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蛙
一
しおりを挟む日が上り始め、澄んだ空気が森を包み始めた。
庄右衛門がゆっくり目を覚ますと、大蛇と戦った痕跡やら倒された木やらが目に入り、昨夜のことが夢では無かったのだと実感した。
(とんでもねぇ話だ……)
庄右衛門が上体を起こすと、太ももに重みを感じた。
見ると、昨夜助太刀してくれた少年・雪丸が、庄右衛門の太ももを枕にして眠りこけている。
美しい顔が、子供のようにあどけなくなって、可愛らしさまで出ている。
…が、庄右衛門には全く関係なかった。
「どこで寝てやがる‼︎」
首根っこを掴んで噛み付かんばかりに怒鳴ると、雪丸は驚いて目を覚ました。
「なんだよ、ビックリしたなぁ……!せっかく寝心地が良かったのに!」
「図々しい奴……!」
庄右衛門は呆れて手を離すと、さっさと散らばった荷物をまとめ始めた。
そしてすぐに立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと!どこ行くの⁉︎」
「どこ行こうが勝手だろうが!」
雪丸が慌てて付いて行こうとすると、ギロリと睨み付けてきた。
雪丸は気圧されて一瞬黙るも、
「私と一緒に旅してくれるんじゃなかったのか?」
と残念そうな顔で見上げてくる。
「一言も行くなんて言ってねえよ。
付いて行って毎回あんな化け物に遭遇するハメになるなんて絶対に嫌だね!」
庄右衛門が唸ると、雪丸はむくれ始めた。
「何だよ……、昨夜、あの後気が抜けたのか眠かったのか知らないけど、そのまま倒れ込んだ庄右衛門を看病したのに。
また別の化け物が襲ってきても大丈夫なように、側についててあげたのに」
言われてみれば……。
庄右衛門が横になっていた場所には、水で湿らせた手拭いが落ちているし、自分を枕にしていたものの、その大きな刀を抱きしめていつでも動ける体制で寝ていた気がする。
「庄右衛門が心配だったし、一緒に来てほしかったから、頑張ったのになぁ…。」
下から大きな綺麗な目をウルウルさせて覗き込まれると、段々居心地が悪くなってきた。
やがて庄右衛門は視線を外して額を掻くと、
「わかった…腹ごしらえするまでは一緒に行ってやるから。礼に何か奢る。」
とため息を吐いた。
旅に着いていく、と言ってくれなかったものの、雪丸は嬉しそうに頷いた。
一刻歩いたところで、森を抜けて田畑が見えて来た。
ここが後日戦場になるのだろう。
せっかく育てた稲をもほっぽって、農民たちはどこかへ避難したようだ。
代わりに、ここを通過する兵士たちを目当てに、いくつかの屋台が立っている。庄右衛門がそのうちの一つに、今やっているかと声をかけると、屋台の店主は気前よく屋台を開けた。
「とろろ汁と麦飯、味噌汁を二人前」
庄右衛門が頼むと、店主はすぐに持ってきてくれた。
簡単に拵えてある机と椅子に腰掛け、手を合わせから、庄右衛門はとろろ汁を麦飯にかけて掻っ込んでいると、雪丸が庄右衛門と、麦飯ととろろ汁を交互に見つめている。
「なんだ?食わねえのか?」
「いや、食べるけど、……初めて見たんだ。その白いやつをかけて食べるんだね」
雪丸は庄右衛門に倣ってとろろ汁を麦飯にかけて、恐る恐る一口食べた。
すると、わかりやすく顔が輝き、夢中で食べ始めた。
(とろろ食べたことねえ奴なんているのか……)
雪丸の肌艶が健康的であることや、身につけている着物の質がかなり良いことから、もっと良いものを食べている世間知らずな身分の人間なのかもしれないな、と一人納得する庄右衛門だった。
「美味しいなあ。やっぱり旅のご飯は誰かと一緒に、が一番だね!」
雪丸が口の端に麦飯を付けながら人懐っこく笑いかけるも、
「今回が最初で最後だがな」
と庄右衛門は素っ気なく味噌汁を啜った。
雪丸がしゅんとする。
「そんなこと言わないでよ……。良いじゃないか。人ならざるものの絵を描いてくれるだけなんだから。一緒に行こうよ」
「だから、俺を巻き込むな!」
庄右衛門はウンザリしたように低く唸った。
「お前の魂胆はわかってんだよ。
まだ自分で退魔できないから、俺に封印させて、その刀の力を引き出すための時間稼ぎしようってんだろ」
図星だったようで、雪丸の真っ直ぐな瞳がゆっくりと横に泳ぎ出した。庄右衛門は鼻をフン、と鳴らした。
「冗談じゃねえぞ。大体俺はただの絵描きだ。昨日まで封印の力なんて知らなかったし、これからも使いこなせるかわからんし、第一に、絵を描くためには化け物の姿を隅から隅まで観察せにゃならん。危険極まりないわ!」
「だ、だから、私の刀である程度は足止め出来るから、危険じゃないって!大丈夫だって!」
雪丸が困り果てた顔をした。
「頼むよ。私じゃ退魔ができないんだ。だからこそ庄右衛門の封印の力を貸して欲しいんだよ。
絶対危ない目に合わせないって約束するから!」
「……」
確かに、昨晩の剣術の腕前を見れば、雪丸は相当強いので、庄右衛門を守り抜くことは可能だろう。
しかし、だ。
自分よりも若く、小柄で細身な雪丸に守られるのは、長年忍びとして戦ってきた身としてはこれ以上情けないものはない。
しかしそんなみみっちいことを正直に話す気にもなれず、なんと断ろうか悩み始めるが、ふと思いついた。
(待てよ、こいつが欲しがっているのは俺の封印する力だよな)
つまり、力の出どころが庄右衛門の持ち歩く絵筆にあるなら、それを雪丸に譲ってしまうのもアリかもしれない。
「俺は行かねえから、お前が代わりにこれで封印すれば良いんじゃねえか?」
そう言って、庄右衛門は荷物から一つの袋を取り出した。
紐を解いて広げると、様々な種類の絵筆がゾロリと入っていた。一つ一つに庄右衛門の名が刻まれている。
雪丸は一瞬、豊富な絵筆に素直に感心してしまったが、だんだん困惑したように庄右衛門を見た。
庄右衛門は思い入れがあるような優しい目で、筆の一つをソッと撫でた。
「この筆たちは俺が若い頃から少しずつ増やしてきたもんだ。手渡すのは惜しいが、お前なら使いこなせるだろ。
封印の力とかそういうのは、もしかしたらこの中の筆に宿っているのかもしれねえ。お前が使ってやってくれ」
「い、いや……」
ん?と庄右衛門が目を上げると、雪丸の顔が引き攣っている。
「わ、私は刀の力を引き出すのに集中したいし、その力は、庄右衛門しか使えないんじゃないかな!
ほら、道具には魂が宿るって言うだろ?その筆たちも、庄右衛門に使って欲しがってるに決まってるよ!」
「そんなことねえよ。この筆たちはどんな人間にも素直に応じてくれるはずだ。試しに紙に書いてみろ、ほら」
庄右衛門が細筆を一本、雪丸の手に握らせた。
硯で墨を擦っている間、雪丸は、えー…、でも…、とモゴモゴぶつぶつ言っている。
「試しにウサギでも描いてみろ。簡単だからよ」
雪丸は目に見えて嫌がっているのだが、庄右衛門は有無を言わさず促した。
雪丸は暫く躊躇していたが、やがて諦めたように描き出した。これで雪丸が筆を持って行き、別々に旅ができれば良いのだが…。
「できたよ……」
しょぼくれた雪丸が紙を差し出してきた。
頭に何かが三~四本も生えた鹿のような物が、ヨレヨレの線で描かれていた。
「……わざとか?」
「ひ、酷い!」
庄右衛門が呟くと、雪丸の顔がカーッと高揚した。
「そうだよ、どうせ私は絵がど下手くそだよ!それでも頑張って描いたのに、わざとだなんて!
そうだよね、庄右衛門はあんなに上手に助平な絵をわんさか描ける人だもんね!絵が描けない私の気持ちなんてわからないよね!」
大声で捲し立てた後、綺麗な目にみるみるうちに涙が溜まったかと思うと、大きな粒となってぼろぼろと溢れ落ち、泣き出した。
よほど傷ついたようだ。庄右衛門は慌てて宥める。
「悪い、こんなに下手くそな奴がいるとは知らなかったんだ!
でもまあ、味があって…良いんじゃないか?この、耳か?ツノか?が沢山描いてあって強そうな所とか、目が魚みたいに死んでる所とか」
「それで慰めてるつもりだとしたら、あんた最低だな!」
しゃくり上げながら雪丸は机に突っ伏してしまった。
店主や通りすがりの者たちの目線が痛くなったので、庄右衛門はそそくさと勘定し、雪丸を引きずるようにして立ち去った。
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