癒菌士と抗菌士の旅事情

本書 長光(ほんしょ ながみつ)

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1章 アース神族とアルステア国

第6話 巨人の治癒(2)

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 裂傷を完治させた菌糸が、次に治すべき傷を求めてさまよい始めた。
 菌糸は3メートルくらいしか伸びないけれど、ある程度近くに傷があると今のように勝手な動きをしてしまう。
 最初に胸の穴から出るときだけは、僕の意思が必要だけど。

「おぉ……」

 レベッカさんが感嘆してくれていた。
 地上から聞こえている音も、たぶん同じようなものだと思う。

「次は、間接を治します」

 どす黒く染まった右腕の間接を菌糸がまさぐり、丸みを帯びた先端が扇のようにぶわりと広がっていく。
 これは内蔵や骨折を治すときの形態で、擦過傷や裂傷がある場合は丸い先端が傷口に直接触れて治癒を行う。
 その全てが、生まれつきのもの。
 エドはこれを、癒菌士がもつ本能と呼んでいた。

 間接の痣《あざ》が消え、褐色に。
 恥ずかしい気持ちを忘れたのか、レベッカさんは明るい、嬉しそうな笑顔で右腕を折り畳みーー

「あっ」

 と苦鳴をあげ、顔を歪めた。

「すみません……レベッカさん、まだ動かさないでください。腕だけを見ても、大きな傷がたくさん残っています」

 次は、上腕二頭筋に空いた穴。
 その次は肩の擦過傷。
 ヒビの入った鎖骨、首の深い裂傷。
 膿んだ傷口からは生臭い匂いが漂っているけれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。
 本当なら酷い傷を先に治すべきなんだけれど、傷を前にした菌糸は僕の言うことを聞かず、軽い傷も処置してしまう。
 菌の保有量は有限だから、これは僕の悩みの種。

 右腕と首と胸周りを終えた段階でその兆候はあったけれど、左腕が終わったころには喪失《ロスト》を感じていた。
 菌が少なくなるにつれ、僕たち癒菌士は得も言われぬ喪失感を強めていく。
 喪失感の度合いは激しい。身体機能が低下したわけでもないのに、無気力と脱力感で身体を動かせなくなるほどで……

「ーーだいじょうぶ……?」

 上半身を終えたとき、レベッカさんが初めて声をかけてくれた。
 治るにつれて明るくなる表情だけでじゅうぶんに嬉しかったけど、心配そうに1メートル以上の幅がある瞳で覗き込まれ、少しだけ気力が涌いてきていた。

「はい、大丈夫です……」

 けど、背中をつたう冷たい汗はどうにも止まらない。
 動くことを拒否し始めた身体は体温を失い始め、流れる汗を温めてはくれなかった。

「ひどい汗だ、本当に大丈夫なのか」

「はい、大丈夫です……」

 同じ回答しかできなかった。
 歩くことも気だるく、出来ることならこのまま寝てしまいたい。
 それでも、治療を止めるわけには。
 エドやアシューはどんな事態にも諦めずに立ち向かって、コウセム団を大きくしていったんだからーー

「次、右の太股をお願いします……!」

 太股の裂傷は縦に長く、面積の広い巨人の身体にこれだけの傷を負わせたのは大型の異人に違いなかった。
 しかも、毒をもつ。
 菌糸が爛れた傷口へ伸びていく。
 速度は落ち、琥珀色も薄くなってきている。菌が減ったことの現れだった。

 留まっている毒の中和に時間を要したけれど、どうにか右足の甲までの治癒を終えることができた。

 ただ、僕は経験のない喪失で何もかもがどうでもよくなりかけてーー

「セム!」

 まだ体力が回復しきっていないはずのヤッカが、団旗を咥えて飛翔していた。
 羽ばたきは弱々しくて、いつものように高くは飛べていない。
 それでも応援がすごく嬉しかった。
 深呼吸を繰り返し、声を絞り出す。

「反対側の、脚の、太股まで……」

 左脚の太股の高さまで上げてもらい、菌糸が伸びるのを待とうとしたとき、身体の浮遊感。
 ーーそのあと、世界が回転した。
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