BLUE DREAMS

オトバタケ

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アキとハル

初恋 sideA

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 物心がついた時から、悩んでいる時、苦しい時、勝負の時になると、必ず見る夢がある。
 真っ白い世界で、微笑む影。男なのか女なのか、人間なのかさえ分からないけれど、優しく微笑んでいるのだけは分かる。
 きっと女なんだと思う。女神様。
 その夢を見て目覚めると、何とも温かくて優しい気分になって、上を向いて胸を張って歩いていこうって思えた。

 女神のことを考えると、胸がきゅんって甘く締め付けられた。
 恥ずかしいけど、俺の初恋の相手は夢の中の女神。
 俺もそこまで馬鹿じゃないから、女神が実在するなんて思っていなかった。
 でも、ちょっと期待していた。あの人は運命の人で、いつか出会えるんじゃないかって。
 らしくなく本屋に行っては、夢占いの本だとか、『夢』と題された本を読み漁って、自分の期待に根拠を持たせようとした。やっぱり俺って馬鹿だな。

 ガキの頃から馬鹿みたいに打ち込んでいたサッカーで、初めて17歳以下の日本代表に選ばれた俺の前に、何の予告もなくそいつは現れた。
 ディフェンダーの俺を赤子の手を捻るように躱し、厳しい表情を浮かべて一心にゴールを目指す憎らしいほど上手いそいつが、コーチに褒められて恥ずかしそうに笑った時、俺は唖然とした。
 ずーっと俺に向けられていた優しい微笑みが、目の前にある。
 馬鹿デカい俺より頭ひとつ分ちっちゃくて、細身だけど綺麗に筋肉のついた身体。癖のない真っ直ぐで艶やかな黒髪。炎天下を走り回ってるっていうのに、陶器のようにスベスベな白い肌。闇を吸いとったかのような真っ黒で、奥二重の鋭い瞳。すうーっと通った鼻筋に、少し厚めの形のよい唇。
 整った顔をしてるが決して女顔ではないし、話し方や態度も男以外の何者でもない。
 それなのに、叶うわけないって分かってんのに、その笑顔に一目で恋に堕ちてしまった。
 さっそうとピッチの上を駆け抜けていく女神。スピードには自信のある俺でも、追いつけるか不安なくらいのスピード。
 やっぱり女神は女神。一生手が届かないのかな……。

「夢に出てきてくんないかな……」

 ベッドに寝転がり、白い天井を見上げて呟き、ゆっくり瞼を閉じる。
 その晩見た夢は、真っ白い世界で優しく微笑む女神の姿が、はっきりと見えた。


 四年に一度のサッカーの祭典を翌年に控えたプロ生活三年目の冬、俺は新しいチームに移った。
 日本代表に選ばれし者のみが身に纏う事の出来る色と、同じ色をチームカラーに持つチームにだ。
 よりレベルの高い世界、慣れない環境、一線を引いてしまうチームメイト。
 全てが空回りしてしまって、ベンチにすら入れない日々が続く。
 このままじゃ、最高峰の選手だけが集まるあの場所に行けない。女神に会えない。
 今や、年代別日本代表ではなくてはならない存在になり、いつフル代表に選ばれてもおかしくないような選手に成長した女神。
 かたや、何とか今シーズンも契約してもらった感のある落ちこぼれ。
 悔しくて情けなくて、何とか気持ちを持ち上げようと、目的もなく街を歩いた。

「あっ……」

 ショーウィンドウに映る自分の姿が目に入って、なんて顔してるんだよって笑ってしまった。
 目線を下げると、黒い手だけのマネキンに光る銀色の指輪があった。
 何かに導かれるように、店の中へと足を進める。

「これ……」

 ガラスケースの中で輝く様々なデザインの指輪を見ていたら、女神に似合いそうな、シンプルな指輪に目が止まった。

「すいませーん」

 気付いたら店員を呼んでいて、それをケースから出してもらっていた。
 掌の上で、キラキラと輝く指輪。
 サンキュって照れ臭そうに微笑んで、嬉しそうにそれを受け取る女神の姿を想像してしまい、急いで頭を振ってそれを振り払う。
 いつから俺、こんなに妄想癖がついたんだろう……。
 あっ、物心がついた時からか。ずーっと女神のことを想像してたしな。
 なんか吹っ切れてしまった俺は、それを自分の左薬指に嵌めてみる。
 指輪は第二関節で止まり、それ以上先へは進まない。
 あいつの指なら、これでちょうどいい位かな。

「すいません、これください。あと……」

 部屋に戻り、ベッドに寝転がった俺は、蛍光灯に指輪をかざして溜め息をつく。

「何やってんだろう……」

 勢いで買ってしまった指輪。しかも……

「AtoHってなぁ……」

 わざわざ彫ってもらったイニシャル。AtoH、アキからハルへーー
 三万も出して、自分の指に嵌まらない指輪なんか買っちまって。
 ろくに喋った事もない奴から、しかも男からこんなもん貰ったって、あいつも迷惑だよな……。

「俺、ストーカーじゃん……」

 紺色のケースに指輪をしまうと、ぼやけだした視界をごまかすように、きつく瞼を閉じて布団の中で丸くなった。
 こんな俺の夢の中に、女神は出てきてはくれなかった。


 四年に一度のサッカーの祭典が近づき、世の中を包む青い波がうねりを増し、どんどん大きくなっていく。
 俺に、特別な地に立てる切符は渡される事はなく、テレビの中から伝えられる青の熱狂を羨ましく見つめながら、自分の居場所を確保するのに必死になっていた。
 向かうのは、いつもの練習場。いつもと違うところと言えば、空が少し高いという事だろうか?

「え!?」

 クラブハウスに入ると、ピッチの上では常に鋭い光を放つ瞳に不安の色を浮かべ、ロビーのソファーに居心地悪そうに座る女神がいた。
 目の錯覚? やばい、俺、妄想癖な上に、幻覚まで見えるようになっちゃったのか?
 固まったまま動けずにいる俺に気付いた女神が腰を上げて、おずおずと歩み寄ってくる。

「あの……レンタル移籍してきたんだ。今日からチームメイトだから、その……よろしくな、アキ」
「え……あぁ、よろしく」

 ぺこって頭を下げて、はにかんで目を伏せた女神。
 嘘……。頑張って特別な場所に行かない限り会えないと思っていた女神と、これから毎日会えるだなんて……。

「あっ、俺、着替えてくるから」

 じゃって軽く手を挙げて、逃げるようにロッカールームへと向かう。
 だって、あまりに嬉しくて、顔に締まりがなくなっていくのを感じたから。
 それに、女神に名前を呼ばれて、胸がきゅんきゅん鳴って体が震えだしてきたし。
 あのまま二人であそこにいたら、衝動が抑えきれなくなって、女神を抱きしめていたかもしれない。無理矢理、唇を奪っていたかもしれない。

「やばいかも……」


 女神とチームメイトになって、数日が過ぎた。
 四年に一度のサッカーの祭典で日本代表は怒濤の快進撃を見せ、青の波は最高潮に達している。
 だが俺の状況は変わる事なく、なかなか思い通りに動かせない球に四苦八苦して、チームメイトが女神と親交を深めていくのを遠くで眺めている日々が続いている。
 結局は、何も変わっていない。変わったのは、毎日女神を見つめられる事だけ。

「ハル……」

 女神の名を呟きながら蛍光灯にかざすのは、女神の為に買った指輪だ。

「ハル……」

 もう一度呟く。
 胸が痛い。何でこんなに痛いんだよ、こんちきしょう。

「はぁーあ」

 大きな溜め息をつくと、よいしょ、と重い体を起こしてキッチンに向かう。
 酒でも飲まないと、やってらんねぇって感じだ。

「なんだよ……」

 冷蔵庫の中に、アルコールの姿はない。

「あーあ」

 コンビニへと歩く。
 肌に触れる風は、じめっとして気持ち悪い。

「俺の心ん中と同じみたいだな」

 溜め息をついて見上げた空には、まんまるな月が浮かんでいる。
 月に導かれたように、幾千もの星がその周りで輝いている。
 あいつみたいだな。あいつの周りには、いつもたくさんの人が集まっていて。
 今日、何回目か分からない溜め息をついて視線を下げると、街灯の上に、うっすら光る星がぽつんとあるのを見つけた。
 月のちょうど真下。月に近付きたいけれど近付けず、そっと月を見上げているような星。
 俺みたいだな。

「あっ!」

 また溜め息をつこうとした口から、大きな声があがる。その声が、道の両側に続く民家の壁に反響する。
 いい事を思いついた。
 全速力でコンビニへ向かう。

 ビールやらチューハイやらを適当にカゴに詰め込んで買い、重いビニール袋を下げて来た道を全速力で戻る。
 うっすら光る星の下の街灯の足元にビニール袋を置くと、民家の壁から道にはみ出している庭木に腕を伸ばす。
 目的は、そこに引っかかってフラフラ揺れている青い風船だ。

「痛っ」

 小枝が腕を突き刺すが、我慢して枝に引っかかっている糸を取る。

「おっ」

 手が軽くなる感覚がした。
 俺の目の前に、風船を持った男の影が伸びる。
 右手に風船、左手にビニール袋持って、スキップしながら家へと帰る。
 なんかこのまま、どこまでも飛んでいけそうだ。
 最高峰の選手だけが集まる場所での正装と、同じ色の風船。最高峰の場所を目指す二人が、共に鍛練して戦いあっているチームのカラーと、同じ色の風船。

 部屋に戻ると、プカプカと天井に浮かぶ風船を見ながら、ビールを喉に通す。
 ぼーっと考えるのは、君への愛の言葉。

「よし」

 ビールを一気に飲み干し、引き出しを開けて白い封筒を取り出す。
 マジックで記す、君への愛の言葉。
 紺色の箱から、君の為に買った指輪を取り出し、一度口付けをして封筒の中に入れる。
 しっかり封をしてテーブルの上に置くと、ベッドに昇って腕を精一杯に伸ばして風船を掴む。
 封筒に小さな穴を開けて、そこに風船の糸を通して固く結ぶ。
 それを握り、再び外へ出る。

 向かった先は、あの街灯の下だ。
 街灯の上の星は恥ずかしそうにうっすら光り、月を見上げ続けている。

「お前もこれに掴まって、一緒に昇っていけよ」

 届くはずのない言葉を星に投げかけると、封筒の上から指輪に口付けして、ゆっくり手を離す。
 冷静に考えれば、これがあいつの元に届くなんて事はあり得ない。でも、なぜだか分からないけど届くような気がした。
 そして、この風船と一緒に俺も飛び出せるような気がした。

「この想い君に届きますように。愛してるよ」

 封筒に書いた愛の言葉を呟く。
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