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小粟旬太郎の供述
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私たち三人は早速、昨日最初にドグラ・マグラを手に取った小粟くんが所属する法学部、その関連施設が収められている法学部棟にやってきた。
先にLINEで連絡をとり、法学部棟で待っているという返答をもらっていたのだが、文学部の梨子ちゃんと経済学部の心美ちゃん、そして教育学部の私にとって、法学部棟はほとんど未知の領域である。どこをどう行ったらいいのか、もう一度LINEで聞いてみようかと話していると、
「あ~れ? 小雨ちゃんと心美ちゃんじゃん。どうしたの、こんなところで」
と声を掛けてきた男が一人。法学部に所属する、四年の永井先輩である。長身でソース顔のチャラ男。文芸部員ではないのだが、私と心美ちゃんは個人的に少々彼と面識がある。その経緯については、話せばこれまた長くなるのでここでは割愛させていただく。
「あ、どうも」
「こんにちは、永井さん」
挨拶が雑なほうが私で、丁寧なほうが心美ちゃんである。
「そっちの子は?」
「ああ、この子は文芸部の部長で、二年の堀江梨子ちゃんです。永井先輩は初対面でしたっけ?」
「うん、初めましてだね。へえ、心美ちゃんが文芸部に入ったってのは知ってたけど、その部長さんもこんなにカワイ子ちゃんだったとはね」
「あはは、どーもどーも、よく言われるっちゃ」
梨子ちゃんの辞書に謙遜という言葉はない。
「んで、お三方はどうして法学部棟に?」
「実は……」
かくかくしかじか、と事情を話すと、
「ああ、二年の小粟だろ? 知ってる知ってる。多分まだ中にいるはずだから、案内してやるよ」
永井先輩はそう言って、私たちを法学部棟へ招き入れてくれたのだ。
「あ、ほら。そこそこ」
法学部棟のロビー、永井先輩が指差す先で、小粟くんは椅子に座り、白い紙コップで何かを飲みながらスマホをいじっていた。
「おおっ。ほんとだ。先輩、ありがとうございました」
「いやいや、いいってことよ。そんじゃあね」
私が礼を述べると、永井先輩は軽く手を上げ、颯爽とその場を後にした。梨子ちゃんは早速小粟くんに声を掛ける。
「小粟くん、ちょっと今よか?」
「ん……あれ、梨子ちゃんじゃん。どうしてここに? もしかして、俺に会いに来た?」
小粟くんはそう言ってニヤリと笑った。茶髪ショートの前髪アシメ。中途半端にイケメンな若手芸人っぽい風貌で、見た目どおり、言動が極めて軽いタイプである。
彼は梨子ちゃん目当てで文芸部に入った男子層の典型例で、そもそもあまり読書家ではない。だから、蔵書管理ノートに彼の名前があったことは、少なからず驚きであった。普段あまり本を読まない彼が、よりによってこの『ドグラ・マグラ』を手に取ったというのだから。
私たち三人は、その場で小粟くんに対する事情聴取を開始した。コーヒーの染みがついたチャカポコページを開いて見せると、彼は、あらまあ、と心の篭もらない素っ気ない反応を見せた。こいつ、この本の価値をわかってないのか?
「うちが一昨日の夕方見たときは、こんな汚れ、ついてなかったっちゃ。そんで、今日はまだ誰も読んでない。やけん、このコーヒーの痕をつけたのは、昨日これを読んだ三人のうちの誰かっちうことになるんやけど、小粟くんはどうね?」
「え、俺? 俺を疑ってるの? 違う違う、俺じゃないよ。だってさ、そもそも、俺は昨日そこまで読んでないもん」
「読んでない……?」
「うん。梨子ちゃんがメッチャ薦めてたから、最初の方だけちょこっと読んでみたんだけどさ、言葉が難しくて読みづらいし、なんか文章も気味が悪くて、すぐにやめちゃったんだよ」
はあ、このおどろおどろしさが理解できぬとは、文芸部にあるまじき白痴ぶり。しかし、本と言ってもクソみたいなラノベしか読んだことのない層の読解力は、所詮こんなものである。部員数が急激に膨れ上がった弊害とでも言おうか、こういう奴は何も小粟くんだけではない。
「そこまで読んですらいないんだから、そのページにコーヒーなんか零しようがないでしょ? そもそも俺、昨日部室のコーヒー飲んでないし」
不服そうに口を尖らせる小粟くんに、心美ちゃんが尋ねる。
「念のためお聞きしますが、小粟先輩がこの本を手に取った時、どこか他の部分がコーヒーで汚れたような形跡はありませんでしたか?」
「ないない。綺麗なもんだったよ。中身のことまではわからないけどね、少なくとも外側は全然汚れてなかった」
彼から聞き出せるのはここまでだろうか。事情聴取に協力してくれた礼を小粟くんに述べると彼は、
「礼なんかいいからさ、代わりに今度二人で遊びに行こうよ」
と梨子ちゃんを誘ったが、梨子ちゃんは、
「はいはい、そのうち」
とつれない返事だった。梨子ちゃんは外見こそギャルっぽくて尻軽そうに見えるかもしれないけど、実はチャラ男が大の苦手。真面目で不器用で嘘がつけないタイプが好みなのである。
ああ、私もそんな人を好きになればよかったなあ。いや、昔のあいつは確かに……。などと栓なきことを考えながら、私は法学部棟を後にした。
先にLINEで連絡をとり、法学部棟で待っているという返答をもらっていたのだが、文学部の梨子ちゃんと経済学部の心美ちゃん、そして教育学部の私にとって、法学部棟はほとんど未知の領域である。どこをどう行ったらいいのか、もう一度LINEで聞いてみようかと話していると、
「あ~れ? 小雨ちゃんと心美ちゃんじゃん。どうしたの、こんなところで」
と声を掛けてきた男が一人。法学部に所属する、四年の永井先輩である。長身でソース顔のチャラ男。文芸部員ではないのだが、私と心美ちゃんは個人的に少々彼と面識がある。その経緯については、話せばこれまた長くなるのでここでは割愛させていただく。
「あ、どうも」
「こんにちは、永井さん」
挨拶が雑なほうが私で、丁寧なほうが心美ちゃんである。
「そっちの子は?」
「ああ、この子は文芸部の部長で、二年の堀江梨子ちゃんです。永井先輩は初対面でしたっけ?」
「うん、初めましてだね。へえ、心美ちゃんが文芸部に入ったってのは知ってたけど、その部長さんもこんなにカワイ子ちゃんだったとはね」
「あはは、どーもどーも、よく言われるっちゃ」
梨子ちゃんの辞書に謙遜という言葉はない。
「んで、お三方はどうして法学部棟に?」
「実は……」
かくかくしかじか、と事情を話すと、
「ああ、二年の小粟だろ? 知ってる知ってる。多分まだ中にいるはずだから、案内してやるよ」
永井先輩はそう言って、私たちを法学部棟へ招き入れてくれたのだ。
「あ、ほら。そこそこ」
法学部棟のロビー、永井先輩が指差す先で、小粟くんは椅子に座り、白い紙コップで何かを飲みながらスマホをいじっていた。
「おおっ。ほんとだ。先輩、ありがとうございました」
「いやいや、いいってことよ。そんじゃあね」
私が礼を述べると、永井先輩は軽く手を上げ、颯爽とその場を後にした。梨子ちゃんは早速小粟くんに声を掛ける。
「小粟くん、ちょっと今よか?」
「ん……あれ、梨子ちゃんじゃん。どうしてここに? もしかして、俺に会いに来た?」
小粟くんはそう言ってニヤリと笑った。茶髪ショートの前髪アシメ。中途半端にイケメンな若手芸人っぽい風貌で、見た目どおり、言動が極めて軽いタイプである。
彼は梨子ちゃん目当てで文芸部に入った男子層の典型例で、そもそもあまり読書家ではない。だから、蔵書管理ノートに彼の名前があったことは、少なからず驚きであった。普段あまり本を読まない彼が、よりによってこの『ドグラ・マグラ』を手に取ったというのだから。
私たち三人は、その場で小粟くんに対する事情聴取を開始した。コーヒーの染みがついたチャカポコページを開いて見せると、彼は、あらまあ、と心の篭もらない素っ気ない反応を見せた。こいつ、この本の価値をわかってないのか?
「うちが一昨日の夕方見たときは、こんな汚れ、ついてなかったっちゃ。そんで、今日はまだ誰も読んでない。やけん、このコーヒーの痕をつけたのは、昨日これを読んだ三人のうちの誰かっちうことになるんやけど、小粟くんはどうね?」
「え、俺? 俺を疑ってるの? 違う違う、俺じゃないよ。だってさ、そもそも、俺は昨日そこまで読んでないもん」
「読んでない……?」
「うん。梨子ちゃんがメッチャ薦めてたから、最初の方だけちょこっと読んでみたんだけどさ、言葉が難しくて読みづらいし、なんか文章も気味が悪くて、すぐにやめちゃったんだよ」
はあ、このおどろおどろしさが理解できぬとは、文芸部にあるまじき白痴ぶり。しかし、本と言ってもクソみたいなラノベしか読んだことのない層の読解力は、所詮こんなものである。部員数が急激に膨れ上がった弊害とでも言おうか、こういう奴は何も小粟くんだけではない。
「そこまで読んですらいないんだから、そのページにコーヒーなんか零しようがないでしょ? そもそも俺、昨日部室のコーヒー飲んでないし」
不服そうに口を尖らせる小粟くんに、心美ちゃんが尋ねる。
「念のためお聞きしますが、小粟先輩がこの本を手に取った時、どこか他の部分がコーヒーで汚れたような形跡はありませんでしたか?」
「ないない。綺麗なもんだったよ。中身のことまではわからないけどね、少なくとも外側は全然汚れてなかった」
彼から聞き出せるのはここまでだろうか。事情聴取に協力してくれた礼を小粟くんに述べると彼は、
「礼なんかいいからさ、代わりに今度二人で遊びに行こうよ」
と梨子ちゃんを誘ったが、梨子ちゃんは、
「はいはい、そのうち」
とつれない返事だった。梨子ちゃんは外見こそギャルっぽくて尻軽そうに見えるかもしれないけど、実はチャラ男が大の苦手。真面目で不器用で嘘がつけないタイプが好みなのである。
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