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「んー……」

 柔らかな光と鳥の囀ずりに誘われ、夢の世界に別れを告げる。
 目を開いた先にあったのは、ベッドとテーブルしかない質素な小部屋だ。屋敷の自室とは違うそこに、一体どこなのだろうと頭を捻る。

「あっ、神殿の裏の……」

 テーブルに乗ったままの皿が目に留まり、昨夜の記憶が蘇る。
 マモを追いかけて辿り着いたのは、物置小屋みたいな木造の住居だった。テーブルにはシチューとパンが用意してあったので早速口をつけていると、旅支度をしてくると言い残してマモは出ていった。
 シチューもパンも普通に美味かった。腹が満たされたら眠気が襲ってきて、ベッドに入ったのだった。羽が邪魔で仰向けになれねぇじゃないか、と寝やすい格好を探しているうちに眠ってしまったようだ。
 よく寝たぁ、といつもより軽い気がする体を起こして背伸びをしていると、トントン、と遠慮がちに扉がノックされた。

「はーい、どうぞ」
「おはようございます、黒羽様」

 開いた扉から現れたのは、十歳くらいの少年だ。

「おはよ、どうした?」
「私はミカエルと申します。おに……護(まもり)様に言われまして朝食をお持ちしました」
「おう、サンキュ。なぁ、今、鬼って言いかけただろ。アイツ、鬼って陰口叩かれているのか?」

 持ってきたバスケットをテーブルに置き、昨日の食器を片付けて料理を並べていく少年天使――ミカエルをニヤニヤと見つめる。

「オニとはなんでしょう? 護様は私の兄上なので、畏れ多いと思いながらもお兄様と呼ばせていただいているんです」
「お前、マモの弟なのか? アイツ、何百年も生きてるんじゃねぇの?」
「お兄様は今年成人になられたばかりなんです」
「えっ、アイツ二十歳なのか?」

 マモの頭にくるほど整った顔を思い浮かべる。
 人生を達観したような落ち着きがあり、どう若く見積もっても二十代半ばというところだ。てっきり何百年も生きて、老化が始まって通常の天使と同じ年の取り方に戻っているのかと思っていた。

「いえ、二十五歳でらっしゃいます。二千年前は、二十歳が成人年齢だったのですか?」
「えーと……昔過ぎて忘れちまった」

 不思議そうに聞いてくるミカエルに、ははは、と作り笑いを浮かべて誤魔化す。ミカエルは、俺もマモと同じで二千年前の記憶があると思っているのだろう。
 記憶も力も持っていないなんて伝えたら、青空みたいにキラキラの瞳は一気に雲で覆われてしまうだろう。下手したら大雨を降らすかもしれない。ミカエルには形だけの黒羽だとバレないようにしないとな。

「黒羽様、お食事の準備が整いました」
「え……あぁ、サンキュな」

 テーブルには、トマトベースなのか赤いスープとパンが並んでいる。
 ベッドからテーブルに移動して、いい香りの湯気をあげているスープを啜る。昨日同様、普通に美味い。

「突っ立ってねぇで、ベッドに座ってろよ」
「滅相もございません」

 食事をする俺の背後で直立不動でいるミカエルに、立ちっぱなしじゃ疲れるんじゃないかと思って声を掛けるが、余計に固まってしまった。俺が寝ていた温もりの残るベッドになんか座りたくないのかもしれないが、この部屋には俺が座っている椅子しかない。

「黒羽命令だ、座れ」
「……分かりました」

 ビクリと肩を跳ねさせたミカエルが、壊れたロボットのようなぎこちない動きでベッドに座る。

「なぁ、この飯、ミカエルが作ったのか?」
「も、申し訳ありません。お口に合いませんでしたか?」
「いや、その逆。すげぇ美味いよ」
「あ、ありがとうございます」

 ほんのり頬を染めてはにかむミカエルを見て、俺の頬も緩む。
 透明感があって健気なミカエルは、まさに天使だ。あのクソ兄貴と同じ血が流れているとは思えないな。

「ごちそうさん。美味かったよ」
「お粗末様でした」

 手をあわせると、ビシッと立ち上がったミカエルがテキパキと食器を片付けていく。

「なぁ、明日の朝にはここを出なきゃなんねぇから、村を案内してくれないか?」
「案内、ですか?」
「ミカエルのお勧めの場所に連れていってくれよ」
「……」
「頼むよ」
「……分かりました」

 マモに俺を外に出すなとでも言われていたのか逡巡していたミカエルだが、手をあわせて頭を下げた俺に折れてくれた。

 ミカエルが連れてきてくれたのは、村を一望できる丘だった。
 ここが頂上だと指し示す看板のように生えている木の根元に腰掛けて、村を見下ろす。萌える緑の中に石造りの家がぽつんぽつんと点在していて、なんだか郷愁を覚える景色だ。
 村をぐるりと囲んでいる、先が見えないほど延々と広がっている森が、例の魔獣が棲む森なのだろうか?
 ふと、黒羽でも致命傷を負えば死ぬのだと言われたことを思い出してぞっとする。まさか殺されたりしないよな? 沸き上がってきた恐怖を振り切るように、のどかな村に視線を戻す。
 暫くぼうっと村を眺めていたが、微風に吹かれた葉がザワザワと音を立てたので頭上を見上げる。すると、真っ赤な果実が目に入って、キュルンと腹が鳴った。

「なぁ、この実ってリンゴだろ? 食ってもいいのか?」
「はい。今取りますね」

 腹を押さえて聞くと、クスリと笑みを零したミカエルが立ち上がった。自分で取るからよかったのに、と思いながら俺の胸辺りまでしか身長のないミカエルを見上げると、リンゴのなっていない枝に両腕が伸びていた。

「どうした?」
「傷付いた小鳥がいるのです」

 小鳥を驚かせないようにするためか小声で答えたミカエルが、腕を引いて掌を胸元に寄せる。そして、そっと根元に座った。
 ゆっくりと開かれたミカエルの掌の中には、宝石のように輝く青い鳥がいた。その翼は裂けて血が滲んでいる。これは痛そうだ。

「今、治してあげるよ」

 そう優しく囁いたミカエルの両掌が白い光に包まれる。春の日差しのような柔らかで温かそうな光だ。触れてみたいという衝動に耐えていると、徐々に光は収まっていった。

「もう大丈夫だよ」

 ミカエルが慈愛に満ちた声で告げると、青い鳥は掌から元気に飛び立っていった。

「すげぇな」
「いえ、黒羽様の力には到底及びません。私の治癒力なんて……」

 涙声になったミカエルが、悔しそうに拳を握り締める。

「溜まってることがあるなら吐き出しちまえよ。俺が聞いてやる」
「黒羽、様ぁ……」

 ポロポロと真珠みたいな涙を零すミカエル。背中を摩って勇気づけてやると、堰を切ったように話し始めた。
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