その声に恋してる

秋初夏生

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その声に恋してる

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「今日こそ、いい人と出会いたい!」

 OL2年目の私は、金曜の18時を迎えた瞬間、デスクの引き出しを閉め、急いで身支度を始めた。
 
 今日は先輩に誘われた合コン。
 正直、ちょっと疲れてたけど……「来るって言ってた一人、けっこうイケメンらしいよ」なんて言われたら、行かない理由がない。

 会場は代官山の隠れ家ダイニング。
 間接照明に照らされたウッド調の店内には、すでに男性陣が到着していた。

 向こうは、スーツ姿の4人。その中でも、ひときわ落ち着いた雰囲気の人が目に留まった。

「はじめまして、田島です。IT系で働いてます」

 低くて優しい声。
 その一言だけで、なんか空気が変わった。

 歳は28だって。やっぱり少し年上か……と思いながらも、なんだろう、気づいたら目で追ってしまう。

 

 料理が運ばれてくる。最初に出てきたのは、バジル香るシーフードのカルパッチョ。

 一切れを口に運んだ瞬間、彼と目が合った。

「おいし――」

「レモン効いてる」

 二人、ほぼ同時だった。
 ぴたりと重なった声に、一瞬だけ沈黙が落ちる。

 目が合い、ふっと笑い合う。

「……被ったね」

「うん、でもわかる。レモンが、いいバランス」

 なにげない一言だけど、不思議とその瞬間、彼との間に小さな糸が繋がったような気がした。

 お酒が進み、みんながワイワイ話している中、私の隣にそっと彼が座った。

「緊張してる?」

「え、そんなにわかります?」

「うん。目が泳いでる」

 そう彼は冗談ぽく言ってから、ふわっと笑う。

「でも、無理して笑ってる感じがしないから、いいと思うよ」

 不思議だった。
 まだ出会って1時間も経ってないのに、この人の言葉がスッと胸に入ってくる。いつの間にか、敬語も抜けていた。



 終電の時間が近づき、みんながそれぞれ帰路につこうとし始めた。

 私も立ち上がり、バッグを手に取る。彼がすぐ隣で、歩幅を合わせてくれる。

 駅までの短い道のり。言いたいことはたくさんあるのに、口を開くタイミングがつかめない。

(また……会える?)

 喉元まで出かけた言葉を、飲み込んだその瞬間。

「わっ……」

 ヒールが石畳のすき間に引っかかって、体がぐらつく。

 すぐに、彼の腕が私の腰を支えてくれた。

「大丈夫?」

 驚くほど近い距離。彼の手のぬくもりに、思わず心臓が跳ねる。

 そのまま彼は、ほんの少しだけ私を引き寄せるようにして、静かに言った。

「……また会いたいな、俺は」

 呼吸が止まりそうだった。

 さっきまで言いかけて飲み込んだ言葉が、胸の中で熱を帯びて跳ねた。

「……私も」

 ほんの少しの間だけど、彼の手は、私の背中に優しく添えられたままだった。

 LINE交換の流れになって、彼が私にスマホを差し出す。

 名前を登録しようとしたとき、「あ、“田島さん”でいいですか?」と聞くと、彼は少し笑って言った。

「うん。登録名に”さん”付けしてくれるんだね。なんか嬉しいな」

 そう言って微笑む顔が、反則級にやさしかった。

 その夜、家に着くとすぐに「今日はありがとう。話せてよかった。また近いうちに」とメッセージが届いた。

 新しい出会いって、もっと軽くて、なんとなく流れていくものだと思ってた。
 
 でも今日、私は声に落ちた。

 あの人の穏やかな声が、今も頭の中で反響してる。次に会える日が、待ち遠しい。


 ◇

 それから一週間、田島さんとのメッセージは毎日続いた。
 他愛もない仕事の話。好きな音楽の話。

 でも、なぜか会う約束だけは、なかなか決まらなかった。

「今週末、どう?」と私から誘っても、「ごめん、ちょっと立て込んでて」と返ってくる。    

 一度や二度ならわかる。でも三度目になると、さすがに不安がよぎった。

 もしかして、社交辞令だったのかな。

 そんなモヤモヤを抱えたまま迎えた水曜の夜、会社の最寄り駅で改札を出た瞬間、聞き覚えのある声が背後から聞こえた。

「……はい、わかりました。では明日までに」

 振り返ると、そこに立っていたのは田島さんだった。スマホを耳に当てて、誰かと話している。
 
 私に気づくと、彼は一瞬、驚いたように目を見開いた。

「あ……」

 電話を切った彼は、少し困ったように笑った。

「偶然だね」

「本当ですね。こんなところで」

 私は努めて明るく答えたけれど、心の中では疑問が渦巻いていた。

 この駅は、彼が働いているエリアとは全然違う。なんでここに?

「ちょっと、打ち合わせがあって」

 彼はそう言ったけど、スーツの襟元には見慣れない社員証がぶら下がっていた。
 IT系って言ってたけど、その社員証には「◯◯総合病院」という文字。

「……田島さん、病院の?」

 私が尋ねると、彼の表情が一瞬、固まった。そして、ゆっくりと息を吐いて、静かに頷いた。

「ごめん。ちゃんと話すべきだったね」

 彼が案内してくれたのは、駅前の小さなカフェ。窓際の席に座ると、彼は視線を落としたまま話し始めた。

「IT系で働いてるっていうのは、嘘じゃない。でも……俺、今、病院で音声合成の研究をしてるんだ」

「音声合成?」

「うん。声を失った人のために、その人の声を再現する技術。事故や病気で声帯を失った患者さんが、もう一度自分の声で話せるようにするための」

 そこまで聞いて、私は息を呑んだ。

「俺自身も、5年前に喉の病気で手術を受けた。声帯の一部を取ってる」

 彼はそう言って、喉元をそっと撫でた。

「今の声は、俺の声じゃない。術前に録音しておいた音声データをもとに、AIが生成してるんだ。リアルタイムで」

 信じられなかった。あの、私が恋した声が、機械の声だなんて。

「合コンの時も?」

「うん。ずっと」

 彼は静かに頷いた。

「最初は、ちゃんと言うつもりだった。でも、君があんなに楽しそうに話してくれて……怖くなった。もし本当のことを言ったら、君が離れていくんじゃないかって」

 私の胸は、複雑な感情で満たされた。騙されたという怒り。
 でも同時に、彼がどれだけ苦しんでこの選択をしたのかも、わかってしまう。

「会えなかったのも……」

「調整が必要だったから。この装置、まだ完璧じゃない。長時間の会話だと、たまに音が途切れたりする。デートで、そんなの見せたくなくて」

 彼は苦笑した。

 私は、しばらく黙っていた。何を言えばいいのか、わからなかった。でも、一つだけ確かなことがあった。

「私、その声に恋したんです」

 彼が顔を上げる。

「機械だとか、本物じゃないとか、そんなの関係ない。田島さんが選んだ言葉を、田島さんが伝えようとしてくれた気持ちを、私はちゃんと受け取ってました」

 私は彼の目を見て、続けた。

「だから、これからもその声で、話してください」

 彼の目に、光が灯った。そして、ゆっくりと微笑んだ。

「ありがとう」

 その声は、いつもと変わらず、優しかった。


 ◇

 あれから半年。
 私たちは今も一緒にいる。

 彼の研究は、少しずつ実を結び始めている。彼と同じように声を失った人たちが、もう一度笑い、歌い、愛を語れるようになっていく。

 そして私は知った。
 声というのは、ただの音じゃないということを。

 それは、その人が生きてきた証であり、誰かに届けたいと願う想いそのものなのだと。


 私は今日も、彼の声に恋をしている。
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