癒菌士と抗菌士の旅事情

本書 長光(ほんしょ ながみつ)

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1章 アース神族とアルステア国

第2話 菌糸《きんし》と巨人

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「で、どうすんのー? どうやってアルステアに入る?」

 破かないように優しく世界地図を折り畳む僕に、ヤッカが言う。

「ヤッカの翼は、何のためにあるんでしたっけ?」

 込めた答えに気づいてくれたんだろう、ヤッカが誇らしげに両翼を開く。

「もっちろん、飛ぶためだよー!」

 鐙《あぶみ》を使い、モフッとした狐色の毛触りを楽しみながらヤッカの乗鞍《じょうあん》に体と団旗を預ける。

「準備、いいー?」

 振り向くヤッカに頷くと、自分の心臓がドクリと脈を打った。

 上空も決して安全じゃない。リビエラ兵たちはボウガンを持っているだろうし、ここからは見えないけど、ヤッカと同じ飛行タイプの異人が混じっている可能性だって。
 普段どおりに飄々《ひょうひょう》としてるけど、危険はじゅうぶんにヤッカも理解していると思う。

 ふわりと体が浮くと、頬に感じる風が強まってきた。
 揺れる木々のずっと向こうに燃える湖を認めて、あそこを抜けるときの苦労を思い出すと、苦笑いがこぼれてしまう。

「ご武運をー!」
「ご武運を!」

 コウセム団が作戦行動に移るときの決めごとだったかけ声を忘れず、ヤッカと僕は前傾姿勢になった。
 選んだのは、中央突破。
 柿色に染まる荒野の空へと飛び出し、驚声をあげるリビエラ兵たちの頭上5メートルほどを全速力で飛行。

「撃てぇーっ!!」

 リビエラ兵が僕らへ射撃を開始。
 ボウガンの矢が近づくと、ヤッカは限界の10メートルまで急上昇。
 
 予定どおり第一波を避けることには成功したけど、アルステアの防壁を越えるまではあと200メートル。
 この高さではボウガンの射程距離から逃れられず、第二波の矢がヤッカの左翼を貫通してしまった。

「大丈夫、貫通してるーーヤッカ!」

 急降下する乗鞍から身を乗り出し、シャツの前立てを開けーー
 胸に空いた虚空の穴《ネスト》から琥珀色の菌糸《きんし》を伸ばす。
 ヤッカの傷に数十本の細い菌糸が触れると同時、琥珀の光が瞬いた。
 雪のような白い血を流していた傷口が跡形もなく消え、ヤッカは荒い鼻息と共に下がっていた高度を持ち直す。

「ありが……セム、後ろぉー!!」

 振り向くと、5本の燃える鉤爪が。
 反射的に上体を反らしても、完全には回避できなかった。
 鉤爪の先端に左肩の肉を抉り取られただけじゃなく、周りのシャツに着火。
 ヤッカが震える声で叫ぶ。
 
「キッ、キメイラだー!」

 10メートルの跳躍を終えて地上へ落下していくのは、その攻撃力とタフネスさに異常な跳躍力で怖れられている5メートル級の異人、キメイラだった。

 獅子の頭部と体に、ボリュームのある漆黒の毛皮。
 鬣《たてがみ》は毛の代わりに毒々しい蛇が密集していて、本来なら前足があるべき部分には人間の両腕。
 手の形も人間そのものなのに、指の先には燃えている鈎爪。

「セムッ、まっ、また来るよーっ!」

 僕が意図しなくても、胸の穴から勝手に菌糸が伸びていく。
 傷を治すよりも、まずはここから逃げきらないと……

「ヤッカ! あいつが跳んだら、僕の声に合わせて下降してください!」

 防壁を越えるまでは100メートル。
 次の攻撃を回避せず逃げきれる距離じゃなかった。

「お、降りるのー? 潰されちゃわない!?」

「考えがあるんです! いいから、言うとおりにしてください!」

 逃げ遅れたリビエラ兵を弾き飛ばしながら地上で伴走するキメイラが低い姿勢になりつつあった。

 コウセム団がまだ健在だったとき、キメイラと遭遇したことがある。
 キメイラはあの状態から信じられないような高さの跳躍を見せていた。
 あの時、エドがとった回避方法を実践するしかない。

「っ、来ますよ!」

 今度は鈎爪の一撃ではなかった。
 キメイラは両拳を上へ突き出して斜めへ跳躍。
 そうと気がついたときには、天地が逆転していた。鞄が頭の下に来ていて、快晴に近い空が足元の上にある。
 団旗と一緒にヤッカが弾き飛ばされていくのを見て―― 
 
「ヤッカ――」

 そう言った直後、背中が爆発したかと思うような凄まじい衝撃を感じた。
 痛みは即座に来なかったけど、体はまったく動かなかった。
 菌糸が扇のように勢いよく広がり、僕の体の傷を癒し始める。
 体が動くようになった僕は慌てて上半身を起こし、下卑た笑みを浮かべたリビエラ兵たちが近づく姿を認めた。

「ヤッカ!!」

 キメイラが防壁の手前で気絶していたヤッカを持ち上げていた。
 ヤッカの脇腹には大きな黒い窪みがあり、口から青い血を流している。

「おぅら!!」

 背後から男の野太い声がして、僕は大きく蹴り飛ばされた。
 回転して体勢を立て直し、運良く失わなかった鞄からクナイを出す。

「なんだよソレ、やけにちいちゃい剣だなあオイ!?」

 あご髭を生やしたリビエラ兵士がバスタードソードを構える。
 他にも何人かの兵士が駆け寄ってくる最中だった。
 でも、間合いを詰めてくる兵士を怖がっている場合ではなかった。
 
 ヤッカが危ない!
 あのままじゃ、殺されてしまう!

 立ち上がり当てずっぽうにクナイを投げ、兵士の驚いた声を背中にヤッカへ向かって駆け出す。
 手持ちの武器はクナイだけ。こんな小さな刃物が刺さったところで、キメイラには蚊の一刺しにしかならない。
 わかっているけど、ヤッカを殺されるなんて絶対に嫌だ。
 僕以外で唯一の生き残り。
 大好きな友だちなんだから――

「グゥワハハハハッ、体を真っ二つに折ってやるぞぉ!?」

 僕に気づいたキメイラが、ヤッカをこっちへ向けて叫ぶ。
 悦に浸ったその顔に激しい怒りを覚えても、間に合いそうになかった。

「待って、やめてください!!」

 無駄とわかっていても、余計に相手が喜ぶと理解していても。
 叫ばずにはいられなかった。

 案の定、より顔を歪ませたキメイラはヤッカを頭上に掲げてしまう。
 キメイラまでは50メートル。
 僕の肩じゃ、クナイすら届かない。

 どうしよう……
 近づかないと、あの技も使えないーー
 
 もういちど懇願しかけたとき、キメイラの周囲に大きな影がさした。
 反射的に上を見上げる。
 その途中に見えた物を二度見して、僕は目を疑った。

「オッ、オオオオオオーッ!?」

 ヤッカを抱えたままのキメイラが、壁のような手に掴み上げられていた。
 防壁から上半身を乗り出した、天を突くような巨人の両手に。
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