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月曜日の放課後、絞首刑台に昇るような気持ちで階段を昇って社会科資料室に向かう。
なに悲痛な気分になってんだよと自分を鼻で笑い、深呼吸をして淀んだ空気を入れ換えて社会科資料室のドアを開けようとすると、中から先輩の声が漏れ聞こえてきた。
ちゃんと決意をに伝えられるんだと分かり、心臓が高鳴り始める。心の一歩を踏み出すように体も一歩を踏み出そうとすると、女の子の声が聞こえてきた。
「権藤先輩、好きです」
また告白されてるのか。あれ? この声、どこかで聞いたような……。
ぞくりと背筋が冷たくなるこの感じ。そうだ、同じクラスの佐伯さんの声だ。汚いものを見るように俺を見る冷たい顔を思い出し、体がすくんでしまう。
平凡な上に自分に自信が持てない俺より、美人で自分に誇りを持っている私の方が先輩の横に立つには相応しいと思っているのが伝わってきた視線。今も、自信に満ちた顔で先輩の返事を待っているのだろうか?
「俺は君を好きではないが、君が俺を好きだと言ってくれるのならば、いつか君を好きになれるかもしれない。それでもいいなら付き合ってもいい」
先輩……なに……言ってんの?
「違う、先輩、それは間違ってる。それは彼女を傷つけるだけだ」
我慢できず、ドアを開けて叫ぶ。
俺だって中三の時、同じように彼女と付き合ったことがあるのに。相川の彼女達の、心がなくても体だけでも愛して欲しいって気持ちが分かるって言ったのに。それなのに、先輩には本当に好きじゃない人とは付き合って欲しくないと思ってしまった。
「ごめんなさい、聞くつもりじゃなかったんだけど……。俺があれこれ言うことじゃないっすね」
「蒼井くんの言う通りだね。やはり付き合えない」
場違いな自分に気付き、急いでその場を離れようとするのを、先輩の優しい声が止める。
「先輩が付き合ってもいいって言ってくれたのに、なんでアンタは水をさすの!」
パシンと乾いた音が、室内に響く。般若のような顔をした佐伯さんが、全体重をかけたような強烈なビンタを浴びせてきたのだ。
「叩く相手が間違っているよ」
静かだけど、怒っているのが分かる声色の先輩。こんな冷酷な顔、初めて見た。
先輩の顔を見て、顔を強張らせた佐伯さんは、狼から逃げる羊のように走り去っていった。
「すまない、痛かったね」
さっきの冷酷な表情から一転、泣きだしそうな笑顔を浮かべた先輩の掌が、打たれた頬に触れてくる。
全身が心臓になったみたいに脈打ち、さっきまでジンジンしていた頬の痛みなんて分からなくなった。
「資料室に用があったんだよね」
部屋から出ていこうとする先輩の手首を咄嗟に掴み、引き留める。
「先輩に会いに来た」
先輩の返事は、ない。
「先輩は俺の特別な友達です。だから、これからも隣に並んでいたい」
「……相川くんは?」
少し間を置いて、先輩が呟くように聞く。
「アイツも特別。でも先輩の特別とはちょっと違う。先輩のは……」
先輩のは……? 続きを何て言うつもりだ?
急に襲ってきた恐怖心から先輩から手を離し、立ち尽くす先輩を残して一目散に外へと駆け出した。
どうやってここまで来たのだろう? ここに来るには、電車に乗らなければいけないはずなのに、乗った記憶はない。
俺は今、博物館を出た後、先輩と夕日を眺めていた海岸沿いの遊歩道に置かれたベンチに座り、赤く染まり始めた水平線を眺めている。
大きな溜め息が、穏やかに揺れる波間に消えていく。溜め息をするたびに幸せが逃げていってしまうという話を思い出し、再び出そうになるところを飲み込んでみるけれど、逃げていく幸せなんてないかと思ったら、また溜め息が漏れた。
俺は先輩が……好き。
人としてとか、友達としてとか、同士としてとかじゃなくて。もっと愛しくて、切なくて、汚い感情で。
俺は先輩に恋をしている。
屋上で出会った時からなのか、お互いのコンプレックスを知った時からなのか、友達になった時からなのか。
いつからなんて、どうでもいいか。いつ恋に堕ちたかなんかより、今、恋をしているということが問題なのだ。
『そいつの幸せを願う。そいつがいつも笑顔でいられるように側で護りたい。だけど、そいつの特別でいたくて、そいつが他人と仲良くしてると嫉妬で狂いそうになる』
相川が言っていた、好きという感情。
俺は先輩の特別なんだって思うと、重力なんて知らないみたいに頬があがりまくって、気持ち悪いくらいの笑顔になっちまって。だけど、俺だけが特別なわけじゃないって分かると、周りにあるもの全てをぶっ壊したい気分になって、心臓が握り潰されたように痛くなって、怒りなのか痛みなのか切なさなのか分かんねぇ感情が瞳から溢れだしそうになって。
先輩を独占したい。先輩に俺だけを見て欲しい。
これって、完全に独りよがりの恋じゃん。恋愛の『愛』なんて、全くない。自分の幸せだけ考えて、先輩の幸せなんて考えていない。自分が笑顔になりたいだけで、先輩を笑顔にすることなんて考えていない。
護りたかったのは先輩じゃなくて、先輩の特別でいられる自分なのだ。
この恋は、実らない。男同士の恋愛が成立するのは知っているが、先輩が俺に対してそういう感情を抱いているとは思えない。
もし気持ちに気付かれてしまったら……。先輩のことだから、俺と並んでいるだけで、周りから好奇の眼差しで見られているって被害妄想をするだろう。見た目より中身が大事って言っているのに、見た目が男だから俺の気持ちを受け入れられない、ということに悩むだろう。
今更遅いかもしれないけれど、先輩のことを考えて、先輩の幸せを願って、この恋を終わらせたい。
たぶん、これが俺の初恋だ。初恋は実らないものだっていうから、そういうもんだよなって諦められるよ。あんなこともあったなって、いい思い出になるよ。
先輩のお陰で自分の殻を破れて、自分の中にこんなに汚いけど甘くて切ない気持ちがあるんだって知れて。そう懐かしく思え、笑える日が来るよ。
こうやって夕焼けの優しい光に包まれて涙を流したのも、淡い青春の一ページになるよ。辛いのは今だけだから……。
「せん、ぱぁーい……」
先輩が嫌いだから離れるんじゃないんだからな。先輩が好きだから離れるんだ。
先輩が、また変な被害妄想をしないように、ちゃんと伝えたいんだよ。だけど、先輩の顔を見たら、想いが溢れ出て先輩を困らせちまうだろうから。好きだからこそ、先輩を避けるんだ。
先輩、俺に避けられてるって悩んじゃうよね?
泣きそうな笑顔にしたいわけじゃないのに。太陽みたいにキラキラ輝く笑顔になって欲しいのに。
でも、俺はこういう方法でしか先輩を護れないんだ。
先輩、ごめんなさい。
先輩が好きだから。先輩に幸せになって欲しいから。
その痛みは、先輩がもっと傷つかない為の痛みだから。
先輩の痛みも苦しみも、哀しくて辛い感情は、全て俺が吸いとれればいいのにな。
辺りが完全に闇に包まれても、俺の瞳から溢れる想いは止まることはなかった。
なに悲痛な気分になってんだよと自分を鼻で笑い、深呼吸をして淀んだ空気を入れ換えて社会科資料室のドアを開けようとすると、中から先輩の声が漏れ聞こえてきた。
ちゃんと決意をに伝えられるんだと分かり、心臓が高鳴り始める。心の一歩を踏み出すように体も一歩を踏み出そうとすると、女の子の声が聞こえてきた。
「権藤先輩、好きです」
また告白されてるのか。あれ? この声、どこかで聞いたような……。
ぞくりと背筋が冷たくなるこの感じ。そうだ、同じクラスの佐伯さんの声だ。汚いものを見るように俺を見る冷たい顔を思い出し、体がすくんでしまう。
平凡な上に自分に自信が持てない俺より、美人で自分に誇りを持っている私の方が先輩の横に立つには相応しいと思っているのが伝わってきた視線。今も、自信に満ちた顔で先輩の返事を待っているのだろうか?
「俺は君を好きではないが、君が俺を好きだと言ってくれるのならば、いつか君を好きになれるかもしれない。それでもいいなら付き合ってもいい」
先輩……なに……言ってんの?
「違う、先輩、それは間違ってる。それは彼女を傷つけるだけだ」
我慢できず、ドアを開けて叫ぶ。
俺だって中三の時、同じように彼女と付き合ったことがあるのに。相川の彼女達の、心がなくても体だけでも愛して欲しいって気持ちが分かるって言ったのに。それなのに、先輩には本当に好きじゃない人とは付き合って欲しくないと思ってしまった。
「ごめんなさい、聞くつもりじゃなかったんだけど……。俺があれこれ言うことじゃないっすね」
「蒼井くんの言う通りだね。やはり付き合えない」
場違いな自分に気付き、急いでその場を離れようとするのを、先輩の優しい声が止める。
「先輩が付き合ってもいいって言ってくれたのに、なんでアンタは水をさすの!」
パシンと乾いた音が、室内に響く。般若のような顔をした佐伯さんが、全体重をかけたような強烈なビンタを浴びせてきたのだ。
「叩く相手が間違っているよ」
静かだけど、怒っているのが分かる声色の先輩。こんな冷酷な顔、初めて見た。
先輩の顔を見て、顔を強張らせた佐伯さんは、狼から逃げる羊のように走り去っていった。
「すまない、痛かったね」
さっきの冷酷な表情から一転、泣きだしそうな笑顔を浮かべた先輩の掌が、打たれた頬に触れてくる。
全身が心臓になったみたいに脈打ち、さっきまでジンジンしていた頬の痛みなんて分からなくなった。
「資料室に用があったんだよね」
部屋から出ていこうとする先輩の手首を咄嗟に掴み、引き留める。
「先輩に会いに来た」
先輩の返事は、ない。
「先輩は俺の特別な友達です。だから、これからも隣に並んでいたい」
「……相川くんは?」
少し間を置いて、先輩が呟くように聞く。
「アイツも特別。でも先輩の特別とはちょっと違う。先輩のは……」
先輩のは……? 続きを何て言うつもりだ?
急に襲ってきた恐怖心から先輩から手を離し、立ち尽くす先輩を残して一目散に外へと駆け出した。
どうやってここまで来たのだろう? ここに来るには、電車に乗らなければいけないはずなのに、乗った記憶はない。
俺は今、博物館を出た後、先輩と夕日を眺めていた海岸沿いの遊歩道に置かれたベンチに座り、赤く染まり始めた水平線を眺めている。
大きな溜め息が、穏やかに揺れる波間に消えていく。溜め息をするたびに幸せが逃げていってしまうという話を思い出し、再び出そうになるところを飲み込んでみるけれど、逃げていく幸せなんてないかと思ったら、また溜め息が漏れた。
俺は先輩が……好き。
人としてとか、友達としてとか、同士としてとかじゃなくて。もっと愛しくて、切なくて、汚い感情で。
俺は先輩に恋をしている。
屋上で出会った時からなのか、お互いのコンプレックスを知った時からなのか、友達になった時からなのか。
いつからなんて、どうでもいいか。いつ恋に堕ちたかなんかより、今、恋をしているということが問題なのだ。
『そいつの幸せを願う。そいつがいつも笑顔でいられるように側で護りたい。だけど、そいつの特別でいたくて、そいつが他人と仲良くしてると嫉妬で狂いそうになる』
相川が言っていた、好きという感情。
俺は先輩の特別なんだって思うと、重力なんて知らないみたいに頬があがりまくって、気持ち悪いくらいの笑顔になっちまって。だけど、俺だけが特別なわけじゃないって分かると、周りにあるもの全てをぶっ壊したい気分になって、心臓が握り潰されたように痛くなって、怒りなのか痛みなのか切なさなのか分かんねぇ感情が瞳から溢れだしそうになって。
先輩を独占したい。先輩に俺だけを見て欲しい。
これって、完全に独りよがりの恋じゃん。恋愛の『愛』なんて、全くない。自分の幸せだけ考えて、先輩の幸せなんて考えていない。自分が笑顔になりたいだけで、先輩を笑顔にすることなんて考えていない。
護りたかったのは先輩じゃなくて、先輩の特別でいられる自分なのだ。
この恋は、実らない。男同士の恋愛が成立するのは知っているが、先輩が俺に対してそういう感情を抱いているとは思えない。
もし気持ちに気付かれてしまったら……。先輩のことだから、俺と並んでいるだけで、周りから好奇の眼差しで見られているって被害妄想をするだろう。見た目より中身が大事って言っているのに、見た目が男だから俺の気持ちを受け入れられない、ということに悩むだろう。
今更遅いかもしれないけれど、先輩のことを考えて、先輩の幸せを願って、この恋を終わらせたい。
たぶん、これが俺の初恋だ。初恋は実らないものだっていうから、そういうもんだよなって諦められるよ。あんなこともあったなって、いい思い出になるよ。
先輩のお陰で自分の殻を破れて、自分の中にこんなに汚いけど甘くて切ない気持ちがあるんだって知れて。そう懐かしく思え、笑える日が来るよ。
こうやって夕焼けの優しい光に包まれて涙を流したのも、淡い青春の一ページになるよ。辛いのは今だけだから……。
「せん、ぱぁーい……」
先輩が嫌いだから離れるんじゃないんだからな。先輩が好きだから離れるんだ。
先輩が、また変な被害妄想をしないように、ちゃんと伝えたいんだよ。だけど、先輩の顔を見たら、想いが溢れ出て先輩を困らせちまうだろうから。好きだからこそ、先輩を避けるんだ。
先輩、俺に避けられてるって悩んじゃうよね?
泣きそうな笑顔にしたいわけじゃないのに。太陽みたいにキラキラ輝く笑顔になって欲しいのに。
でも、俺はこういう方法でしか先輩を護れないんだ。
先輩、ごめんなさい。
先輩が好きだから。先輩に幸せになって欲しいから。
その痛みは、先輩がもっと傷つかない為の痛みだから。
先輩の痛みも苦しみも、哀しくて辛い感情は、全て俺が吸いとれればいいのにな。
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