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第3章

その8 いつかコイユル・リティ(輝く雪の祭り)に連れてって

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           8

 いよいよ雪面に登ろうという直前に、クイブロは足を止めた。

 休憩をとってカルナックに水を飲ませ、自分も飲む。

 そして荷物の中から、足の裏の大きさより少し大きいくらいの乾いた蔓を丸く曲げた輪と、丈夫なリャリャグアの毛で紡がれた細い紐を取り出した。
 蔓でできた輪には緩い反りがある。輪の間に数カ所、紐を渡していく。

「それ、なに?」

「雪輪(ゆきわ)っていう。雪の上を歩くときに使うと、楽に歩けるものだよ。ルナ、座って。足に着けるから」
 カルナックに、近くの岩に腰を下ろすように言って、木の皮と精霊の布で作られた靴を履いた足に、紐で取り付けていく。

「わあ。おもしろい」
 さっそくカルナックは、雪面に乗って、飛び跳ねている。

「あはは。まあ、ルナはすごく体重が軽いから、これを着けなくても、身体は雪に沈まないだろうけどね。用心のためだよ。それから、あまり飛び跳ねない」

「どうして」

「めったにないけど、雪崩(なだれ)が怖いから」

「ふうん。わかったよ」

 しぶしぶ、カルナックは飛び跳ねるのをやめて、おとなしく雪上を歩きだす。
 歩き始めたと思うと、すぐに、振り返って、幼い子どものように目を輝かせて。

「ねえねえ、クイブロ。何か話して」

「ん~。何が良い? かしこいキツネが、お月様に恋をしたっていうのは?」

「それ、小さい子に聞かせる話だよね? それも聞きたいけど。おれ、子どもじゃないんだからねっ」
 カルナックは、挑戦的な眼差しを向けてきた。

「来年に開催されるって言ってた『輝く雪』の祭りのことが聞きたい。家族で一緒に行くんだよね? 聞かせて。どんな祭りなの?」

「ああ、おれも、村のみんなも楽しみにしてるんだ」
 クイブロは、にこにこして、話し始めた。

                      ※

 四年に一度、早春、まだ雪が山に多く残っている時期に行われる『輝く雪(コイユル・リティ)』の祭りでは、大勢の人々が、いろんな地方からやってくる。

 半月以上にもわたって野営し、大きな焚き火をして、飲んで、歌って、踊って。
 家族や村人同士、あるいは他の地方から来た人々とも交流して、楽しむ。
 大がかりな祭りである。

 祭りの最後の週には、夜明け前から、ウクク(熊男)とも呼ばれる『神がかりの七人』が、毛織りの布を纏い、防寒と防水のために顔や手足にも同じ布を巻いて、この雪輪を足に着けて氷河に登る。
 融けない氷を持ち帰り、村に運んで村人たちで分け合って幸運のお守りとするのだ。

 もともとは、雪峰に登り銀竜に会う、成人の儀のことを忘れず、謙虚な気持ちと銀竜を始め、自然への畏敬の念をあらわすために、始まったものであるという。

           ※

「へえ~。融けない氷って、あるの?」
「ああ、水晶のことだよ。氷河峰の奥には水晶の洞窟があるんだって。それも、透明なのとか、紫のとか、青や、赤いのとか」

「わぁ。見てみたいな!」

「洞窟は、『神がかり』のウククしか行けないけど。持って帰ってきた水晶は見られるよ。来年は家族で行って、輪になって踊ったり歌ったりするんだぞ」

「おれも、いっしょ?」

「もちろんだよ」

「うれしいな!」

 花が咲いたようにカルナックは笑う。
 魔女カオリの笑みは大輪の花のようだったけれど、「ルナ」の笑みは、野に咲く小さな花のようだと、クイブロは思う。

 守ってやりたい。
 レフィス・トールの警告を忘れてしまいそうな、穏やかな時間が過ぎていく。

 けれど忘れてはいけない。
 カルナックの精霊の兄レフィス・トールと、精霊の姉ラト・ナ・ルアが、口をそろえて警告したことを。

 悪い運命が、悪霊が近づいている。
 それから逃れるためには、クイブロは今すぐに成人の儀に臨み、ルミナレスの頂上に宿る銀竜に会って加護を得なければならない、と。

 もし、それが叶わなければ。
 最悪の場合クイブロは命を落とし、カルナックは精霊の森に連れ戻される。

「絶対に、そんなことには、しない!」
 クイブロは決意を新たにした。

 再び、雪を踏みしめて二人は山登りを再開する。

 ときどきカルナックは、「うわっ」「ぎゃっ」「わー!」などと叫ぶ。そのたびに足を滑らせたりしているのだ。

「背中に乗れよ」
 クイブロはしゃがんで、カルナックを促した。

「おぶってくれるの? 邪魔にならない?」

「ルナが足を滑らせて落ちたりしないかって心配だから。それに、もう何度も、おぶっているだろ? おまえは軽いから、ぜんぜん邪魔にならない。さ、乗って」

 ためらっていたカルナックも、大丈夫とクイブロが請け合うので、そっと、背中に負ぶさった。

「もっとくっついて」

「え~? なんか、あやしいなあ」

「そんなことないって!」
 クイブロは慌てて打ち消すが、かえって怪しさ満点なのだった。

(うわ。ルナって、やっぱり、すげえ柔らかい。それに温かいな……)

 クイブロは煩悩に悩みながら雪の上に踏み出した。

 もくもくと歩みを進めていたクイブロだったが、突然、ふと違和感を覚えた。

(あれ? なんだ……なんだか……妙な感じが?)

 歩き始めた頃は気づかなかった。
 しかし、歩みを進めるにつれ、しだいに、違和感は無視できないほどになっていった。

「ルナ……」

「なぁに?」

「お前、少し大きくなったよな」

「うん。重い?」

「いや、ぜんぜん。だけど……」

「どうしたの?」

「………」
 クイブロは、黙ってしまった。ただ、顔は真っ赤だ。おぶさっているルナ(カルナック)には、わからないだろうが。

(きけるかよ! 何も意識してないルナに、む、む、胸が、大きくなってないか、なんて……)

 おぶさっているクイブロの背中に密着しているルナの身体は、柔らかくて温かくて。そして、もっと幼い姿をしていた頃にはなかった、存在感のあるふくらみが、ささやかながら主張を始めているように感じられた。

(そんな、ばかな。ルナは、男の子だ……いや、そうだった、はず……だけど?)

 ふいに思い出した。
 カルナックの過去の記憶の中に入り込んだとき、出会った、本当のお母さん、フランカの言葉である。


『ガルデルも気がつかなかったけど、この子は、半分は女の子なの。……そのときが来たら、できるだけ優しくしてやってね』


(半分、女の子? 優しくって。できるだけ優しくしてやってって! それってどういう『そのとき』だよ! わけわかんねえよ、ルナのお母さん!)

「どーしたの~? クイブロ。おなかへったの?」

「い、いや……だいじょうぶだ。だいじょうぶ」

「へんなクイブロ」

 目指す氷河峰は、すぐそこに見えている。
 実際には、すぐそこにあるように思えても、かなりの距離があるのだけれど。


 翌日か、翌々日には、きっと、登頂できるだろう。

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