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アンダンテ ジャンル:ミステリ
プロローグ 瞬
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登場人物
瀬名瞬……A大学一年。
京谷小雨……A大学一年。瞬の幼馴染
西野園真紀……A大学一年。小雨の親友。二重人格。
袴田吉雄……A大学三年。瞬のサークルの先輩
袴田心美……高校二年生。吉雄の妹
袴田繁幸……吉雄の父
袴田良子……吉雄の母
吉川忠司……使用人
吉川景子……使用人。忠司の妻
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!
縦ロールって、バネみたいだな。
左隣に座った真紀のくるくると巻かれた髪が、車の揺れに合わせて上下するのを見て、瞬は唐突にそんな事を考えた。縦ロールでトランポリンを作るには、何メートルぐらい束ねればいいのだろう。
「え、なに?」
視線に気付いた真紀が、こちらを振り返る。
「いや、なんでもないよ。見とれてただけ」
「うふふ♡釘づけになっちゃった?」
そう言って、右目でウインクした。素直なやつだ。
右隣の小雨を見る。窓を開けて、外の風景を見ていた。風を受けて時々目を細めながら、かすかに潮の香りが混じりはじめた森の空気を楽しんでいるようだ。
小雨は俺の昔からの幼馴染だ。小学校の頃から何故かずっと同じクラスになり続けていて、今も同じ大学、同じ学科に所属している。
真紀は今年大学に入ってから仲良くなった友達で、最近はこの三人で過ごす機会が多くなった。
俺達三人は、大学でのサークルの先輩、三年の袴田先輩に招かれて、残り少ない夏休みのうちの数日を先輩の別荘で過ごすことになった。大学のあるS市から、鈍行に揺られて数時間かけて寂れた駅にたどり着き、そこから先輩の車の後部座席に座って既に一時間は走っている。辺りにはもう町どころか、建物すら見当たらない。人里離れた海沿いの別荘だとは聞いていたが、それにしても随分と遠くまで来てしまったものだ。
事の発端は、数週間前の飲み会での会話だった。サークルから数人が参加した飲み会で、その場で最年長だったのが袴田先輩だ。袴田先輩は後輩に対して自分勝手で、資産家のボンボン故に自慢話や説教が多く、ほとんど慕われていない。にもかかわらず、場を仕切るのが好きで、この飲み会もほとんど袴田先輩が一人でしゃべる会と化していた。場は完全にしらけムードで、俺も適当に話を聞き流しながら相槌を打っていたのだが、いつの間にか別荘の話になっていたようで、
「……でさ、俺んちの別荘、海も近いし最高なんだよ。なんならお前らも連れて行ってやってもいいぜ」
という誘いに、うっかり弾みで
「いいっすね~、行ってみたいです」
と答えてしまったのだ。単なる社交辞令と受け取ってくれればよかったのだが、先輩も乗り気になってしまい、
「おう、じゃあ瀬名、お前来いよ!絶対な!」
あああ、しまった…と思っていると、二言目に、
「じゃあさ、あの子、真紀ちゃんも連れて来いよ、一緒にさ」
真紀は実家が大富豪のお嬢様。大学でもマドンナ的存在で、街を歩けば誰もが振り向く超絶美人。周囲の人間関係を破壊するほどの麗しさだ。そんな真紀が俺のような平凡な学生と親しく接しているのは、真紀が小雨と知り合いだったからだ。どうやら、小雨が俺の家の近所に引っ越してくる前、子供の頃に住んでいた家が真紀の家の隣だったのだそうだ。ある時、小雨と二人で、どこかの美人が群がる男を巻くのに苦労している姿を遠巻きに眺めていたら、突然その美人が助けを求めるようにこちらへ小走りでやってきて、
「ねえ、あなた、小雨ちゃんじゃない?私、子供の頃隣に住んでいた西野園真紀。覚えてる?」
ここから、三人の関係が始まった。
真紀は明るくて笑顔がかわいい、ぶりっ子で世間知らずの超絶美人ゆえに、男にはずっと絡まれるけれども、女には嫌われる傾向がある。顕著にある。人間関係を破壊するほどの麗しさ、と形容したのは、このためだ。それで、なかなか友達を作る事ができないでいた。
小雨も友達を作るのは不得手で、大学に進学してからもほとんど俺以外の人間とは接点がなかったため、お互いにとって渡りに船、というわけで、急速に仲良くなっていった。俺も小雨と一緒にいる事が多かったので、自然と三人で過ごす機会が増えていった。それ以来、周囲の男子からは
「真紀ちゃん紹介してくれよ」
「真紀ちゃん連れてこいよ」
と声を掛けられることが多く、その度に不愉快な思いをする羽目になる。今回もその例に漏れず。そもそも、一番最初に誘われたから、という理由で、学内でもヤリサーと揶揄されているサークルに入ってしまったのが失敗だった。かといって、これといった趣味を持っているわけでもない俺が今更他のサークルに入る勇気もなく、結果としてずるずるとこんな事態になってしまったわけである。
「ねえねえ、瞬、ほらほら、綺麗な海!」
真紀が右手で俺の肩を叩きながら、左手で窓の外を指さす。いつの間にか車は森林地帯を抜けて海沿いを走っていた。
海の深い青と、空の透明な青さが、水平線を境に美しいコントラストを成している。視界いっぱいに広がる青さに吸い込まれるような感覚さえ覚える。
海が青い理由は、青い光だけが減衰せずに水中を進んでいくためで、空が青い理由は、青い光が大気中の成分にぶつかって散らばるためなのだそうだ。青という色は、自然界では希少な存在であるのに、空と海とでは真逆にさえ感じられる原理で目の前に広がる青い世界に、大自然の神秘を垣間見たような気がした。母なる海。父なる空。青という色は、人の心に落ち着きを齎す。青が似合う大人になりたいと思った。
「別荘からも海は見えるんですか?」
小雨が運転席の先輩に尋ねる。
「当たり前じゃん、俺らが泊まる部屋には、リビングに大きな窓があってさ。どの部屋からも海が見えるようになってるんだぜ」
「う~ん楽しみ!瞬も楽しみでしょ?」
真紀が、ずっと黙りこくっている俺に話を振ってきた。
「え、ああ。うん。もちろん楽しみだよ」
そういえば、小雨から、真紀は化粧を落とすと人格が変わると聞いた事がある。俺は明るい真紀しか知らないけれど、もう一人の真紀は物静かで大人しい性格らしい。今回の滞在で、目にする機会があるだろうか。
「ねえねえ小雨、水着持ってきた?」
真紀が、俺を挟んで小雨に声を掛ける。
「え、あたし?水着なんて持ってきてないよ~」
小雨は顔の前で手のひらを小刻みに左右に振りながら答えた。
「せっかくの海なんだから、持って来ればよかったのに~」
はしゃぐ真紀を、バックミラー越しに袴田先輩がチラチラと盗み見ていた。
「真紀ちゃん、水着持ってきたの?いいねえ~楽しみだな。ビーチバレーとかしようよ、ねっ!」
いかにもヤリサーみたいな発想だな、と思う。
「えええ、バレーですか……そうですね、時間があったら……」
「時間なんてさ、いくらでもあるよ。周りに何にもないんだからさ。俺の妹も、こっちに来てから周りに女の子がいなかったから、喜ぶと思うぜ」
先輩達の一家は数週間前から、既に別荘に滞在しているのだ。それにしても、先輩に妹がいるとは初耳だ。
ここで一旦会話が途切れた。俺達三人は、じっと海を眺めている。
不意に、真紀が耳打ちしてきた。
「お金持ちの一家と、人里離れた別荘に、訪問客……って、なんだか、殺人事件が起こりそうなシチュエーションじゃない?」
それが聞こえたのか、今度は小雨が俺の右耳に耳打ちしてくる。
「そんな推理小説みたいなこと、現実に起こるわけないじゃん。ゆっくり休暇を楽しもう?」
小雨の楽観的な予測は、これまで当たったためしがない。そんなわけないだろう、と思いつつも、俺はなんとなく不吉な予感を覚えた。
瀬名瞬……A大学一年。
京谷小雨……A大学一年。瞬の幼馴染
西野園真紀……A大学一年。小雨の親友。二重人格。
袴田吉雄……A大学三年。瞬のサークルの先輩
袴田心美……高校二年生。吉雄の妹
袴田繁幸……吉雄の父
袴田良子……吉雄の母
吉川忠司……使用人
吉川景子……使用人。忠司の妻
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!
縦ロールって、バネみたいだな。
左隣に座った真紀のくるくると巻かれた髪が、車の揺れに合わせて上下するのを見て、瞬は唐突にそんな事を考えた。縦ロールでトランポリンを作るには、何メートルぐらい束ねればいいのだろう。
「え、なに?」
視線に気付いた真紀が、こちらを振り返る。
「いや、なんでもないよ。見とれてただけ」
「うふふ♡釘づけになっちゃった?」
そう言って、右目でウインクした。素直なやつだ。
右隣の小雨を見る。窓を開けて、外の風景を見ていた。風を受けて時々目を細めながら、かすかに潮の香りが混じりはじめた森の空気を楽しんでいるようだ。
小雨は俺の昔からの幼馴染だ。小学校の頃から何故かずっと同じクラスになり続けていて、今も同じ大学、同じ学科に所属している。
真紀は今年大学に入ってから仲良くなった友達で、最近はこの三人で過ごす機会が多くなった。
俺達三人は、大学でのサークルの先輩、三年の袴田先輩に招かれて、残り少ない夏休みのうちの数日を先輩の別荘で過ごすことになった。大学のあるS市から、鈍行に揺られて数時間かけて寂れた駅にたどり着き、そこから先輩の車の後部座席に座って既に一時間は走っている。辺りにはもう町どころか、建物すら見当たらない。人里離れた海沿いの別荘だとは聞いていたが、それにしても随分と遠くまで来てしまったものだ。
事の発端は、数週間前の飲み会での会話だった。サークルから数人が参加した飲み会で、その場で最年長だったのが袴田先輩だ。袴田先輩は後輩に対して自分勝手で、資産家のボンボン故に自慢話や説教が多く、ほとんど慕われていない。にもかかわらず、場を仕切るのが好きで、この飲み会もほとんど袴田先輩が一人でしゃべる会と化していた。場は完全にしらけムードで、俺も適当に話を聞き流しながら相槌を打っていたのだが、いつの間にか別荘の話になっていたようで、
「……でさ、俺んちの別荘、海も近いし最高なんだよ。なんならお前らも連れて行ってやってもいいぜ」
という誘いに、うっかり弾みで
「いいっすね~、行ってみたいです」
と答えてしまったのだ。単なる社交辞令と受け取ってくれればよかったのだが、先輩も乗り気になってしまい、
「おう、じゃあ瀬名、お前来いよ!絶対な!」
あああ、しまった…と思っていると、二言目に、
「じゃあさ、あの子、真紀ちゃんも連れて来いよ、一緒にさ」
真紀は実家が大富豪のお嬢様。大学でもマドンナ的存在で、街を歩けば誰もが振り向く超絶美人。周囲の人間関係を破壊するほどの麗しさだ。そんな真紀が俺のような平凡な学生と親しく接しているのは、真紀が小雨と知り合いだったからだ。どうやら、小雨が俺の家の近所に引っ越してくる前、子供の頃に住んでいた家が真紀の家の隣だったのだそうだ。ある時、小雨と二人で、どこかの美人が群がる男を巻くのに苦労している姿を遠巻きに眺めていたら、突然その美人が助けを求めるようにこちらへ小走りでやってきて、
「ねえ、あなた、小雨ちゃんじゃない?私、子供の頃隣に住んでいた西野園真紀。覚えてる?」
ここから、三人の関係が始まった。
真紀は明るくて笑顔がかわいい、ぶりっ子で世間知らずの超絶美人ゆえに、男にはずっと絡まれるけれども、女には嫌われる傾向がある。顕著にある。人間関係を破壊するほどの麗しさ、と形容したのは、このためだ。それで、なかなか友達を作る事ができないでいた。
小雨も友達を作るのは不得手で、大学に進学してからもほとんど俺以外の人間とは接点がなかったため、お互いにとって渡りに船、というわけで、急速に仲良くなっていった。俺も小雨と一緒にいる事が多かったので、自然と三人で過ごす機会が増えていった。それ以来、周囲の男子からは
「真紀ちゃん紹介してくれよ」
「真紀ちゃん連れてこいよ」
と声を掛けられることが多く、その度に不愉快な思いをする羽目になる。今回もその例に漏れず。そもそも、一番最初に誘われたから、という理由で、学内でもヤリサーと揶揄されているサークルに入ってしまったのが失敗だった。かといって、これといった趣味を持っているわけでもない俺が今更他のサークルに入る勇気もなく、結果としてずるずるとこんな事態になってしまったわけである。
「ねえねえ、瞬、ほらほら、綺麗な海!」
真紀が右手で俺の肩を叩きながら、左手で窓の外を指さす。いつの間にか車は森林地帯を抜けて海沿いを走っていた。
海の深い青と、空の透明な青さが、水平線を境に美しいコントラストを成している。視界いっぱいに広がる青さに吸い込まれるような感覚さえ覚える。
海が青い理由は、青い光だけが減衰せずに水中を進んでいくためで、空が青い理由は、青い光が大気中の成分にぶつかって散らばるためなのだそうだ。青という色は、自然界では希少な存在であるのに、空と海とでは真逆にさえ感じられる原理で目の前に広がる青い世界に、大自然の神秘を垣間見たような気がした。母なる海。父なる空。青という色は、人の心に落ち着きを齎す。青が似合う大人になりたいと思った。
「別荘からも海は見えるんですか?」
小雨が運転席の先輩に尋ねる。
「当たり前じゃん、俺らが泊まる部屋には、リビングに大きな窓があってさ。どの部屋からも海が見えるようになってるんだぜ」
「う~ん楽しみ!瞬も楽しみでしょ?」
真紀が、ずっと黙りこくっている俺に話を振ってきた。
「え、ああ。うん。もちろん楽しみだよ」
そういえば、小雨から、真紀は化粧を落とすと人格が変わると聞いた事がある。俺は明るい真紀しか知らないけれど、もう一人の真紀は物静かで大人しい性格らしい。今回の滞在で、目にする機会があるだろうか。
「ねえねえ小雨、水着持ってきた?」
真紀が、俺を挟んで小雨に声を掛ける。
「え、あたし?水着なんて持ってきてないよ~」
小雨は顔の前で手のひらを小刻みに左右に振りながら答えた。
「せっかくの海なんだから、持って来ればよかったのに~」
はしゃぐ真紀を、バックミラー越しに袴田先輩がチラチラと盗み見ていた。
「真紀ちゃん、水着持ってきたの?いいねえ~楽しみだな。ビーチバレーとかしようよ、ねっ!」
いかにもヤリサーみたいな発想だな、と思う。
「えええ、バレーですか……そうですね、時間があったら……」
「時間なんてさ、いくらでもあるよ。周りに何にもないんだからさ。俺の妹も、こっちに来てから周りに女の子がいなかったから、喜ぶと思うぜ」
先輩達の一家は数週間前から、既に別荘に滞在しているのだ。それにしても、先輩に妹がいるとは初耳だ。
ここで一旦会話が途切れた。俺達三人は、じっと海を眺めている。
不意に、真紀が耳打ちしてきた。
「お金持ちの一家と、人里離れた別荘に、訪問客……って、なんだか、殺人事件が起こりそうなシチュエーションじゃない?」
それが聞こえたのか、今度は小雨が俺の右耳に耳打ちしてくる。
「そんな推理小説みたいなこと、現実に起こるわけないじゃん。ゆっくり休暇を楽しもう?」
小雨の楽観的な予測は、これまで当たったためしがない。そんなわけないだろう、と思いつつも、俺はなんとなく不吉な予感を覚えた。
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