アンダンテ

浦登みっひ

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監獄島の惨劇 ジャンル:ホラー

4時43分 瞬

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 俺は二人の真紀を何度も見比べた。
 同じ顔、同じ髪型、おなじ服装……違うのは、化粧と表情だけだ。そう、それは紛れもなく、真紀の中にいる二つの人格。どちらも真紀なのだ。どちらも偽物とは思えない。
 しかし、ここには確かに二つの体が存在する。……いや、今現れた方の真紀はどうだろう? 触って確かめたわけではないのだ。極限の状況に置かれて幻覚を見ているという可能性も残されている。とはいえ、幻覚にしてもリアリティがありすぎる。それに、俺達三人が三人とも同じ幻覚を見る、などという事が有り得るだろうか?
 俺は、一緒に座り込んでいる方の真紀を振り返った。二人の真紀を書き分けなければならず、語り手としても非常にややこしい状況である。
「もしかして……双子っていうオチ?」
 俺は幾分おどけて言った。
「そんなわけないじゃない! 私は一人っ子よ。兄弟も姉妹もいないわ」
 真紀は首をぶるぶると横に振って否定した。どうやら、彼女もこの状況に戸惑っているようだ。すると、たった今現れたばかりの真紀が言った。
「ふふふ、皆が驚くのも無理ないわ。ちゃんと説明します」

 彼女は徐に口を開いた。
「結論から言うと、私は、今現在、真紀ちゃんの中で眠っている私の思念体……生霊のようなものよ」
「生霊……?」
 俺達三人は顔を見合わせた。三人とは、今床に座り込んでいる俺と小雨と真紀の三人の事である。
「そう。眠っている私の意識の一部が、生霊となってここに召喚された。……生霊って、語感があんまりかわいくないから、精霊、ってことにしておこうかな」
そう言うと、生霊……もとい、精霊の真紀は明るく微笑んだ。

「ちょっと待ってくれよ。精霊でも生霊でもいいけど、そんなに簡単に出たり消えたりできるもんなのか?」
「おほん。ふむ、いい質問だね、瞬くん。まあ、聞いてくれたまえ」
突然、いけすかない教授のような口調になった。何のキャラだよ、と思ったが、口調はすぐ元に戻った。
「今現在、この収容所内は異世界と繋がっています。皆も聞いた事があるはず。ここは今、黄泉の国と繋がっているの」
「黄泉の国……だって……?」
 日本神話に出てくる、あの黄泉の国のことだろうか。確かに、単語としては知っているが、日本神話にも古事記にも詳しいわけではない。そもそも、黄泉の国が実在するなんて聞いてないぞ……。
「そう。だから、ゾンビ達のように霊的な存在も実体化する事ができるんだよ。あれは、昔ここで命を落とした者達の霊なの。そして、鏡がこの収容所と黄泉の国をつなぐゲートの役割を果たしている。ここに湧いてきたゾンビは、全てこの収容所にある鏡を通ってこちらの世界へ渡ってきたの」
「ちょ……ちょっと待ってくれよ。どうしてこの収容所が、その黄泉の国と繋がったんだ?」
 精霊の真紀は肩を竦めた。
「さあ……それはわからないわ。地理的なものもあるかもしれないし、この収容所内を漂っている残留思念の影響もあるでしょう。建物の構造も一つの要因かもしれない……私だって、気付いたらこの鏡と一緒にここに召喚されていたんだから、当てずっぽうなことしか言えないの」

 鏡。精霊の真紀が持っている板のようなものに視線を転じる。確かにそれは鏡だった。
「その鏡は……」
 生身の真紀が呟いた。目を皿のように大きく見開き、驚いたような表情を浮かべている。俺は彼女に尋ねた。
「見覚えがあるのか?」
「あれは、実家の、私の部屋の化粧台の鏡よ」
「そう。私と真紀ちゃんが、いつもお話ししていた鏡」

 生身の真紀が、すっくと立ちあがった。
「本当に……本当に、あなたなの?」
 すると、精霊はゆっくりと彼女に歩み寄って、もう一人の真紀を優しく抱き締めた。
「こうやって、真紀ちゃんに触って、お話しできる日が来るなんて、思ってもみなかった……私を作ってくれてありがとう。私はいつも真紀ちゃんのこと、想っているよ……」
 生身の真紀の瞳から涙が溢れ、頬を伝う。

 それはとても幻想的で、不思議な光景だった。二人の真紀が、互いの存在を確かめ合うかのように抱き合っている。夜気に浸されたおどろおどろしい収容所の中で、二人だけが、スポットライトを浴びた絵画のように浮かび上がっている。
「ねえ、あなた、どうしていつもミニスカートなの? 私が冷え性なの、知っているでしょう?」
「ふふ、そうね……ごめんなさい。気を付けます」
 これまた不思議な会話である。やはり、服を決めているのは精霊の真紀の方らしい。

 二人はそのまま、数十秒間抱き合っていた。
 生身の真紀から離れた精霊は次に、小雨に話しかけた。
「小雨、大丈夫? もうちょっと早く来られたらよかったんだけど……」
 そう言って、小雨に手を差し伸べる。小雨はその手を握り返して立ち上がった。
「本当、どうなってるの? これ……あなたは、幽霊じゃないんだよね? ゾンビの事といい、真紀の事といい、私には何がなんだか……」
「ごめんね。私のこと、怖い?」
 小雨はゆっくりと首を横に振った。
「ううん、全然。なんだろう、今、とても安心してる」
 俺も小雨と全く同感だった。彼女が現れるまで俺達を覆っていた、沈鬱で絶望的な雰囲気は、いつのまにか煙のように消えてしまい、もはや微塵も残っていない。もちろん、ゾンビが消滅したことによる安堵感は大きいのだが、それよりも、彼女の聖母を思わせる優しい微笑みに、俺達は救われたのだ。
「よかった……小雨にドン引きされたらどうしようって、それが一番心配だったの」

 真紀は、最後に俺のところへやってきた。
「どう? 瞬……まだ半信半疑って感じ?」
「いや、もう、何ていうか、信じざるを得ないよ」
 俺は両手を顔の横まで上げ、軽く万歳をしてみせた。お手上げ、というポーズである。
「いいの? 触って確かめなくても……」
 真紀の顔が近くなる。彼女は、髪を一房掴んで、俺の顔の前でひらひらと動かした。
「ほれほれ、触ってみてよ」
 俺は言われるままに、彼女の髪に優しく触れた。すべすべとした、柔らかい髪の感触。収容所に入る前、周囲を散歩した時に、軽く撫でた時の感触そのままだった。
「確かに、本物だ……」
 真紀は両手で歯痛ポーズを作って、軽く首を傾げて微笑んだ。真紀のお馴染みのポーズだ。鼻息がかかってしまいそうなほど、彼女の顔がすぐ目の前にある。いったい今、俺はどんな表情をしているだろうか。
「髪だけでいいの?」
「え?」
「私ね、生霊だから、記憶は共有してないの。だから……」
 彼女は、いたずらっぽい表情でそっと耳打ちしてきた。
「エッチなことするなら、今のうちだよ」
「な、なっ……」
 俺は一瞬のうちに上気した。薔薇の香りが首筋からふわりと漂い、まったく無意識のうちに、彼女のしっとりとした唇からコートに包まれた胸元、細くくびれた腰、ミニスカートから伸びる脚へと視線が移動する。今の俺はきっと、ゆでだこのように真っ赤になっているだろう。赤い照明でカモフラージュされている事が、この時だけはありがたかった。
「瞬ったら、照れちゃって……かわいい♡」
 今の会話が聞こえたのか、生身の真紀の冷たい視線が頬に突き刺さってくる。待ってくれ、どちらかというと俺は被害者だぞ。

 俺達がそんな寸劇を繰り広げているうちに、廊下から新手のゾンビが数体、こちらへ向かって歩いてきた。
「おっとっと、いつまでものんびりしてられないわね……」
 精霊の真紀は、足元に置いてあった鏡を再び拾い上げる。
「さっきも言ったけど、鏡が彼らの門になっているの。だから、この鏡を使って、彼らを別の世界へ転送する」
「別の世界……って、どこだ?」
 彼女は、また肩を竦めた。
「さあ……そこまでは、わからない。無責任かしら?」

 真紀が鏡を向けると、ゾンビは先程と同じようにシュボッと消滅した。こうして改めて見るとそれは、紙吹雪が燃えながら、気流に乗って舞い上がっていく光景を連想させる。
「どう? 便利でしょ」
 彼女はそう言って、こちらを振り向いた。
「収容所内のゲートになっている鏡とこの鏡を合わせ鏡の状態にすると、ゲートを封じることができるの。だから、ゲートを一つ一つ閉じながら、鮫太郎くんを探していきましょう。みんな、私の後ろについてきて。もしゾンビを見かけたら、私に声をかけてね」

 俺達三人……いや、四人は、再び真紀を先頭にして歩き始めた。全く同じ後ろ姿。鐘が鳴る以前と全く変わらない眺めだ。だが大きく違うのは、今俺達を導いているのが、突然現れたもう一人の真紀である事だ。
「ねえ瞬、どこか鏡がある場所わかる?」
 精霊の真紀がこちらを振り返って尋ねた。俺は平面図を見ながら記憶を辿る。
「確か、この近くにある医務室に鏡があったはずだ」
「オッケー。じゃあ、そこから始めましょうか」

 医務室の前まで辿り着くと、そこには既に、また新しく出現したらしい数体のゾンビが廊下を徘徊していた。真紀はそれに鏡を向け、瞬く間に消滅させて、そのまま医務室へと入っていった。
 中の様子は一見、何の変化もなかった。しかし、机の上に立てられている鏡をよく見ると、鏡全体が赤く光っているのがわかる。
「あれがゲートね……」
 真紀は鏡を構え、目標の鏡に対して平行になるように角度を調整して、合わせ鏡の状態を作った。すると、鏡から発せられていた赤い光が次第に薄れていき、数秒後には元通りの薄汚れた鏡に戻っていた。
「よし、これで封印できたわ。他には?」
 次の鏡は、という意味らしいが、鏡を意識しながら探索してきたわけではないため、確かにどこかで見てきたような気はするのだが、すぐには思い出すことができない。
「私が見たものは全部記憶しているけど、全ての部屋を確認してきたわけじゃないから、結局は一通り回ってみなきゃいけないんじゃないかしら」
 生身の真紀が言った。この中で、そんな記憶力があるのは真紀だけだろう。彼女は既に、平静な態度を取り戻していた。
「やっぱり、そうだよねえ。じゃあ、もう少し急ぎましょうか」

 俺達は、早歩きに時々小走りを織り交ぜながら部屋の探索を続けた。途中で何度かゾンビに遭遇したが、真紀の鏡によって、呆気なく消滅していった。一階の全ての部屋を探索し終えた俺達は、二階へと続く長い通路を歩いていた。

 突然、精霊の真紀が呟く。
「何人か、鏡を把りて、魔ならざる者ある。魔を照らすにあらず、造る也。即ち鏡は瞥見すべきもの也。熟視すべきものにあらず」
「え?」
 俺は思わず聞き返したが、彼女はそれには答えなかった。こっちの真紀にシカトされる事はほとんど無いのだが。
「斎藤緑雨。明治の作家よ」
 代わりに、生身の真紀が補足してくれた。とはいえ、俺にはまださっぱりわからない。
「へえ……で、さっき真紀が言った言葉はどういう意味なんだ?」
しばらく待ってみたが、どちらの真紀からも返事はなかった。
「おそらく、だけど……」
 口を開いたのは小雨である。
「鏡に映る自分は単なる虚像にすぎない。それなのに、じっと眺めていると、何かそこに意味があるように、意思があるように感じてしまうのね。お人形が生きているみたいに思えてしまうのと同じ。人はそこに、自分と異なるものを見出そうとしてしまうのね。抑圧された、無意識の自分を重ねようとする、っていうか……そうして内省的になってしまうと、人は、自我が崩れていく……っていう、戒めの言葉じゃないかな?」
 小雨が同意を求めるように二人の真紀を交互に見た。生身の真紀は、小さくこくりと頷いたが、精霊の真紀はそれにも答えなかった。
「ほ、ほう……」
 頭の中を無数のクエスチョンマークが飛び交っている。小雨の言葉を反芻して、どうにかその意味を理解しようと思考を巡らしてみた。だが、そもそも俺は鏡をじっくり眺めるほどナルシストではないつもりだし、そのせいか、今一つその感覚が理解できない。これは、鏡と向き合う機会の多い女の子特有の感性なのかもしれない。

 俺達はそのまま、二階、三階、四階と、ゾンビを消滅させながら、ゲートを封印していった。といっても、俺と小雨はただ真紀達に付き従ってきただけで、これといって役に立つことはなかったのだが。
 結局、鮫ちゃんとは合流できないまま、あとは五階を残すのみとなってしまった。どこかで行き違いになったのか、それともやはり、既にどこかから自力で脱出しているのか。……いや、脱出できるような場所はなかったはずだ。だが、あの惨殺死体が転がっている五階に留まっているという事は考えにくいし……。

「……何? この臭い……」
 小雨が鼻をつまんだ。
 五階へと続く階段の前へと辿りついた俺達は、階上から降ってくる夥しい腐臭に、思わず尻込みした。ただ一人、先頭に立つ精霊の真紀の後ろ姿だけが、毅然と階段の上方を見上げている。
 これは先輩達の死体から発せられる死臭なのだろうか。いや、それにしてもひどい臭いだ。そもそも、死後数時間でこれほど大量のガスが発生するわけがない。
「鮫太郎くんはきっと、この上にいるよ……そんな予感がするの」
 精霊の真紀がこちらを振り返る。玲瓏としたその声が、鈴のように虚空に響いた。
「どうする? 進む? 引き返す? 判断は瞬達に任せるよ」

 五階では間違いなく、何らかの異変が起こっている。それを予感したからこそ、彼女は俺達に判断を委ねたのだろう。俺達は互いの表情だけで意志を確認し、頷き合った。そこに言葉は必要なかった。
「よし、行こう。そのためにここまで来たんだから」
 俺が言うと、真紀の精霊はゆっくりと頷き、階段を昇り始めた。

 その背中を追って、俺達三人も階段へと足をかける。

 この上は最上階。そこには何が待ち受けているのだろう。そして鮫ちゃんは……。

 しかし、この時の俺は、それとは別の疑問で頭が埋め尽くされていた。


 
 真紀……俺がよく知っている、明るく可憐な真紀。彼女はいったい何者なんだ……?
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