易だし、消耗も抑えられるのだが、この地はあまりにも乾き過ぎている。

 せめてもの救いは、この水場だけは魔力が感じられる事。少しでも楽になれるよう、その中でもウラノスの領域に近い場所を求めた。

(上手くハッタリに掛かってくれて良かった)

 ぼんやりと手を眺める。
 黒法衣には大見得を切ったが、暴走兵を止めるだけで魔力は限界だった。
 時の流れに介入する魔法は消耗が激しい。摂理の不文律に触れるのだから、当然といえば当然の代償ではあるが。

(にしても、何もして来なかったな、俺)

 転がりながら、しなければならない事を整理する。
 先程は平静を保つのに必死だったせいで、カーラに何の説明もしてきていない。身の振り方をどうするにせよ、きちんと話をする時間を取る必要があるだろう。
 そしてユリア。
 舞踏会の翌日は丸々無視され、それでも、ようやく機嫌が直ってきたところでこの事態だ。確実に怒られそうだが、大人しく怒られないと、また、へそを曲げかねない。
 せねばならぬ事は、面倒事ばかりだ。

(まぁ、後でだな)

 思考すら放棄して脱力する。
 今必要なのは、何をおいても休息だった。
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