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蛙
二
しおりを挟む太陽が空の真上まで登った。
山の中を通り、水が湧き出るところを見つけたので、庄右衛門は顔を洗い、瓢箪に水を入れ直した。
栓をしながら振り向くと、雪丸が目元を赤くしてむくれている。
「頼むから機嫌直してくれ……」
庄右衛門がため息を吐くと、
「じゃあ一緒に旅しようよ……」
と言われた。
もう何順目だろう。雪丸はなかなか庄右衛門を諦めない。
そして、庄右衛門も雪丸に着いていくと絶対言わない。
「もしかして、人ならざるものが怖い以外に何か理由でもあるの?」
雪丸が問うと、庄右衛門の顔が段々と苦味を帯びていく。
「ある」
「何?」
「話さない」
「言ってよ!話してくれたら、何か解決するかもしれないじゃないか!」
雪丸がくっ付く勢いで近寄ってきた。庄右衛門は雪丸のこの距離感が苦手だ。
と、雪丸がニィッと口の端を上げた。
「あ、もしかして、私がいるとあの助平な絵を描けないから困るのかな?」
庄右衛門がええ…、と嫌そうな顔で見ると、雪丸は違うなら良いんだけど、と揶揄うように言った。
「あーんな絵を描いておいて、そんな事気にするんだ?もっと豪胆な人だと思ってたよ。
絵を描いている間だけ私は別のところにいても良いし、対策が取れないわけじゃないでしょ?」
庄右衛門は暫く黙っていたが、雪丸はそうなの?違うでしょ?どうなの?と顔を覗き込んでニヤニヤしている。
すると、庄右衛門が突然雪丸の両肩を掴んだ。
雪丸が驚いて見上げると、庄右衛門は歯を剥き出してニヤりと笑った。
「おお、そうとも。生きるためとはいえ、何枚も何十枚も春画描いてるとな、だいぶ溜まってくるんだ。
今も抜きたくて抜きたくてしょうがねえ」
「へ…っ?」
雪丸が間抜けな声を上げて、慌てて逃げ出そうとする。
しかし、五尺七寸(174cm)もある筋肉ダルマから逃げられる訳もなく、雪丸の華奢な体はあっという間に庄右衛門の大きな胸板に抱き締められてしまった。
「…‼︎」
何が起きたのかわからず、逃げたいという意思と関係なく体が硬直してしまった。
妙な汗をかいていると、耳元で庄右衛門の低い声が聞こえる。
「流石に突然現れたお前を、獣みたいに好き勝手に犯すわけにはいかんだろう。だから何度も何度も旅に行かないと断ってやった。
世間知らずのお前が見ず知らずの男とこういう事にならないように、忠告として突き放していたのになあ?
逃げなかったお前のせいだ。引き際を知らんとこうなるぞ」
庄右衛門はそのまま雪丸の耳元、首元に軽く唇を這わせた。
雪丸の体がビクンと揺れ、段々小刻みに震え出した。怖いのだろう。
大きなゴツゴツとした手を、雪丸の小さな尻に向かって這わした。あまりのことに、雪丸は頭の先から足の先まで真っ赤になっていく。
「お前くらい若くて美しいと、男でも女でもどちらでも構やしねえな」
庄右衛門が意地の悪い笑みを浮かべながら顔を撫でてきた。
先程までと顔つきが違う。熱に浮かされたような、獣のような…本当に喰われてしまいそうだ。
雪丸の心拍数が急上昇し、段々息が上がってきた。
「望み通り旅に着いていってやる。だが春画を描くごとに、俺が満足するまで相手してもらおうか」
庄右衛門が雪丸に腰を押し付けてきた。
雪丸は思わずヒィと息を呑む。
太ももの付け根にグリグリと当たる、硬いモノは、まさか…。
「うわぁああー‼︎」
雪丸は精一杯庄右衛門を突き飛ばし、一目散に逃げていった。
かなりの俊足なので、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
庄右衛門は暫く尻餅をついた体制で座っていたが、やがてよっこらせと立ち上がった。
(これくらい脅かしておけば、二度と顔を出さないだろう……)
口をゴシゴシと拭きながら、腰元に隠し持っているクナイを取り出した。
先程雪丸が「何か」と勘違いした硬いものは、クナイの柄だった。
(しかし……)
先程は雪丸の言葉を利用し、あんな痴漢めいた脅しをしてしまった。
雪丸の髪や、滑らかな肌、体温、甘い匂い…手には、恐怖と驚きに満ちた雪丸の体の震えが、生々しく残っていた。
「……」
なんとなく胸糞が悪くなってきたので、忘れようと頭を振った。
一人で放浪しなければならない理由の為に、芝居を打ってまで雪丸を追い出したのだ。
気持ちを切り替えなければ…。
庄右衛門は、もう少し先まで山の中に向かうことにした。
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