精霊の愛し子 ~『黒の魔法使いカルナック』の始まり~ 

紺野たくみ

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第5章

その18 ラプラから見た話(3)あたしは取り戻すんだ

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          18

 夢うつつのような……トランス状態というのだろうか。あたしは遠い国に居るアトクの意識に寄り添っていた。
 彼が見聞きすることが、あたしの視覚に、聴覚に、感じ取れるのだ。

 戦場で一度は死んだアトクは、生体接続端子というものをつながれ、かりそめに蘇生させられた。
 いったん死んだ身体は端子に乗っ取られ支配されながら完全な死に向かっている。腐敗して動けなくなる前に為すべき指令を受けた。『欠けた月の村』の殲滅。
 指令を下したのはグーリア神聖帝国軍の上層部にいるらしい、目の前の男。
 左利きのランギ。かつての同僚だ。

 そしてランギの前世は、ティトゥ・クシ・ユパンギ・インガ。
 16世紀に生きていたインカ帝国の皇帝。

 ちなみにインカとは皇帝のことであって国名ではなかった。
 彼らは自国の名前をこう呼んでいた。《四つの州の国タワンティンスウユ》と。

『なぜだかわからんが、この不思議な世界に転生してしまった。同じようにかつての世界の記憶を持った多くの者たちと共に。おれの心残りは……おまえのことだ』

「おれの?」
 アトクには彼、ランギの意図が不明だ。

『思い出してみろ。蘇生するときに繋いだ「生体接続端子」の影響で、おまえは前世の記憶を蘇らせる可能性が格段にあがっている』

「前世だと? おれは、21世紀の東京に住んでいた……名前は……」
 懸命に記憶をたぐるけれども、東京にいたときのことは霞がかかったみたいに、つかみどころがないのだ。

『ピサロと対立しているという触れ込みでビルカバンバにやってきたスペイン人など受け入れなければ、父も死なず、われも白き蛮人の持ち込んだ死病に冒されずに済んだ。さすれば、そなたも。インカを継ぐこともなく皇太子として、聡明な皇弟として平穏に暮らせたやもしれぬ。われが天然痘にたおれたおりに宣教師の差し出した薬を飲んで苦しんで死ななければ。そなたは愛する妻と、やがて生まれるはずだった子と暮らせていただろうに……』

 ランギの声は、しだいに粗野な響きが消えていき、高貴な趣きさえ感じられてきた。そこにあるのは、深い哀しみ。

『我が弟。トパック・アマルー。われと父と、叔父アタウアルパを赦せ。宣教師など受け入れ、そなたを白き蛮人との果て無き戦いに駆り立てた原因となった……そして今また、征服者の手先にしようとしている、われを。』

 トパック・アマルー。

 ランギ……自称ティトゥ・クシ・ユパンギ・インガが、後悔を滲ませて詫び、呼びかける。
「妻? 子? なんのことだ。トパック何とか? 知らん!」
 アトクは苛立っていた。自分でも原因がわからないままに。

『では別の言い方を。弟よ、愛する皇妃コヤ《ラプラ》の運命を、どう思う?』

 え、あたし!?
 いや、違うってことはすぐわかったけど。
 アトクの魂が、とたんに激しい憤怒に包まれたからだ。

「私の皇妃コヤがどうなったかを知っていて口にするのか、兄上」

『やはり彼女の名前が引き金になったか……』
 さびしげにランギは微笑んだ。

『そなたも憤りを忘れることなどできないであろう。ビルカバンバから撤退するとき、身重だった皇妃を生き延びさせるために二手に分かれたであろうに……』

「……彼女は敵に捕らわれ強姦されて死んだ。おれは拷問を受けたのちに首を切られ処刑された。そればかりではない。かの地で、全世界で。どれだけ多くの民が虐げられ奪われ惨殺され続けたことか。絶対に許せない。やつらを殲滅する……!」

 憤怒がアトクを捕まえ、染めていく。
 染まるごとに彼は、あたしから遠ざかっていく。

 やつらって誰なの?
 ねえ、アトク?
 いったい何を憎んでいるの。

 アトクの魂が『魔の月』のように赤黒く染まっていく。
 そして彼がセラニス・アレム・ダルの罠に捕らわれた瞬間、あたしとアトクを繋いでいた微かな結びつきが、途切れた。
 見えていた映像が聞こえていた彼の声が、必死にのばしたあたしの指の間をすりぬけていく。
 銀色の闇の中で一人になった、あたしは。
 少しだけ、涙をこぼした。

         ※

《泣いているのか? 翼? 矢神翼よ?》
 周囲の銀色の空間そのものが震えて、声を出した。

「トパック・アマルー……」
 あたしはつぶやいた。
 どこか懐かしく甘い響きが、胸を熱くする。
「あたしの大好きな人は……前世は、日本人じゃなかった」

《で、あろうな》
 セレナンの、世界の大いなる意思は、言った。
《一人の人間が何度も転生する。あり得ることだろう。ただ通常は前世の存在をきれいさっぱり忘れて生まれ変わるのだがな》

「そう。……それも、悪くはないかもね」

《どうしたのだ。おまえの主義とは違うだろうに》
 心配するような響きを感じて、あたしは笑う。他に何もできなかった。

「あたし考えてみたのよ。転生するたびに記憶を失ってまっさらな魂になるのは、人間に赦された救いなのかもしれないって」

《……ほう?》

「アトクは……ひどく傷つけられたり苦しめられたりした人間は、その記憶を持ったままでは、前世の重さに潰されてしまうわ。せっかく得た新たな生命にまで傷を引きずってしまうかもしれない」
 そのときあたしは。
 ふいに思い出したのだ。

 彼の……アトクの腕に抱かれていたことが、ある。
 それはいつだったのか、今ではもうわからないほど遠い過去。

 トパック・アマルーが、あたしの名を呼ぶ。『ラプラ』胸が締め付けられる。そしてあたしは、あたしは……どうやって死んだ……
 ふいに、恐怖にかられてあたしは大声で叫びだしそうになった。
 たくさんの男達の手が押さえつけて、あたしは、愛しい人の名を呼び続けて……

《翼! しっかりしなさい!》
 突然、あたしの前に現れたのは、エイリス女神さまだった。

《だから封印しておいたのに。翼、その記憶は有害です。故に、「世界」の名において取り上げ凍結、消去します!》

「なにをふういんするの」
 あたしはくびをかしげた。

《いいのよ、もういいの。忘れなさい、翼。そしてもう一度、彼と出会いなさい……縁はまだ、結ばれているから》
 女神さまの声はとても心地よく耳に心臓に響いて、凍り付くようだった身体が温まってほぐれていく。

《人の数だけ世界がある。前世を思い出すも思い出さないも自由、全てを賭けても取り戻したいものがあるなら、あがいてごらんなさい。翼。……ラプラ》
 憐れむような。
 慈愛に満ちた、女神の声が、空間全体を奮わせた。

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