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出会い
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雨が降っている。
雨は嫌いだ。
己の宿命のはじまりを、いやでも思い出してしまうからだ。
四角い枠の外の、まるで俺みたいな薄汚れた路地裏を一瞥し、換気のために開けていた窓を閉める。
雨の記憶を断ち切るように振り返り、掃除を終えた室内のチェックを開始する。
趣味の悪いレースのカバーが掛けられたベッドは、綺麗に整えられている。安っぽい金メッキで縁取られたテーブルにも埃はない。
バスルームに移動する。水滴は全て拭き取られていて、毛の一本も落ちていない。
鏡の確認の際、そこに映った満足気な顔と目が合い、すうっと気持ちが冷めていった。
どれほど綺麗にしようが、この部屋を利用する奴らは気にも留めないだろう。場末の連れ込み宿屋に求めるものなど、シャワーと丈夫なベッドだけだ。
室内のチェックが終わり、掃除道具をのせたワゴンの押し手に手をかける。
今日は、これで仕事が終わりだ。少しだけ金に余裕があるし、なにか美味いものでも買って帰ろうか。
そんなことを考えながらドアに向かっている時だった。まだ手を触れていないそこが勝手に開き、弾丸のような勢いで誰が侵入してきたのだ。
「少し匿ってもらえるかな?」
突然の予期せぬ状況に固まってしまった俺を、同じように固まって見つめていた侵入者が、冷静さを取り戻して頼んできた。
(最上位種か……)
侵入者の頭に生えている純白の耳を、苦汁を飲まされた思いで見る。
猫科の動物から進化した俺達には、猫耳と尻尾が生えている。単色の純血は上位種と呼ばれ、二色以上の混血は下位種と呼ばれている。
上位種の中でもランクがあり、下から、黒、茶、金、銀、の順で、白が最上位種だ。下位種にもランクはあり、三色が最下位種だ。
下位種が奴隷だった時代が長らく続いたが、三十年前に全種平等宣言が出された。だが、上位種の下位種差別は今なお続いている。
下位種も六歳から十八歳まで国のスクールで学ぶことが義務付けられ、スクールで学を得た下位種が差別を恐れて子孫を残さなくなり、若い世代の下位種が減ったため、若者の方が差別意識は高い。特に三色は、下位種である二色にも目の敵にされている。
色の違う上位種が交わると、それぞれの色を持つ二色が生まれる。二色同士が交わると、ランダムで親の色を受け継いだ二色になる。
上位種と下位種が交わると、それぞれの色に関係なく、白、茶、黒の三色が生まれる。上位種が下位種なんぞに欲情した証が三色なので、純血主義のこの世界では蔑まれるのだ。
何対もの軽蔑の眼差しが脳裏を過り、俺の三色の耳がピクリと震えた。
「あんた何者だ? どうして最上位種がこんなにところにいるんだ?」
憎しみに満ちているだろう瞳を侵入者に向け、嘲るように言う。
こんな宿を利用するのは、下位種でも底辺の奴ばかりだ。本能丸出しの野蛮な奴等が使った部屋は、嵐でも起きたのかというほど乱れている。こんな掃き溜めに来る上位種など皆無だ。
「次のCMのスポンサーの女社長に見せたいものがあるってここに連れて来られたんだけど、部屋に入るなり迫られたんで逃げ出してきたんだ」
「CMのスポンサー?」
「うん。僕、モデルをしているんだ」
整った顔が、はにかむ。
すらっとした長身の侵入者は、顔も小さく手足も長い。耳同様、色素の薄い髪と肌は艶やかで、髪も肌も浅黒くて薄汚れた俺とは大違いだ。
侵入者に見覚えはないが、恐らく本当にモデルなのだろう。
俺のタブレットにはインターネット機能が付いていないので、芸能事情は勿論、時事にも疎い。世の中の流行り廃りには縁遠い暮らしをしているのだ。
スクール入学時に配布された、勉学と通信の機能がついただけのタブレットを使い続けている俺とは違い、モデルだと名乗った侵入者は最新鋭のタブレットを使っているのだろう。俺と同年代の侵入者は、順風満帆で恵まれた人生を送ってきたのだろうな。
小綺麗な服を着こなしている侵入者を見て、溜め息が漏れる。
「迫られたのなら、有り難く抱いておけばよかったじゃないか」
劣等感をチクチク刺激してくる侵入者に、意地悪く言う。
「どんなに美しい容姿でも、醜い心の人に触れたくはないよ」
伏し目がちに呟いた侵入者の耳が、怯えるように垂れ下がっていく。
容姿よりも中身が重要だというのか? 侵入者に感じていた理不尽な怒りが、すうっと収まっていく。
「来い」
暗闇の中でもがき続けていた俺に、僅かな希望を感じさせた侵入者を引き連れて廊下に出る。この部屋のドアは死角になっていて他の部屋からは見えない。急いで裏口まで進み、侵入者を逃がしてやった。
雨は嫌いだ。
己の宿命のはじまりを、いやでも思い出してしまうからだ。
四角い枠の外の、まるで俺みたいな薄汚れた路地裏を一瞥し、換気のために開けていた窓を閉める。
雨の記憶を断ち切るように振り返り、掃除を終えた室内のチェックを開始する。
趣味の悪いレースのカバーが掛けられたベッドは、綺麗に整えられている。安っぽい金メッキで縁取られたテーブルにも埃はない。
バスルームに移動する。水滴は全て拭き取られていて、毛の一本も落ちていない。
鏡の確認の際、そこに映った満足気な顔と目が合い、すうっと気持ちが冷めていった。
どれほど綺麗にしようが、この部屋を利用する奴らは気にも留めないだろう。場末の連れ込み宿屋に求めるものなど、シャワーと丈夫なベッドだけだ。
室内のチェックが終わり、掃除道具をのせたワゴンの押し手に手をかける。
今日は、これで仕事が終わりだ。少しだけ金に余裕があるし、なにか美味いものでも買って帰ろうか。
そんなことを考えながらドアに向かっている時だった。まだ手を触れていないそこが勝手に開き、弾丸のような勢いで誰が侵入してきたのだ。
「少し匿ってもらえるかな?」
突然の予期せぬ状況に固まってしまった俺を、同じように固まって見つめていた侵入者が、冷静さを取り戻して頼んできた。
(最上位種か……)
侵入者の頭に生えている純白の耳を、苦汁を飲まされた思いで見る。
猫科の動物から進化した俺達には、猫耳と尻尾が生えている。単色の純血は上位種と呼ばれ、二色以上の混血は下位種と呼ばれている。
上位種の中でもランクがあり、下から、黒、茶、金、銀、の順で、白が最上位種だ。下位種にもランクはあり、三色が最下位種だ。
下位種が奴隷だった時代が長らく続いたが、三十年前に全種平等宣言が出された。だが、上位種の下位種差別は今なお続いている。
下位種も六歳から十八歳まで国のスクールで学ぶことが義務付けられ、スクールで学を得た下位種が差別を恐れて子孫を残さなくなり、若い世代の下位種が減ったため、若者の方が差別意識は高い。特に三色は、下位種である二色にも目の敵にされている。
色の違う上位種が交わると、それぞれの色を持つ二色が生まれる。二色同士が交わると、ランダムで親の色を受け継いだ二色になる。
上位種と下位種が交わると、それぞれの色に関係なく、白、茶、黒の三色が生まれる。上位種が下位種なんぞに欲情した証が三色なので、純血主義のこの世界では蔑まれるのだ。
何対もの軽蔑の眼差しが脳裏を過り、俺の三色の耳がピクリと震えた。
「あんた何者だ? どうして最上位種がこんなにところにいるんだ?」
憎しみに満ちているだろう瞳を侵入者に向け、嘲るように言う。
こんな宿を利用するのは、下位種でも底辺の奴ばかりだ。本能丸出しの野蛮な奴等が使った部屋は、嵐でも起きたのかというほど乱れている。こんな掃き溜めに来る上位種など皆無だ。
「次のCMのスポンサーの女社長に見せたいものがあるってここに連れて来られたんだけど、部屋に入るなり迫られたんで逃げ出してきたんだ」
「CMのスポンサー?」
「うん。僕、モデルをしているんだ」
整った顔が、はにかむ。
すらっとした長身の侵入者は、顔も小さく手足も長い。耳同様、色素の薄い髪と肌は艶やかで、髪も肌も浅黒くて薄汚れた俺とは大違いだ。
侵入者に見覚えはないが、恐らく本当にモデルなのだろう。
俺のタブレットにはインターネット機能が付いていないので、芸能事情は勿論、時事にも疎い。世の中の流行り廃りには縁遠い暮らしをしているのだ。
スクール入学時に配布された、勉学と通信の機能がついただけのタブレットを使い続けている俺とは違い、モデルだと名乗った侵入者は最新鋭のタブレットを使っているのだろう。俺と同年代の侵入者は、順風満帆で恵まれた人生を送ってきたのだろうな。
小綺麗な服を着こなしている侵入者を見て、溜め息が漏れる。
「迫られたのなら、有り難く抱いておけばよかったじゃないか」
劣等感をチクチク刺激してくる侵入者に、意地悪く言う。
「どんなに美しい容姿でも、醜い心の人に触れたくはないよ」
伏し目がちに呟いた侵入者の耳が、怯えるように垂れ下がっていく。
容姿よりも中身が重要だというのか? 侵入者に感じていた理不尽な怒りが、すうっと収まっていく。
「来い」
暗闇の中でもがき続けていた俺に、僅かな希望を感じさせた侵入者を引き連れて廊下に出る。この部屋のドアは死角になっていて他の部屋からは見えない。急いで裏口まで進み、侵入者を逃がしてやった。
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