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第1章
その12 コマラパ大いに怒る。足の裏に触るのは恋人だけ。
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なぜ人間を殺してはいけないかを、コマラパはカルナックに説いて聞かせる。
実の父親に、野望を叶えるため、闇の神への贄(にえ)となって殺され、精霊達に救われて育てられたカルナックに、今さら倫理をどうこう言っても意味は無い。
「人間というものは必ず集団に属している。一人の人間と関わったりもめ事を起こしたりしたら、結果は一人ではすまない。どれくらいの敵を増やすことになるか。リスクをよく考えて行動するのだ」
「……わかったよ。これからはよく考える……」
本当のところ、よくわかっていないカルナックは、目を伏せた。
怒りにまかせてまずいことをしたらしいことだけは理解している。
「そう気落ちするな。わたしが離れたのもいけなかった。おまえは精霊の森から出てきたばかりだ。まだまだ、一人になどできないな」
コマラパは助けた少年を荷物のように肩に担いでやってきて、カルナックのいる草むらに下ろした。意識は戻っていない。
身を屈めると、カルナックは伸びあがり、彼の首にしがみついた。
「あんたが連れ出したんだ。責任取って」
「まるで、わたしが人さらいのようだな」
コマラパは苦笑した。
「ところで、この少年が先ほどしたことは見かけたが、他には何かしなかったか?」
過激な言い回しを避けながら、コマラパはカルナックのようすを探る。
もしカルナックの身に危険が及ぶようなら精霊の森にいったん引き返すことも検討しなければならない。
「えっと。キスしてきたほかに? 大きな鳥の魔物から助けてもらった。それから抱っこされて、この木陰につれてきてもらった。そのときに、足の裏に触られたかな。柔らかい足の裏だっていって」
「なに! 足の裏に触っただと!」
コマラパは声を荒げた。
「なんで驚くの?」
「そうだな。足の裏はふだん隠れている場所だ。そこに触れるのは、ごく親しい者だけなのだ」
「髪の毛にも触られたし、匂いをかいでたよ」
「うう~む」
小声で「なんと破廉恥な」と呟く。
そういうことは恋人同士のやることだ。
「やはり、わたしがいけなかった。人間界の常識を知らず、無防備すぎるおまえを一人で残すなんて」
ため息をついて、
「あいつは、名乗ったか?」
「クイブロって言ってた」
「おまえの名前は聞かれたか?」
「うん。でも答えなかったよ。ラト姉さんが、初対面の相手に教えるものではないって」
コマラパは、胸をなで下ろす。
「その通りだよ。異性には名前を答えるものではない。名前を尋ねられても無視していい」
「でも、おれ、異性じゃないよね」
「……」
きょとんとして首をかしげる、カルナックに。コマラパは言えなかった。
ほぼ全ての男性は、カルナックを美少女と認識するだろう、とは。
「用心に越したことはないからな。当分の間、名乗るのは、わたしがいいと言う相手だけにするのだ」
※
コマラパが助けた少年、クイブロは、しばらくして目を開けた。
彼が飼っている、みっしりと厚い毛に覆われたパコという家畜たちは、少年のまわりにやってきて、耳元で鳴いたり、舐めたりしていた。
「あれ? おれは、まだ生きてるのか」
まばたきを何度もして、周囲を見回す。
「気がついて何よりだ。これを飲んでおけ」
コマラパは懐から取り出した小瓶を、少年の鼻先に近づけた。
くん、と鼻を鳴らして、きつい匂いに顔をしかめながら、クイブロは、瓶の中身を一口飲み、咳き込んだ。
「生命の火酒だ。ほんの一口で足りるし、それ以上は毒となる」
「蒸留酒だ! きっつい!」
文句を言って、クイブロは、コマラパに瓶を戻した。
「でも生き返った気分だ。ありがとう。あんたが、この子の言ってたコマラパ老師?」
「わたしはコマラパ。大森林のクーナ族の生まれだ。クイブロか。おまえの名前は、『小さい鷹』という意味だな。わたしの故郷でも同じ言い回しをする。してみると、ここは大森林からさほど遠くはないのだな」
「この山を越えて海のほうへ下れば大森林っていうところだって姉ちゃんが言ってた。このへんは、ものすごい田舎だけどね。ありがとう、助けてくれたんだよね」
「死なれては寝覚めが悪いからな」
どことなくコマラパの態度は冷ややかだ。
だがクイブロは気にもとめない。
「コマラパ老師。おりいって相談だ。おれはつがいのパコと、子どものパコチャを持っている。パコチャを一頭やるから。その子を置いて行かないか?」
「なんだと?」
「嫁にもらいたい。今はおれもまだ十三歳だから、持っている家畜も多くない。婚約と言うことで整えたい」
ぴきっと、コマラパのこめかみに、筋が浮いた。
抱いていたカルナックを、木陰に置く。
「ちょっと待て小僧。歯を食いしばれ」
「へっ?」
「この子に、いろいろとやらかしてくれた礼をしていない」
言い置いて、コマラパは少年の腹に一発、打ち込んだ。
大人げない所業だった。
たまらず少年の身体が吹っ飛ぶ。
「ぐっ」
「クイブロ!」
カルナックが手を伸ばそうとするのを、コマラパは押しとどめる。
「行くな。同情することはない。こういうことは覚悟を持って申し出るものだからな」
「あ~、効いた。まあ、殴られるくらい予想してたよ」
少年は、にやっと笑った。
コマラパは静かに、しかし烈火の如く怒っていた。
「わたしはこの子を精霊の養父たちから預かった。本当の親たちは死んでしまったのでな。世界に愛され、精霊の森の奥で大切に育てられていた特別な子だ。精霊達の愛し子。誰にも、渡すわけにはいかん。わたしにとっても、大事な娘だ!」
ここでコマラパは間違った。
うっかりミスだ。
自分でも『娘』と言ってしまったのだ。たぶん前世の娘と混同したのかもしれない。
カルナックだけは、それに気づいた。
きっぱり断られてもクイブロは諦めない。
「その子が特別だってことはわかる。精霊火(スーリーファ)を集めてたのを見たから。けど、おれも、すっごい大事にするよ。嫁に来てほしい」
「だが断る!」コマラパは強い口調で断定する。
「小僧、おまえもだが、この子もまだ子どもだ。世界のことを知り、学び、育つ時間が必要なのだ」
「じゃあ、名前を教えてくれよ。おれはクイブロ」
「……教えてやってもいいと、この子が思うなら」
コマラパは、黒髪の子どもを振り返って見やる。
「カルナック」
自ら名乗ってしまったのを聞いて、コマラパは困ったように眉根を寄せたが、本人の意思では仕方ない。
コマラパに抱き上げられていたカルナックは、白ウサギの「ユキ」が肩の上や頭の上を好き勝手に動いているのを、優しく撫でてやり、クイブロに手をのばした。
「ごめん、おれはそういうの、応えられないけど。魔獣から助けてくれてありがとう」
クイブロは、コマラパに支えられて起き上がり、カルナックの手を取った。
そして手の甲に、うやうやしく唇を押しつける。
「うわっ!」
あわててカルナックは手を引っ込めた。
「おれは諦めてないからな。まだ嫁取りには早いし。もう何年かしたら、おまえのほうから、嫁にしてくれと言ってくるような男になってるから!」
「おまえどうかしてる! おれは、おれは」
「だめだろ。そういうときは「わたし」って言うもんだろう」
「知るかバカ!」
カルナックは手の甲が濡れたのがイヤだったらしく、コマラパの外套で何度も手を拭いている。
「コマラパもコマラパだ。さっき、あんたも『娘』って言った」
「そうだったか?」
「そうだったら!」
カルナックは大いに憤慨した。たとえ人間たちの標準では色白で華奢な身体だとしても、精神の強さでは、だれにもひけはとらないつもりでいるのだ。
やがて、空の紺色が深みを増していく。
午後も半ばを過ぎて、太陽が傾いている。
クイブロのパコチャたちが不安げな鳴き声をあげた。
「日が傾いてきたな。ここらは日が短い。もう帰ったほうがいいみたいだ」
クイブロは三頭のパコ達を呼び集め、背中を叩いて落ち着かせる。
そして、指笛を吹いた。
高く、低く。山々にこだまする。
「コマラパ。それに未来の嫁。今夜は、おれの村に来て泊まれよ。夜に野原で過ごすなんて無茶はしないだろ?」
「嫁じゃない」
カルナックは憮然として訂正する。そこは流されるつもりはなかった。
山の奥の方で、同じように指笛が響いた。
「あっちに、おれの村がある。アティカ。『欠けた月』の一族の、隠れ里だよ」
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