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監獄島の惨劇 ジャンル:ホラー
1時47分
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鹿島有希は、パニック発作を起こしていた。
どうにか仮面の怪人を撒くことができたものの、動悸と過呼吸が収まらず、体の嫌な火照りと震えが止まらない。逃げている最中に懐中電灯を落としてしまったので周囲を照らすこともできず、暗闇の中で震えている事しかできなかった。本当は下に逃げて、そのままこの建物から脱出したかった。しかし、三階の迷路で完全に方向感覚を失ってしまい、気付けば四階まで上がってきてしまっていたのだ。
またいつあの怪人がやってくるかもしれないという恐怖、そして周囲の様子が全く見えないという恐怖。その暗闇の中で、有希は子供の頃の記憶――消し去りたい過去――を思い出していた。
有希は虐待を受けながら育った。
それは有希が小学校低学年の頃から始まった。母親が不倫相手と蒸発した後、父親は酒に溺れるようになり、泥酔した父は有希を暴行するようになったのだ。有希が母親似であったことも、その苛烈さに拍車をかけた。
虐待は、有希が14歳の頃、父親が泥酔したまま駅のホームから転落し、入線してきた電車に轢かれて死ぬまで続けられた。父親から解放されても、徹底的に貶められた有希の自己評価が回復する事は……現在に至るまで、なかった。
父親の死後、有希は父方の伯母の家に預けられた。
しかし、伯母は有希に対して冷淡だった。世間体を気にして高校の学費は出してくれたものの、家では寝食以外の物は提供されず、無視されていた。愛情などというものは、微塵も感じられなかった。
有希は高校に通いながら密かに売春と水商売で金を稼いで、空いた時間で必死に勉強した。その結果、高校を卒業する頃には自力で大学に行ける程の学力と貯金を手に入れていた。
大学に入ったら、伯母の家も離れて、これまでのしがらみも全て捨てて、普通のアルバイトをして、普通の生活ができる……有希は、そう信じていたのだ。
しかし、虐待の後遺症と体を売った際の経験が、有希に深刻な愛着障害を引き起こしていた。
愛情に飢えていた有希は、何も断れない女になっていたのだ。ほんの少し甘い言葉をかけられると、それを愛情だと錯覚し、体を重ねて依存してしまう。嫌気が差した相手に捨てられて傷心でいるうちに、すぐにまた他の男に声をかけられて……いや、まともに口説かれるのはまだいい方だ。中には飲み会の後に無言で手を引いてくる男もおり、それに黙って付いて行くと、複数の男の相手をさせられる事さえ、ままあった。結局、水商売時代の客が級友に取って代わっただけ……いや、行為の強引さでは、より酷くなったと言えるかもしれない。
そんな状態だったので、心を開ける女友達も作る事ができなかった。福田明美は時々有希の事を気遣ってくれたが、友達という間柄ではない。斎藤明日香は比較的話す機会の多い先輩ではあったが、会話の端々から、内心では有希の事を見下しているという事が窺い知れた。
必死に這い上がって、ようやく手に入れた憧れの大学生活でも、有希の孤独は埋まらなかった。
日を追うごとに手首の傷跡が増えていく。とろとろと流れる血を眺めている間だけが、自分の生を実感でき、心が落ち着く時間だった。
この肝試しだって、本当は気乗りしなかったのだ。だが、菅山先輩に声をかけられて、断る事ができなかった。別に、菅山に特に恩があるわけでもない。むしろ菅山は苦手な先輩である。断ってもよかったはずなのに……有希は今更になって、その事を激しく後悔していた。
首に斧を突き立てられた松野の顔がフラッシュバックする。そして、首から引き抜かれる手斧、傷口から吹き出す血液……。
リストカットした時とは比べ物にならない量の出血だった。血そのものは見慣れているはずなのに、他人の血液――しかも大量の――を見て、有希は我を忘れて逃げ出してしまったのだ。
人並みの人生を送ろうとして、ようやく、ようやくそのスタートラインに立てたというのに、こんなところで死にたくない……。
常日頃、希死念慮に苛まれている有希だったが、いざそれを目の前にすると、怖くて怖くてたまらない自分がいた。
ようやく発作が収まりかけてきた頃、再びどこかからコツ、コツと足音が聞こえてきた。
奴が追いかけてきたのだろうか……と、有希は身構える。心拍数が再び跳ね上がり、心臓の音でこちらの居場所が悟られてしまうのではないか、と不安になるほどだった。
足音が近くなり、懐中電灯の明かりがちらちらと動いているのが見える。やがて、その足音の主が姿を現した。
それは、菅山先輩だった。
ようやく孤独の恐怖から解放される、という安心感からか、有希は菅山の名を叫びながら飛び出した。
「菅山さん!」
菅山はぎょっとしたような顔で有希を見る。
「な、なんだ、鹿島か……脅かすなよ……どうしたんだ一体? そんな、血相を変えて」
「松野さんが……松野さんが、殺されたんです! 誰かに! ついさっきまで、私も追いかけられて……今でもその辺に、奴がうろうろしているかもしれません……」
有希は無意識のうちに菅山の上着の袖にしがみついていた。菅山はフン、と鼻であしらった。
「はあ? なんだそりゃ……新手のドッキリか? この島に俺達以外の人間なんているわけないだろ」
「それが……いるんです! 本当に……松野さんも、そいつに喉を裂かれて殺されて……」
有希のあまりの剣幕に負けたのか、菅山も狼狽えたように目をしばたたかせた。
「ま……まあ、まあ、わかったから……とりあえず落ち着けよ。落ち着ける場所でゆっくり話を聞こう。付いてきてくれ」
菅山はすいすいと通路を先導していく。やがて二人は階段を昇り、五階へ到達した。そこは四階と同じような構造ではあったが、右手にはより大きな部屋が用意されているように見えた。
菅山は、階段を昇って左手にある部屋へと有希を導いた。
「ほら、ここで少し休もう」
菅山が扉を開け、有希を促す。有希は言われるがままに中へと入った。
そこは異様な空間だった。拘束具のようなものが取り付けられた台の上に、べっとりと血の付いた手斧とチェーンソーが置かれている。壁にかけられた、様々な形をした刀剣。天井から吊り下げられた、巨大な振り子のような刃物。見た事もない、怪しげな器具の数々が部屋中に並べられていた。そして目の前に設えられているのは、大きな鉄の塊……その上部が、女性の顔を象った造形になっている。これは、世界史か何かの資料で見た拷問器具……鉄の処女ではないだろうか……?
有希の背後で、分厚い扉が閉じられた。
そして、ガチャリ、という大きな音……まるで、鍵をかけたかのような……?
有希の不安を増幅させるように、そのガチャリという金属音が部屋の中を反響していく。
部屋の中をさらによく見渡してみると、ここから死角になる位置に、切断された人間の体の一部のようなものがちらりと見えた。ふわりと漂ってくる鉄の臭いは、この部屋に所狭しと置かれている金属によるものか、それとも……。
何……? これは、どういう事……?
「菅山さん……?」
「なんだい?」
後ろから菅山の声が近付いてくる。有希は、体が強張って、もう声を上げる事も振り返る事もできなかった。
「菅山さん……明日香さんは、一緒じゃないんですか……?」
どうにか仮面の怪人を撒くことができたものの、動悸と過呼吸が収まらず、体の嫌な火照りと震えが止まらない。逃げている最中に懐中電灯を落としてしまったので周囲を照らすこともできず、暗闇の中で震えている事しかできなかった。本当は下に逃げて、そのままこの建物から脱出したかった。しかし、三階の迷路で完全に方向感覚を失ってしまい、気付けば四階まで上がってきてしまっていたのだ。
またいつあの怪人がやってくるかもしれないという恐怖、そして周囲の様子が全く見えないという恐怖。その暗闇の中で、有希は子供の頃の記憶――消し去りたい過去――を思い出していた。
有希は虐待を受けながら育った。
それは有希が小学校低学年の頃から始まった。母親が不倫相手と蒸発した後、父親は酒に溺れるようになり、泥酔した父は有希を暴行するようになったのだ。有希が母親似であったことも、その苛烈さに拍車をかけた。
虐待は、有希が14歳の頃、父親が泥酔したまま駅のホームから転落し、入線してきた電車に轢かれて死ぬまで続けられた。父親から解放されても、徹底的に貶められた有希の自己評価が回復する事は……現在に至るまで、なかった。
父親の死後、有希は父方の伯母の家に預けられた。
しかし、伯母は有希に対して冷淡だった。世間体を気にして高校の学費は出してくれたものの、家では寝食以外の物は提供されず、無視されていた。愛情などというものは、微塵も感じられなかった。
有希は高校に通いながら密かに売春と水商売で金を稼いで、空いた時間で必死に勉強した。その結果、高校を卒業する頃には自力で大学に行ける程の学力と貯金を手に入れていた。
大学に入ったら、伯母の家も離れて、これまでのしがらみも全て捨てて、普通のアルバイトをして、普通の生活ができる……有希は、そう信じていたのだ。
しかし、虐待の後遺症と体を売った際の経験が、有希に深刻な愛着障害を引き起こしていた。
愛情に飢えていた有希は、何も断れない女になっていたのだ。ほんの少し甘い言葉をかけられると、それを愛情だと錯覚し、体を重ねて依存してしまう。嫌気が差した相手に捨てられて傷心でいるうちに、すぐにまた他の男に声をかけられて……いや、まともに口説かれるのはまだいい方だ。中には飲み会の後に無言で手を引いてくる男もおり、それに黙って付いて行くと、複数の男の相手をさせられる事さえ、ままあった。結局、水商売時代の客が級友に取って代わっただけ……いや、行為の強引さでは、より酷くなったと言えるかもしれない。
そんな状態だったので、心を開ける女友達も作る事ができなかった。福田明美は時々有希の事を気遣ってくれたが、友達という間柄ではない。斎藤明日香は比較的話す機会の多い先輩ではあったが、会話の端々から、内心では有希の事を見下しているという事が窺い知れた。
必死に這い上がって、ようやく手に入れた憧れの大学生活でも、有希の孤独は埋まらなかった。
日を追うごとに手首の傷跡が増えていく。とろとろと流れる血を眺めている間だけが、自分の生を実感でき、心が落ち着く時間だった。
この肝試しだって、本当は気乗りしなかったのだ。だが、菅山先輩に声をかけられて、断る事ができなかった。別に、菅山に特に恩があるわけでもない。むしろ菅山は苦手な先輩である。断ってもよかったはずなのに……有希は今更になって、その事を激しく後悔していた。
首に斧を突き立てられた松野の顔がフラッシュバックする。そして、首から引き抜かれる手斧、傷口から吹き出す血液……。
リストカットした時とは比べ物にならない量の出血だった。血そのものは見慣れているはずなのに、他人の血液――しかも大量の――を見て、有希は我を忘れて逃げ出してしまったのだ。
人並みの人生を送ろうとして、ようやく、ようやくそのスタートラインに立てたというのに、こんなところで死にたくない……。
常日頃、希死念慮に苛まれている有希だったが、いざそれを目の前にすると、怖くて怖くてたまらない自分がいた。
ようやく発作が収まりかけてきた頃、再びどこかからコツ、コツと足音が聞こえてきた。
奴が追いかけてきたのだろうか……と、有希は身構える。心拍数が再び跳ね上がり、心臓の音でこちらの居場所が悟られてしまうのではないか、と不安になるほどだった。
足音が近くなり、懐中電灯の明かりがちらちらと動いているのが見える。やがて、その足音の主が姿を現した。
それは、菅山先輩だった。
ようやく孤独の恐怖から解放される、という安心感からか、有希は菅山の名を叫びながら飛び出した。
「菅山さん!」
菅山はぎょっとしたような顔で有希を見る。
「な、なんだ、鹿島か……脅かすなよ……どうしたんだ一体? そんな、血相を変えて」
「松野さんが……松野さんが、殺されたんです! 誰かに! ついさっきまで、私も追いかけられて……今でもその辺に、奴がうろうろしているかもしれません……」
有希は無意識のうちに菅山の上着の袖にしがみついていた。菅山はフン、と鼻であしらった。
「はあ? なんだそりゃ……新手のドッキリか? この島に俺達以外の人間なんているわけないだろ」
「それが……いるんです! 本当に……松野さんも、そいつに喉を裂かれて殺されて……」
有希のあまりの剣幕に負けたのか、菅山も狼狽えたように目をしばたたかせた。
「ま……まあ、まあ、わかったから……とりあえず落ち着けよ。落ち着ける場所でゆっくり話を聞こう。付いてきてくれ」
菅山はすいすいと通路を先導していく。やがて二人は階段を昇り、五階へ到達した。そこは四階と同じような構造ではあったが、右手にはより大きな部屋が用意されているように見えた。
菅山は、階段を昇って左手にある部屋へと有希を導いた。
「ほら、ここで少し休もう」
菅山が扉を開け、有希を促す。有希は言われるがままに中へと入った。
そこは異様な空間だった。拘束具のようなものが取り付けられた台の上に、べっとりと血の付いた手斧とチェーンソーが置かれている。壁にかけられた、様々な形をした刀剣。天井から吊り下げられた、巨大な振り子のような刃物。見た事もない、怪しげな器具の数々が部屋中に並べられていた。そして目の前に設えられているのは、大きな鉄の塊……その上部が、女性の顔を象った造形になっている。これは、世界史か何かの資料で見た拷問器具……鉄の処女ではないだろうか……?
有希の背後で、分厚い扉が閉じられた。
そして、ガチャリ、という大きな音……まるで、鍵をかけたかのような……?
有希の不安を増幅させるように、そのガチャリという金属音が部屋の中を反響していく。
部屋の中をさらによく見渡してみると、ここから死角になる位置に、切断された人間の体の一部のようなものがちらりと見えた。ふわりと漂ってくる鉄の臭いは、この部屋に所狭しと置かれている金属によるものか、それとも……。
何……? これは、どういう事……?
「菅山さん……?」
「なんだい?」
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