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筆で頬を撫でられるのはワルクナイ
しおりを挟む俺の母は、家のアトリエで絵画教室を開いている。
初心者向けに子供から大人まで幅広く。
芸術とは縁遠く、工業高校に通う俺は、でも、幼いころに絵画の基本を習ったし、バイト代をはずむというから、日曜日の教室を手伝っていた。
日曜は午前に子供、午後に大人の生徒の相手をする。
子供は物心ついたのから、俺くらいまでいて、にぎやかしかったが、大人は四十オーバーばかり。
四十から七十までと、子供より年齢差はあっても、全体的に渋みがあって、寺で写経をしているような雰囲気。
そのなかで、二十代半ばとバツグンに若いのが、椎名さんだ。
絵画を習いたいにしても、もっと若い人向けのオシャレなところがあるだろうに・・・。
と首をひねるところだが、余生の趣味をタノシムご老人たちに混じっても違和感なくなじんでいる。
礼儀正しくおっとりしているに「落ちついてて、いい子」と好評で、俺の母やご高齢の生徒さんは、ヨケイな詮索をせず、あたたかく見守って、日曜午後の教室は至って平和。
まあ、俺は「すこし大人で親しみやすい、いい人」とは思いきれなかったけど。
真面目に絵画を習いつつ、椎名さんは筆マニア。
いろいろな筆を試すのに、自由度の高い母の教室は都合がよかったのだろう。
それはいいとして。
具合をタシカメルため、筆で俺の頬を撫でるのは、いかがなものか。
筆マニアの椎名さんがコレクションしたいのは、新品ではない。
彼基準の、ちょうどいい加減にイタんだ筆が欲しいとのこと。
で、筆のイタミ具合のヨシアシを判断するのに、俺の頬を撫でると。
いや、説明されてもワケが分からなかったが、まあ、「俺の体を弄ばないで!」と喚くほどイヤではないし、筆で頬を撫でている間、オモシロい話をしてくれるので、いいかと。
工業高校に通う身としては、技術者の椎名さんの語りは興味深く貴重だったし。
まわりもほほ笑ましそうに眺めるだけで、口だしせず。
「若い男が二人、無邪気に子供みたいな遊びしているの、目の保養になるわあ」と母は大喜びだし。
ただ、その日の椎名さんは、いつもとチガッた。
「筆で撫でられるの、気もちいい?」と聞いてきたのだ。
そりゃあ、はじめは「筆で頬を撫でていい?」と理由を明かして、ことわってきたが、そのあとはコチラの心境を問うことはなかった。
俺もあーだこーだ云わず、されるがまま、
今やもう、すっかり慣れてしまったから、あらためて質問されて、声をつまらせてしまい。
我ながらクソまじめに「気もちいいのか?」と自問していると、筆がすべって耳に。
耳のふちを撫でられて、ぎょっとし、椅子をガタリ。
耳を手で押さえて退いたのに、椎名さんは爽やかに笑ったまま。
でも、どこか遠い目をしているような。
ヒツヨウな用具をとりに、母は不在。
ほかの生徒さんは、教えてもらったばかりの技法を試すのに没頭。
子供の戯れの域を超えたように思う行為。
俺だけが心拍数をあげて、まわりは知らぬ存ぜず。
椎名さんにしろ、ナニゴトもなかったように、顔色を変えなければ一言もなく、紙に向かって、その筆を走らせだしだ。
翌週「椎名さん、急な転勤とかで、辞めちゃった」と母から報告がされて。
ぶっちゃけ、寂しいとか、ツマラナイとか、心に穴が開いたようだとか、名残惜しく思わなかったけど。
生徒さんが帰っての、がらんどうのアトリエ。
椎名さんが忘れていった一本の筆を、自分の頬に当てて滑らせてみた。
気もちいいわけでなく、不快でもなく、ただ、なにかがチガウ。
耳を撫でても、あのとき背中に走った悪寒はせず。
筆を遠ざけ、しげしげと見たものの、ため息を吐いたなら、放り投げた。
すこしクヤシイ気もするが「なにかがチガウ」と思うのは、すこし未練なのかもしれない。
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