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第5章
その3 精霊に招かれた客人
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「……もしや、あなた様は」
シャンティは、息を詰めた。
「クーナ族の……深緑の賢者さまでは?」
「賢者と自ら名乗った覚えはないが」
壮年男性は、二人の青年に視線を向けた。
「わたしは深緑のコマラパと呼ばれている。本意ではないが、賢者と言う人も、あるようだ。ところで、旅の御方。北方の出と、先ほどおっしゃられたが。アステルの方とお見受けする」
射るような鋭い眼差しだ。
シャンティの身体がこわばった。出身地を言い当てられたのだ。
ミハイルは反射的に腰の物を探ったが、武器は携行していなかったことを思い出した。
二人の緊張を見てとり、賢者は、微かに笑った。
「遠くからはるばる来られたならば、四年に一度の『輝く雪の祭り』は、さぞ物珍しいことであろう。ごゆるりと見ていかれるとよい。そして我が愛娘の婚約披露宴にも、ぜひ加わっていただきたい」
「……は、はい。ありがとうございます」
「光栄です、賢者どの」
「お可愛らしいお嬢さまですね」
(……賢者様は独り身とうかがっていましたが)
緊張が解けたシャンティの胸に、ふと、疑問が浮かんだ。
だがここで問うことでもない。
「さあさあお客人! もっと奥へおいでな!」
ローサが、二人を誘った。
シャンティとミハイルが招き入れられた天幕は、油抜きをしていない家畜の毛を紡いで織った布で作られているため、非常に雨風に強く丈夫だ。
だが屋外の陽光は、五分の一ほども入ってこない。
そのため天幕内部は薄暗い。……はずだった。
しかしどういうわけか、内部は、明るかった。
青白い球状の光が、そこかしこに置かれているのだった。
「ロウソクでしょうか」
「…ですかね…それにしては炎もないし」
シャンティとミハイルは顔を見合わせた。
その球状の光が、ふっと浮かび上がり、漂い始めたのを見るに至っては、二人ともさすがに動転したのだったが、ここで狼狽えてはまずいと、互いを抑えた。
「もしかしたら、あれは……」
「ええ、もしかしますね」
精霊火……?
その名前を、二人は口に出さなかったが、うなずき合った。
「さあさあ、お客人。もっと奥に来なされ」
「美味い料理と酒があるよ!」
「ローサんとこの嫁さんは料理上手だよ! 俺たちも生まれてこのかた見たこともない豪勢な美味い料理さ」
人々の笑顔が、外から来た『まれびと』である二人の青年を誘う。
「えっお酒! おいしい料理!」
シャンティの目が輝いた。
「うん。今夜は、披露宴だから。いっぱい、お料理、創ったの」
可愛らしい黒髪の少女が笑う。
「いつもなら外の客には出さないけど……まあ、いいか」
少女に寄り添う少年は、照れたように、言った。
「うむ。《神がかりの七人》が雪渓に向かった。明後日には無事に戻る。客人も、それを見ていくつもりだったのだろう。ならば今宵は、宴席をともに囲みなさるが良かろうて」
少女の父親だという大森林の賢者コマラパが、頷いた。
「だめです若様! 酒で失敗してご実家を追い出されたの忘れたんですか!」
ミハイルは慌てて制止する。
シャンティは酒に弱いくせに無類の酒好きなのだ。
ちなみに失敗とは、酔っ払って年長者に無礼な物言いをしたというもの。おまけに笑いながら『ハゲ』と言ったそうだ。
この事件はミハイルが護衛に任じられるより前のことだが、そのとき自分がいて止められたらと悔しい思いをしている。
「でもでも。美味しい料理だよ。はうう。いいにおい」
ミハイルの制止も虚しくシャンティはすでに料理のいいにおいにつられて天幕の奥へと進んでいた。
人々も、ローサも、その息子と息子の嫁であるという少年と少女も、少女の父親であるという壮年男性も、共に連れ立って。
「待ってください! 若様」
「ミハイルさんも一緒においでなさいよ」
ローサが笑う。
「世界(セレナン)と、精霊様がお許しになった。こんなことは滅多にないんだよ」
「精霊…?」
(おかしい)
ミハイルは違和感を覚える。
(いくら広い天幕といっても、外から見た感じではこれほど奥深くはなかったぞ?)
まるでいつの間にか、違う世界へ繋がったかのような。
ふと頭上を仰げば。
そこにあるのは天幕の布ではない。
明るい、銀色の霞がかかったような不思議な空の色だった。
人々に誘われるままについて行ってしまった若様、自らが仕える第八王子シャンティ・アイーダ・アステル殿下を追いかけて、ミハイルも奥へと進むしかなかった。
銀白色の木々が林立する森の中を、一筋の銀色の小路がのびている。
足下には白い叢。踏みしめると、ぽうっと光って、消えていく。
周囲には、青白い光の球体が漂う。
「精霊火だ……」
もう認めるしかない。ミハイルは呟いた。
「いったいここはどこだ。我々はどこに導かれたのだ? これは、まるで……」
伝説の、精霊の……
「白き森……?」
※
細い道の先には、石造りの家々が見えてきた。
「ミハイル、遅いよ!」
シャンティ殿下が、手を振っている。
人々が、笑い合っている。
皆が、大きなテーブルを囲んでいた。遠目に見ても、数え切れないほどの料理が並べられているのが見て取れた。
「毒を食らわば皿まで……。もう、行くしかないな」
ミハイルは、覚悟を決めた。
殿下のほうは、たぶん、全然わかっていないだろうが。
森の白い木々が、吹き抜ける風に梢を揺らした。
葉ずれの音は、ざわめきのよう。
銀の鈴を振るような、囁き。
『あら、面白い』
『楽しみだね』
『外の客人を入れるとは』
『これも《大いなる意思》の意向なれば……』
「……もしや、あなた様は」
シャンティは、息を詰めた。
「クーナ族の……深緑の賢者さまでは?」
「賢者と自ら名乗った覚えはないが」
壮年男性は、二人の青年に視線を向けた。
「わたしは深緑のコマラパと呼ばれている。本意ではないが、賢者と言う人も、あるようだ。ところで、旅の御方。北方の出と、先ほどおっしゃられたが。アステルの方とお見受けする」
射るような鋭い眼差しだ。
シャンティの身体がこわばった。出身地を言い当てられたのだ。
ミハイルは反射的に腰の物を探ったが、武器は携行していなかったことを思い出した。
二人の緊張を見てとり、賢者は、微かに笑った。
「遠くからはるばる来られたならば、四年に一度の『輝く雪の祭り』は、さぞ物珍しいことであろう。ごゆるりと見ていかれるとよい。そして我が愛娘の婚約披露宴にも、ぜひ加わっていただきたい」
「……は、はい。ありがとうございます」
「光栄です、賢者どの」
「お可愛らしいお嬢さまですね」
(……賢者様は独り身とうかがっていましたが)
緊張が解けたシャンティの胸に、ふと、疑問が浮かんだ。
だがここで問うことでもない。
「さあさあお客人! もっと奥へおいでな!」
ローサが、二人を誘った。
シャンティとミハイルが招き入れられた天幕は、油抜きをしていない家畜の毛を紡いで織った布で作られているため、非常に雨風に強く丈夫だ。
だが屋外の陽光は、五分の一ほども入ってこない。
そのため天幕内部は薄暗い。……はずだった。
しかしどういうわけか、内部は、明るかった。
青白い球状の光が、そこかしこに置かれているのだった。
「ロウソクでしょうか」
「…ですかね…それにしては炎もないし」
シャンティとミハイルは顔を見合わせた。
その球状の光が、ふっと浮かび上がり、漂い始めたのを見るに至っては、二人ともさすがに動転したのだったが、ここで狼狽えてはまずいと、互いを抑えた。
「もしかしたら、あれは……」
「ええ、もしかしますね」
精霊火……?
その名前を、二人は口に出さなかったが、うなずき合った。
「さあさあ、お客人。もっと奥に来なされ」
「美味い料理と酒があるよ!」
「ローサんとこの嫁さんは料理上手だよ! 俺たちも生まれてこのかた見たこともない豪勢な美味い料理さ」
人々の笑顔が、外から来た『まれびと』である二人の青年を誘う。
「えっお酒! おいしい料理!」
シャンティの目が輝いた。
「うん。今夜は、披露宴だから。いっぱい、お料理、創ったの」
可愛らしい黒髪の少女が笑う。
「いつもなら外の客には出さないけど……まあ、いいか」
少女に寄り添う少年は、照れたように、言った。
「うむ。《神がかりの七人》が雪渓に向かった。明後日には無事に戻る。客人も、それを見ていくつもりだったのだろう。ならば今宵は、宴席をともに囲みなさるが良かろうて」
少女の父親だという大森林の賢者コマラパが、頷いた。
「だめです若様! 酒で失敗してご実家を追い出されたの忘れたんですか!」
ミハイルは慌てて制止する。
シャンティは酒に弱いくせに無類の酒好きなのだ。
ちなみに失敗とは、酔っ払って年長者に無礼な物言いをしたというもの。おまけに笑いながら『ハゲ』と言ったそうだ。
この事件はミハイルが護衛に任じられるより前のことだが、そのとき自分がいて止められたらと悔しい思いをしている。
「でもでも。美味しい料理だよ。はうう。いいにおい」
ミハイルの制止も虚しくシャンティはすでに料理のいいにおいにつられて天幕の奥へと進んでいた。
人々も、ローサも、その息子と息子の嫁であるという少年と少女も、少女の父親であるという壮年男性も、共に連れ立って。
「待ってください! 若様」
「ミハイルさんも一緒においでなさいよ」
ローサが笑う。
「世界(セレナン)と、精霊様がお許しになった。こんなことは滅多にないんだよ」
「精霊…?」
(おかしい)
ミハイルは違和感を覚える。
(いくら広い天幕といっても、外から見た感じではこれほど奥深くはなかったぞ?)
まるでいつの間にか、違う世界へ繋がったかのような。
ふと頭上を仰げば。
そこにあるのは天幕の布ではない。
明るい、銀色の霞がかかったような不思議な空の色だった。
人々に誘われるままについて行ってしまった若様、自らが仕える第八王子シャンティ・アイーダ・アステル殿下を追いかけて、ミハイルも奥へと進むしかなかった。
銀白色の木々が林立する森の中を、一筋の銀色の小路がのびている。
足下には白い叢。踏みしめると、ぽうっと光って、消えていく。
周囲には、青白い光の球体が漂う。
「精霊火だ……」
もう認めるしかない。ミハイルは呟いた。
「いったいここはどこだ。我々はどこに導かれたのだ? これは、まるで……」
伝説の、精霊の……
「白き森……?」
※
細い道の先には、石造りの家々が見えてきた。
「ミハイル、遅いよ!」
シャンティ殿下が、手を振っている。
人々が、笑い合っている。
皆が、大きなテーブルを囲んでいた。遠目に見ても、数え切れないほどの料理が並べられているのが見て取れた。
「毒を食らわば皿まで……。もう、行くしかないな」
ミハイルは、覚悟を決めた。
殿下のほうは、たぶん、全然わかっていないだろうが。
森の白い木々が、吹き抜ける風に梢を揺らした。
葉ずれの音は、ざわめきのよう。
銀の鈴を振るような、囁き。
『あら、面白い』
『楽しみだね』
『外の客人を入れるとは』
『これも《大いなる意思》の意向なれば……』
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