魔術師と不死の男

井傘 歩

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サイドストーリー(という名の補完)

折れた短剣と観測者

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大通りから外れた裏路地の一角,優雅なクラシックの流れるバーの隅に,その男は居た。

所々破れ焦げているみすぼらしい黒衣を羽織った男の前には,随分前に頼んだのに一向に口を付けていない,氷が解け切ってしまったオン・ザ・ロックスのウイスキー。大して好みでもないのに勧められるままに頼んでしまったカシューナッツも,2つほど食べたっきりだった。

かれこれ二時間近くカウンターに座り続け,ただ手元の短剣を見つめているだけ。しかもその短剣には刃が無く,鍔と柄だけのそれを見つめ続ける姿は正しく「心ここに在らず」といった感じであった。

元より人で賑わう事の無い閑静なバーの中は,老齢のマスターと男の2人っきり。

トークや酒を楽しむ訳でもなく,ただ居座り続けるだけの男に不信感と気まずさを隠しきれないマスターが,ソワソワしながらまた何度目かの在庫確認に行こうとしたその時,バーのドアが開く音がした。

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

やって来たのは真っ白いスーツに身を包んだ,あたかも真っ当な生き方をしてきたといった感じの男で,加えて整った顔立ちと185はあろう高身長を備えている。

カーキ色の短髪をワックスでガチガチに固めてオールバックにしており,店内を見回す琥珀色の双眸には強い光が宿っていた。

文句無しのナイスガイだが,唯一奇妙な点を挙げるなら,スーツの胸ポケットにサングラスを2つ入れている所だ。しかし,そんなものは気にならなかった。

裏路地には滅多にやって来ないタイプの客ではあるが,何はともあれようやく二人きりの気不味い雰囲気から解放される事に,マスターは内心ホッと胸を撫で下ろした。

スーツの男は黒衣の男の隣に座り,やんわりとした,柔和な笑顔でマスターに聞いた。しっかりとしてそうな風貌には似つかない,人懐っこそうな雰囲気だった。

「甘いお酒ってありますか?僕,あまりお酒に詳しくなくて」

マスターは予想外のギャップに目を丸くしながら,何とか違和感の無いように言葉を紡ぐ。

「え,ええ。でしたら,ファジーネーブルなんてどうでしょうか。桃の果実酒にオレンジジュースを混ぜたものになりますが」

「じゃあ,それをお願いします。僕と,彼に」

そう言いながら白スーツの男は,真隣の男をゆびさした。それを聞いたマスターはまた目を丸くさせられたし,された黒衣の男も,白スーツの男へ目を向けた。

訝しげに見つめてくる黒衣の男と目を合わせた白スーツの男は,不思議そうに首を傾げながら

「あれ,甘いお酒は得意ではなかったですか?」

と聞いた。黒衣の男は暫し黙り込んで白スーツの男を見つめていたが,ニンマリと笑いながらかぶりをふって

「いいや。奢ってくれるんならありがたく頂くぜ」

「という事で。2人分,お願いしますよマスター」

「かしこまりました」

マスターがピーチリキュールを取りにカウンターの奥へ姿を消すのを見届けると,白スーツの男はまた黒衣の男へ話し掛けた。

「このお店,良い雰囲気ですね。いつもここで飲まれるんですか?」

再び手元の短剣へと目を向けていた黒衣の男の顔には先程の笑顔はどこにも見当たらず,返事はおろか身振り手振りでの応答すらしなかったが,白スーツの男は彼の反応を意に介さず話し続けた。

「僕,普段はお酒を飲んだりはしないんです。でも,今日は何だか一杯引っ掛けたくなってしまって。仕事続きでストレスが溜まっていたのかも知れませんね」

「そういえば,王国の『悪魔狩り』も,新たな魔術皇との交渉によって終わりを迎えそうですね。何はともあれ物騒な事が無くなったのは結構ですが,一国民いちこくみんとしての生活には大して変わりはありませんね」

「貴方はどうです?何やら,ずっと浮かない顔をされてますが,貴方も何か嫌な事があったのですか?ねぇ,フィガロス・レヴィン」

ガタッと黒衣の男が慌しく立ち上がり,白スーツの男へ向けて短剣を構える。しかし,刃の無いお飾りの短剣では,白スーツの男が怯える筈もない。

席に座ったまま微笑む男に,黒衣の男。フィガロスは何とか平静を保ちながら問うた。短剣を握るその手が僅かに震えていた。

「お前…,何者だ?」

「貴方は確か,かの新魔術皇と戦った事があるそうですね?100人を越える王国兵と魔力無効化装置『ナルタス』で護られたアルドラド要塞を単独で奪還した,あの化物と」

「俺が戦ったのは覚醒する前だ。完全に魔力を解放したアイツなら,俺なんて5秒も掛からずに捻り潰せるだろうさ」

「僕としては,どの時点でも差し支えありません。新魔術皇と戦った時の記憶は,まだ残っていますか?彼がどんな魔術を使い,どんな戦い方をしたのか」

「覚えてるさ,吐き気がする程鮮明にな。それより俺の質問に答えろ。お前は誰だ,何故俺がアイツと戦った事を知っている?」

「僕はホワイト。あくまでコードネームですけどね。僕はずっと,新魔術皇を。アルファリウスを『観測続けてきた』のです。勿論,君がオルバイトことミディールに雇われた殺し屋だった事も『観測て』いますよ」

「…みていた?どういう意味だ」

「まぁ,百聞は一見にしかず。コレを」

言いながら胸元のサングラスを差し出して来た。一見何の変哲もない普通のサングラスだが,コレに何か秘密でもあるというのか。

「付ければいいのか?」

「えぇ。そうすれば,僕の話を少しは分かって貰えると思いますよ」

何かの罠か?そう疑いもしたが,今更失うものなど,この身には何一つありはしなかった。何が起きようと,例えここで死ぬとしても,全て受け入れてやろう。

「分かった。よこせ」

サングラスを受け取り,身に着けてみる。しかし,視界がサングラスのせいで薄暗くなっただけで,何かが起きたような感覚は一切無い。

ホワイトの方を向くと,奴は口元に手を当て,何事か考えながら,はたまた探し物をしているかの様にキョロキョロしていた。

奴の動きの意味を図りかねていると,ピーチリキュールのボトルを持ったマスターが,怪訝そうな顔で俺達を見ながら帰って来た。

そりゃそうだ。2時間近く居座って男がサングラスを付けて,今さっき来たもう1人がキョロキョロしてたら誰しもが不思議だと思うだろう。俺も思う。

ホワイトが戻って来たマスターを見て,目を見開いて頷いた。

「マスター。悪いんですけど,カウンターの下で指を立ててくれませんか。何本でも構わない。僕達から見えない様にして下さい」

「は,はい」

ますます状況が掴めなくなったマスターは,取り敢えずピーチリキュールをカウンターに置いて,そっと身を屈めてカウンターの下へ手を伸ばした。

「…はい。指を立てさせて頂きました」

「ありがとう,マスター。少しだけそのままで居てくれますか?」

「かしこまりました」

「お待たせしました,Mr。大体で良いので,カウンター下のマスターの手がある場所へ目線を送って下さい」

言われたままにマスターの方を見る。相変わらずオドオドした彼の手の辺りを見た途端に,突如目の内に眩い閃光が迸った。

「ッ,なんだ!?」

咄嗟にサングラスを外そうと手を掛けるも,その手をホワイトらしき手に強く掴まれる。

「何しやがる!」

「大丈夫。すぐに収まります」

その言葉が終わるが早いか,閃光が眼前から消え去った。強い光に暫し視界がぼやけると思ったが,そんな事は無かった。

代わりに俺は見た。驚くべきものを。いや,これこそがホワイトの言っていた『観測る』という事なのか。

「これは…どういうことだ?」

カウンター下のマスターの手が見えていた。
人差し指と中指。ピースの形をしたマスターの手が,カウンターを透かして見えているのだ。

サングラスをずらして見てみると,マスターの手は見えなくなった。サングラスを付けている時だけ,いわゆる透視が出来るようだった。

驚きながらマスターの手を眺める俺に,ニヤついたホワイトが声を掛ける。

「どうです?面白いでしょう」

「コイツは…魔術か何かなのか?サングラスを魔術具にするタイプの…」

「いいえ。サングラスを媒介にしているのは正解ですが,この透視能力は,です。魔術ではありません」

「なんだと…?」

ホワイトが立ち上がり,俺と向き合った。

「Mr.フィガロス。単刀直入に申し上げましょう。僕達は新魔術皇,に生まれた特殊な存在。ですから,彼と戦った事のある貴方にご助力願いたいのです」

俺の顔からサングラスを取り去ったホワイトは,相変わらず貼り付けたような笑顔だった。

しかし,眼だけは笑っていなかった。琥珀色のその目の奥に,さっき瞬いた閃光が見えた気がした。

それに見惚れたのか。それとも,コイツと一緒に居れば,忘れ難い好敵手と再び邂逅出来るかも知れないと思ったのか。

アルファリウスに大敗を喫して以来落ち込み続けていた心に,真っ赤な炎が灯された気がした。

「いいぜ。やってやる」

俺は頷いていた。

「そう言って頂けると思ってました…フフフ」

「ハッ…,ハハハハハ」

満面の笑みで高らかに笑い始めた俺たちに,もう何が何だか分からないマスターは,静かにファジーネーブルを作り始めていた。

案外悪くない味だった。
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