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目的
右腕と黒装束と蒼い瞳
しおりを挟む空腹を少しでも紛らわそうと眠りについた俺を目覚めさせたのは,ケチャップの香りだった。
待ち侘びていた喰い物の匂いに目をカッ開いた。目の前にあったのは,テーブルに載せられた一皿のケチャップライス。その横にスプーンが一本置かれていた。
朝ご飯,なのか?しかし,いつも俺に飯を喰わせようとするベイツの姿は何処にも見当たらなかった。ならば,自分で喰ってやろう。空腹に耐えかねた俺は,右手を伸ばしてスプーンを手に取り……,右手を伸ばして?
そこでようやく気付いた。
驚きのあまり一瞬言葉を失い動く事すら出来なかった。ケチャップライスに釘付けだった視線を右腕へ移す。次の瞬間,思わず呟いていた。
「手錠…,外れてる」
数カ月ぶりだった。自分の右腕を自由に動かせるなんてことは。
「おい…,誰だよお前」
左腕は未だ鎖に繋がれ頭上に上げられたまま,右腕だけでケチャップライスを喰べている俺の前に現れたのは,一人の男だった。スプーンを握り締める。いざという時はこれで応戦を試みよう。酷く心許ないが。
黒装束に身を包んだその男は,懐から二本の短剣を取り出し,両手の内でクルクルと回してみせた。巧みな技だ。流れる様に両手を行き来する短剣がとても優雅に見えた。滑らかさだけで言うなら,貴族達の社交ダンスに引けを取らないだろう。
思わず魅入ってしまったが,こいつは誰なんだ。ベイツはどうしたんだ。ベイツが居るなら,此処に他の人間を入れまいとこの黒ずくめの男を喰い止めるだろう。
だが,すんなりと此処に現れたということは,昨晩の内に,ベイツはやはり魔術師狩りに…,こいつに…,殺された…?
「おおっ…,案外出来るものだね」
ひとしきり短剣を舞わせた男は,アハハと笑い,満足そうに短剣を懐にしまい込んだ。この男,何がしたい?俺を殺しに来たのか?だったら一体なんの為に?ベイツが俺を閉じ込める理由がこいつなのか?
「お前,ベイツはどうした?」
「え?」
意表を突かれたかの様な驚いた顔で男がこちらを見つめてきた。そして,一拍おいて「あ~」と納得したような感嘆の声を上げた。全くもって意味が分からない。
男は再び短剣を取り出し左手の内でひらめかせ,自らの目の前で真一文字に構えた短剣をサッと一直線にスライドさせた。
「殺したよ。バラバラにしてな」
あまりの驚きに目を見開く。だが,それ以上に驚いたのが,奴の思わずゾッとする程に不敵な笑み。さぞかし楽しんで殺したのだろう。その時の事を思い出している様に見えた。
「俺の雇い主からの命令なのさ,魔術師の殲滅は。いやしかし,とんだ間抜けさ,アイツは。俺に勝てると思ったんだろうな。胸に一刺し喰らってたのに,ちょこまか逃げ回りやがって,魔術の一つも使いやしなかった」
歌うような軽快な口調。含み笑いを隠せずに,時折アハハと笑いが漏れた。短剣を手の内で遊ばせながら,さぞかし楽しそうに男は話し続ける。
「俺は身体強化魔術を使える。だから,アイツの背後に一瞬で回り込んで首をかっ切ってやったのさ。魔術師といえど所詮は人間。首ハネ飛ばしちまえばあとは簡単だ。いつもと同じ解体作業。バラバラにして凍結して,砕いて捨てちまうのさ。今頃俺の仲間達がアイツを粉々にしてるだろうさ」
「………,そうか」
突然の事に言葉が出てこなかった。これで,終わったのか?アイツが居なくなった今,俺を此処に留める者は居なくなった。解放されるのか,俺は。
「どうだ?悲しいか,え?」
「いや,嬉しいさ。俺は,アイツにここに囚われ続けて来たんだから。だから,嬉しいんだ」
「嬉しい奴の顔と声色じゃないがな」
「あぁ……,」
上手く感情の整理が付かなかった。それに,一つだけとても引っ掛かる疑問があった。少なくともそれを確かめるまではこのモヤモヤが晴れることは無いだろう。
「なぁ…,聞いてもいいか」
「どうした?」
「お前は,何で此処に来たんだ?」
「何でってそりゃ,お前を解放するためだよ」
男が右手を腰に当てて呆れた様に返した。さも「それが当然だろう?」とでも言う様に。だが,魔術師狩りに雇われた男が,わざわざ魔術師に囚えられていた俺を助けるか?
俺は視線を少し右にずらして,視界の端に捉えていた物に手が届くか確かめた。
……,この距離なら届くか?男の目の前で手を伸ばして確認する勇気は無かった。それ程に俺はこの男を信用できずに居た。
「解放してくれるのか?」
「その通りだ。お前を解放してやるよ」
次の瞬間,男は右手で懐から短剣を取り出し,両手の短剣の先端をこちらへ向けて迫ってきた。
「肉体って牢獄からなぁ!」
「クッソがぁ!!」
俺は右手を伸ばしてラジオを掴み,そのままフルスイングで男へと投げつけた。半ばヤケクソだったが,走り込んできた男は躱す事が出来ずに,
「グハッ!?」
ラジオは見事男の顔へ直撃し,怯んだようで男はその場で立ち止まった。両手の短剣を懐にしまい込み,両手で鼻を押さえている。
ここまでは想定内だ。こうなって欲しくは無かったけれど。そして,ここからが問題だ。
もう俺に抵抗の術は残っていない。スプーンで短剣二本を凌げるとは思えない。一応俺は不老不死だ。恐らくこいつに滅多刺しにされても死にはしないだろう。だが,爪を剥がされた経験から,不老不死だろうと痛いものは痛いと学んだ。
殺されはしないが,永遠に痛めつけられる可能性は大いにある。もしくは不老不死の実験台として王国に売り渡されるかも知れない。そんなのゴメンだ。
仕方なくスプーンを握り締めて男の再起を待っていたが,男は一向に迫って来なくなった。
見ると鼻血が床に垂れていた。咄嗟の策のラジオ投擲はクリーンヒットだった様だ。鼻を擦り呻く男に,最早戦う意志は見られなかった。
まさか,ベイツを殺した男が,この程度で戦意を失うのか?男は片手で鼻を抑えながら,鼻血塗れの手で俺を指差し非難した。
「もぉ~,いくら何でもラジオをぶつけるなんて!酷いじゃないか,アルファ」
「は?てか待て,お前,何で俺の名前を」
「もう面倒くさいから終わりにしよっか。めちゃくちゃ痛いし!!」
男は空いている手で前髪を掻き上げ,見せ付けるように目をカッと見開いた。茶色がかった黒の瞳。その内の片一方。右眼が,にわかに色を変え始めた。
その色を俺は知っていた。この数カ月嫌という程見てきた。吸い込まれてしまいそうな程に深い,まるで深海のような深い蒼。
変色したその瞳は,ベイツの瞳と同じ色をしていた。
「やぁやぁ、ミスター・プリゾナー。ケチャップライスは美味しかったかい?」
そこに居たのは紛れも無く,姿形こそ違えど,
ベイツその人だった。
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